
こんにちは。
さて、本当は霊能者の実態って事で書き始めた事なんですが、A面では、どういうクライアントが主に来るか、B面では、行う人たちの依存性について書きました。ボーナストラックでは、実際にいる本当に行える人の真実について書いていきましょうかね。
そもそも、こういう霊能者の世界って、割と師弟関係にあるか、もしくは、宗教法人が集団で持っていたりします。宗教法人も、浄霊とは呼びませんが、それ相応の事をし、熱心なカウンセリングを行います。お代は得てして無料ですが、後に凄く大きな代償を払う事となります。すなわち、入信です。
さて、色々な能力をもって生まれてくる事自体、大体、子供の頃等にも割と悲惨な経験を持った人たちが、その中で生き抜いてくるためにやむを得ず、開かなければならなかったサバイバルコードとして、超能力を持って来ています。別に不思議な事じゃありません。どこか欠けている性質の為に、どこかを補おうとして、能力自体が出てくるんです。
普通に騒ぐ人の横で、割と毎晩、予知夢を見て、それが現実に役立っていて、秘密秘密という人もいますし、自分の事を自分で行える能力がある人も、割と、視たり聞いたり、そりゃ、その能力が人に普通にはないと気がついた時愕然としたりします。自分の中の当たり前の感覚を、人にはそれがないと聞いて、呆然とするかと思います。
こういうどこか補う事がある人程、実は割と強い力を持っています。殆どが、健康を害した記憶のある人ばかりです。超能力ってのは、自律神経の乱れによっても大きく左右されるので、自律神経が安定していれば出ないのかと言われると、そうでもないと思います。健康を害し、自身が生きていく上で、最低限自分の健康を守れない人等が自ずと開いていきます。精神的に病むことではなく、肉体的な疾患の補助として出てきます。
気功ってのは、普通に誰でも呼吸して手のひらを意識して気を出そうとすれば、出来る事なんだと思います。けれど、健常者の気功と病気の人の気功の差の出方とすれば、言い知れぬ疾患を乗り越えてくる病気の人の方が強いのは、実践する場が多かった事や、やむを得ない開化の理由があると思います。昔は、盲目の方があんまという職業を行っておりましたが、大変に勘が冴えている人が多かったです。私自身も、そう言う人を見て育ってきましたが、勘の冴え方は尋常じゃないです。
さて、それでも、子供の頃から、既にサバイバルゲームになり、最終的に私たち人間の存在意義と言うのは、存在して自分の種を後に残す事が主目的です。ほかの動物を見てもそうです。人間だけ、悩むのかと申しますと、そうですねぇ、先日、クマの巣立ちをテレビで見たんですよ。アニマルプラネットという番組なんですが。クマの親子で、クマのお母さん、子供1匹という状態の家族の時に、あまりに鮭を取るのが母さんが上手だと、子供、ほんとにやらないんですよね。
子供が一生懸命やろうと思い始めるのは、その人生に、鮭にありつけなくてひもじい思いをするというサバイバルを体験した時ですからね。そのクマのお母さん、四苦八苦でしたし、自分は自分の分は取ったらすぐ食べてしまう。そうする内に、クマの子供が自分で取り始めましてね。
人間、誰しもサバイバルゲームの中なんですよ。その中で、様々な思いをしてくる。割り切れない人間関係、割り切れない暴力、割り切れない理不尽。その中で、暴力を加えてくる相手かどうか、見極める力があってもよさそうですよね。でも、実はそういう人程、そうですねぇ、みかけの優しさに弱くて、何度も同じスパイラルに陥ってしまうんですよ。何でかなと思いますけれど、DVにはまる人は、次こそDVを避けようと思うからこそ、そう言う人をわざと見極めてしまうんですね。これが一種の勘かと言えば、それもそうですよね。
元々、そんなに理性のタガが外れる人は少ない。けれど、人格障害や、統合失調症や、明らかに病んでいる人に、「引き寄せの法則」と言われて、引きよって行くのは、やはり、どんなにどんな勘があっても、自分自身の位置が低すぎるんだと思いますよ。自己評価が低いとも言いますね。
けれど、ちゃんと人様に上手に出来るかできないかって事は、まず、自分がどうであるか考える方がいいんだと思います。私が、おおっぴらにヒーラーですと名乗らないのは、確かに今までの人で効果はあった。けれど、自分は自律神経を乱して、猛烈な好奇心で遊んでいる訳ですよ。人様に、そうですと名乗れる言われはありませんよね。やってみて、自分で「やってくれと請われたけれど、やらなきゃよかった」と思う事もあるんですよ。治したが為に、他の病が勃発した時ですかね。ちょうど良くバランスを保って、その人は病気でいた。そのバランスを崩せば、何かが起こる。自分は、それを含めて、見通して行わないとダメだなと思いますね。
確かにそういう人達はいる。けれど、ごく普通にあなたの隣人としている。あなたが必要だと思う思わないを別として、ごく自然に、ご近所さんとしている。その人が、鎮魂系で、毎晩、行列のできる霊相談所であろうと、その人は、普通に、何食わぬ顔で、子供の授業参観に出てくる。言ったか言わないかは、全て成果で決まると思います。普通できる人は、「言わなくても周りが解決しているから」。
強烈な事を言って、「自分が社会にメスを入れてやりました」と大上段に構える人も割と多い。私は自分がそこまで、社会に打撃を与えられる人間であるとは思わないです。けれど、何らかの、そういう発言の人の裏には、「何とかして、自分が目に見える形で、人から賞讃を受けたい」って気持ちがある。賞讃を受けたいってのも、野心の一つですからね。人間、サバイバルするのに、持っていた方がいいとは思いますよ。ただ、「何言ってんの?あなたが何の社会に?え?」とは思いますけれどね。
資本力のない人程良く吠える。能(脳)ある鷹は、爪を隠す。負け犬こそ良く吠える。
世の中、そんなもんじゃないですかね。それが普通で、何かの裏には何かあるもんですよ。さて、今までのブロガーさんの中にも、裏があるブログをやってきた人は凄く多い。時々、裏がないブログ主である自分は、何やってんだろうと思いますよ。けれど、裏がない事も必要じゃないですかね。世の中。
石の事も書きたいんですけれど、石を売るつもりかと思われると書けない。様々な物販のプロモーターかと思われたくないが為に、精神論や心霊話に走っちゃうんですけれど、秋になったんで、そろそろ、アウイナイト以外の石の話もしたいな。と言う訳で、霊能者の真実シリーズ「A面で恋をして」を終了といたします。
朋
さて、本当は霊能者の実態って事で書き始めた事なんですが、A面では、どういうクライアントが主に来るか、B面では、行う人たちの依存性について書きました。ボーナストラックでは、実際にいる本当に行える人の真実について書いていきましょうかね。
そもそも、こういう霊能者の世界って、割と師弟関係にあるか、もしくは、宗教法人が集団で持っていたりします。宗教法人も、浄霊とは呼びませんが、それ相応の事をし、熱心なカウンセリングを行います。お代は得てして無料ですが、後に凄く大きな代償を払う事となります。すなわち、入信です。
さて、色々な能力をもって生まれてくる事自体、大体、子供の頃等にも割と悲惨な経験を持った人たちが、その中で生き抜いてくるためにやむを得ず、開かなければならなかったサバイバルコードとして、超能力を持って来ています。別に不思議な事じゃありません。どこか欠けている性質の為に、どこかを補おうとして、能力自体が出てくるんです。
普通に騒ぐ人の横で、割と毎晩、予知夢を見て、それが現実に役立っていて、秘密秘密という人もいますし、自分の事を自分で行える能力がある人も、割と、視たり聞いたり、そりゃ、その能力が人に普通にはないと気がついた時愕然としたりします。自分の中の当たり前の感覚を、人にはそれがないと聞いて、呆然とするかと思います。
こういうどこか補う事がある人程、実は割と強い力を持っています。殆どが、健康を害した記憶のある人ばかりです。超能力ってのは、自律神経の乱れによっても大きく左右されるので、自律神経が安定していれば出ないのかと言われると、そうでもないと思います。健康を害し、自身が生きていく上で、最低限自分の健康を守れない人等が自ずと開いていきます。精神的に病むことではなく、肉体的な疾患の補助として出てきます。
気功ってのは、普通に誰でも呼吸して手のひらを意識して気を出そうとすれば、出来る事なんだと思います。けれど、健常者の気功と病気の人の気功の差の出方とすれば、言い知れぬ疾患を乗り越えてくる病気の人の方が強いのは、実践する場が多かった事や、やむを得ない開化の理由があると思います。昔は、盲目の方があんまという職業を行っておりましたが、大変に勘が冴えている人が多かったです。私自身も、そう言う人を見て育ってきましたが、勘の冴え方は尋常じゃないです。
さて、それでも、子供の頃から、既にサバイバルゲームになり、最終的に私たち人間の存在意義と言うのは、存在して自分の種を後に残す事が主目的です。ほかの動物を見てもそうです。人間だけ、悩むのかと申しますと、そうですねぇ、先日、クマの巣立ちをテレビで見たんですよ。アニマルプラネットという番組なんですが。クマの親子で、クマのお母さん、子供1匹という状態の家族の時に、あまりに鮭を取るのが母さんが上手だと、子供、ほんとにやらないんですよね。
子供が一生懸命やろうと思い始めるのは、その人生に、鮭にありつけなくてひもじい思いをするというサバイバルを体験した時ですからね。そのクマのお母さん、四苦八苦でしたし、自分は自分の分は取ったらすぐ食べてしまう。そうする内に、クマの子供が自分で取り始めましてね。
人間、誰しもサバイバルゲームの中なんですよ。その中で、様々な思いをしてくる。割り切れない人間関係、割り切れない暴力、割り切れない理不尽。その中で、暴力を加えてくる相手かどうか、見極める力があってもよさそうですよね。でも、実はそういう人程、そうですねぇ、みかけの優しさに弱くて、何度も同じスパイラルに陥ってしまうんですよ。何でかなと思いますけれど、DVにはまる人は、次こそDVを避けようと思うからこそ、そう言う人をわざと見極めてしまうんですね。これが一種の勘かと言えば、それもそうですよね。
元々、そんなに理性のタガが外れる人は少ない。けれど、人格障害や、統合失調症や、明らかに病んでいる人に、「引き寄せの法則」と言われて、引きよって行くのは、やはり、どんなにどんな勘があっても、自分自身の位置が低すぎるんだと思いますよ。自己評価が低いとも言いますね。
けれど、ちゃんと人様に上手に出来るかできないかって事は、まず、自分がどうであるか考える方がいいんだと思います。私が、おおっぴらにヒーラーですと名乗らないのは、確かに今までの人で効果はあった。けれど、自分は自律神経を乱して、猛烈な好奇心で遊んでいる訳ですよ。人様に、そうですと名乗れる言われはありませんよね。やってみて、自分で「やってくれと請われたけれど、やらなきゃよかった」と思う事もあるんですよ。治したが為に、他の病が勃発した時ですかね。ちょうど良くバランスを保って、その人は病気でいた。そのバランスを崩せば、何かが起こる。自分は、それを含めて、見通して行わないとダメだなと思いますね。
確かにそういう人達はいる。けれど、ごく普通にあなたの隣人としている。あなたが必要だと思う思わないを別として、ごく自然に、ご近所さんとしている。その人が、鎮魂系で、毎晩、行列のできる霊相談所であろうと、その人は、普通に、何食わぬ顔で、子供の授業参観に出てくる。言ったか言わないかは、全て成果で決まると思います。普通できる人は、「言わなくても周りが解決しているから」。
強烈な事を言って、「自分が社会にメスを入れてやりました」と大上段に構える人も割と多い。私は自分がそこまで、社会に打撃を与えられる人間であるとは思わないです。けれど、何らかの、そういう発言の人の裏には、「何とかして、自分が目に見える形で、人から賞讃を受けたい」って気持ちがある。賞讃を受けたいってのも、野心の一つですからね。人間、サバイバルするのに、持っていた方がいいとは思いますよ。ただ、「何言ってんの?あなたが何の社会に?え?」とは思いますけれどね。
資本力のない人程良く吠える。能(脳)ある鷹は、爪を隠す。負け犬こそ良く吠える。
世の中、そんなもんじゃないですかね。それが普通で、何かの裏には何かあるもんですよ。さて、今までのブロガーさんの中にも、裏があるブログをやってきた人は凄く多い。時々、裏がないブログ主である自分は、何やってんだろうと思いますよ。けれど、裏がない事も必要じゃないですかね。世の中。
石の事も書きたいんですけれど、石を売るつもりかと思われると書けない。様々な物販のプロモーターかと思われたくないが為に、精神論や心霊話に走っちゃうんですけれど、秋になったんで、そろそろ、アウイナイト以外の石の話もしたいな。と言う訳で、霊能者の真実シリーズ「A面で恋をして」を終了といたします。
朋