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「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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朋がサイキックに目覚めた理由 その3 「クレアセンシェンス」

2010年01月11日 11時58分16秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)
こんにちは。

基本的にサイキックってのは、4種類だと言われるんですが、前回のクレアボヤンスというのは、あれは透視のことです。で、エンパシーに繋がるんですが、クレアセンシェンスって(透感)のことを指すのですが、それとクレアオーディエンス(透聴)、クレアコグニザンス(透知)ってのがありまして、大きくこの4つで分かれています。

まぁ、他にもあるんですが、まず、これらは全部受動態の感応力です。人に念をぶつけるとかそういうシステムを作るとか、そういうのは能動態系の能力になります。恐らく、殆どの人が欲しいのは、受動態ではなく、能動態かと思いますが。受動態がきちんと認識できていないと、能動態は、闇夜にバットを振りかざして歩く、危ない人です。

元々、私は子供の頃から、感応力が強く、感受性と言う名前で親は考えてきたんですが、人の前を通って、その人の思考にアクセスしてしまい、強烈に倒れるとか、ふと入り込んだ部屋の残留思念や、そこで起きた事に不用意にアクセスしてしまって、自分で痛い目に遭っています。で、基本的には、エンパスに代表されるこの感応力は、受動態なんです。人の痛みを受け取ったり、不愉快な感情に自分まで支配されるのは、正直に言えば、幼い頃の私と同じで、他者と自分の概念の境界線があいまいなんだろうと思います。

現在ですが、相変わらず、他者と自分の境界線はあいまいです。時に、大きくジャックされて、起きられない時もあります。人が誰かと顔が重なって見える時もあります。

ただ、私は、受動的な面を「大事」にしています。受動的な面があるからこそ、私は「他者の痛みに敏感であり」、多分、一生他者の痛みまでも経験し続けていくんだと思っています。後ろにハードコアな修行僧でも見えたら、そいつには言ってやってください。「こんな事を何故しなければならないのか。」

自身の生活の中でストレスを排除しようと思えば、身動きを取らなくなれば排除は出来ます。ですが、多分、私の性格から行って、ある程度ストレスの見極めがついたら、それ以上のストレスに突入してしまう性質があるんだと思います。過度に自分を自負している訳でもないんですが、ストレスが好きなんですかね。ストレスが自ら、押し掛けてくる癖もありますよ。

ですが、自分も痛い目に遭うのは嫌な訳です。で、悪夢とかを見続ける人は、よく悪夢を見た時に考えてください。まず、明晰夢で解決する前に、「悪夢でこわばった体を、温かいお茶や温かいミルクでほぐしてください。」

明晰夢は、ある程度悪夢が続けば、自分で勝手に嫌だからどうしようかと思うようになります。ですが、私自身、悪夢が多かった時もありました。霊能者になると思った時には、悪夢の連続で、起きてすらラップ現象があり、本当にそれは心底怖い思いをしました。ですが、明晰夢を見ることでの悪い面は、眠りが浅くなると言う事です。質のいい睡眠は、正直に言えば、長く寝て、長い中でトータルで取るしかなくなります。故に、私は寝るまでがひと苦労ですが、寝てしまうと、今度は起きられなくなります。

明晰夢での能動性は、一つは簡単です。たった一つの事を夢で思い出せるように、普段起きている時に一生懸命思えばいいんです。「これは夢かどうか。」とか、「これは、何とかできないのか。」たった一つだけ、一生懸命起きている時に思って、そして幼い私が長いことかかって、踏み込んだのは明晰夢でした。自在な明晰夢になった当時は、既に中学生でした。

悪夢を見続けるおかげで、私は寝ている時に、歯を噛み合わせてしまうんですが、小学校5年の時にある日、気が付きます。そうです。一夜にして、奥歯が、皆前に倒れてしまったんです。私は元より顎が細くて、少しずつ八重歯になったのではなく、ある日、全ての歯が倒れて、全部が前に寄せられて、そして八重歯や、歯の醜い組合せとなったんです。そして結果として細い顎になったんです。矯正をしないのは、その痛さが我慢できないからです。

それ程に、悪夢がひどかったかと言われれば、その通りです。逃げられない痛みを夢で感じる事もありましたし、ひどく冷たい思いや、氷を食べているような思い、何かを食べていても、無味無臭であったりとか、そういう感じの中で、手首を切られたり、足を切られたり、刺されたりするような夢を、夜ごと見てきました。ちょっと悲惨ですか。受動態はこんなもんですよ。

なもんで、私は、ある程度明晰夢を見るようになって、それを利用しだしました。ただ、日常生活とひどく混乱して、古文の教科書を学校にもっていったはずなのに(現実では)ない、とか、持って帰った教科書が(現実には)あったとか、そういう事でひどく悩んでいたのは、高校時代です。その時には、夢と現実がごっちゃで、現実で必要な「思い」まで夢に運んでしまい、夢で実現して、現実でやっていなくて、慌てると言う事だったんです。まぁ、それが古文の教科書位で済んだんで良かったです。自分の昼である1日は、起きて寝て2回体験します。

明晰夢だからといって、何もかも思い通りに何か行きません。もっと苦痛が増えると思った方がいいです。逆を返せば、明晰に覚えている訳ですから。

さて、エンパスと言う自分の特性で、現実でも沢山の言われなき感情を片づけています。自分は本当は逃げたかった。だけれど、この性質のおかげで、自分は、対外的な所では、非常に冷静なヒューマンスキルが身につきました。沢山の痛い思いを、多分これからもしていきますが、受動態で悩む人に、最後に一つだけ言っておきます。

受動態で嫌な思いをした分、能動態のやり方を教わった途端、有頂天になる人がいる。けれど、よく考えてください。受動態で、散々嫌なケースを学んできたあなたが、どうしてそのちっぽけな能動態で、あなたこそが、「嫌なケース」になり下がってしまうのか。あなたの痛みはそんなもんだったのか。あなたはそんな辛さじゃなかったでしょう。半端じゃない苦しみで、外にも出られなかった時もあったんでしょう。


だから、受動態で苦しんだ人に、能動態を教える時には、いつも必要以上に自分自身を律し、それでも、不条理な程、人の痛みを引き受けて進む人が、まだいる事を忘れないでくださいと言い続けます。受動態の不条理は、一生かかっても、不条理なんだよと。だからって、能動態で好き勝手やると、社会生活を損なうんだよと。両者は、バランスを取れないからこそ、人が苦しむし、悩むし、畏怖するんだよと。

私は、「一生他者の痛みを背負っていくだろう」とまで、岡本社長にまでダメ押しをされた人間なんですが(笑)。人の痛みが分からぬものには、痛みを逃れる術を語る資格なんかない。だけれど、ずっと痛いまんまです。まぁ、それは、それで、不遜な自分にはいいんだろうなと、時々思う。

その受動態の不条理性を問うのはもはや、やめた。




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