こんにちは。
気合立ち上るサイコパスワールドから、ちょっと逃避しての心霊話。本日は、主人がドン引きする私のある日についてです。
私、元々あんまり餡子って好きじゃないんですよ。もなかもそうですけれど、そんなに凄く食べたい訳でもない。と言うより、どっちかと言うとケーキが好きなのかな。で、ある日、買いモノに行った時、何だか凄く、餡子のおやつが食べたい。
私が、大福やもなかに見とれている間、その売り場の周りは、おばあちゃんで一杯だった。皆で、見とれて、どれにしようか考えていた。
結局、自分の理性を掘り起こし、ケーキが好きだから、ケーキにしておこうと考えて売り場を離れたんですね。理性ってのがあるから、私は衝動性に走らないんだと今までは考えていました。
ところが、その晩。やたらに食事の後に、餡子菓子が食べたい。ケーキでどうかと、砂糖でどうかと、砂糖なんてスプーンにすくって一杯なめてみた。自分の中の、餡子へのオマージュは収まらない。どうしても、餡子でなければならない。何故か、無性に、餡子でならねばならなくて、ちょっと主人に買って来てもらう事としました。
主人が言うんですね。ひょっとして、君は昨日、大福を食べたのを忘れたのかと。自分では思いだせないんですね。けれど、店が閉まる寸前に、夜中ひょっくり起きて来て、「大福が食べたい。」と言ったんだそうなんですよ。で、買って着たら、やたら大福を褒めそやして、いそいそ自分でお茶を煎れて、大福をお皿に乗せて、ひとり心地しているようだったんですね。それにドン引きしてた主人は、何で、今日も、スーパーで、餡子菓子の前に立っているんだか分からない。
けれど、やっぱり自分が買いに行く羽目になって、こう言うんですね。もう、大福なんて買わないよ。餡子のたっぷり入ったもなかでいいだろと。
買って来てもらえると、凄く餡子が輝いている(苦笑)。普段の自分じゃ考えられない程、餡子が凄く美しい。もなかをやっぱり、大事に皿に乗せ、お茶もいるだろうと考えた。もはや、こんな考え、普通の私にはない。普通の私だったら、そのまま、大福やもなかを食べて、牛乳飲んで終わりだ。
けれど、その日は、あんまりに涙が出るほど、餡子が食べたくて、買って来てもらえた(そもそも、いつもは自分で買いに出る)、その餡子が有難くて有難くてしょうがない。ひとり、お茶を煎れて、もなかを味わっていると、長男が叫んだ。
「お母さん、どこかのおばあちゃんみたいだね。」
・・・・・・・。
その一言で、ヘタレお母さんの理性スイッチが入った。
そう言われてみりゃ、おかしいじゃないか。自分で食べたがらないはずのモノを、何でお湯まで沸かして緑茶を煎れて、しかも、お菓子を皿に乗せて食べているんだ。一体、どこの人だ、私は何をしているんだ。
・・・・・・・。
けれど、餡子の甘さが口いっぱいに広がると、凄く涙があふれてきた。そうだ、こうやって、餡子を最期に食べたかった。我慢して我慢して、そうして食べないまま自分は終わってしまった。あぁ、なんて甘いんだろう。あぁ、なんて美味しんだろう。私自身の理性を吹き飛ばして、私は、泣きながら餡子を食べていた。
その後、お茶をすすって(今回はすすり方に癖があったらしい)、餡子を身を持って美味しいと感じ、「ありがとうございました」と礼を主人に言って、そうして、そのまま、ベッドに行って寝てしまった。もはや、息子も主人もこんな私に、慣れっこで、これがごく普通のお母さんだと思っている。
その翌朝、既に、餡子はいらない、やっぱりケーキ大好きな自分に戻っていた。自分の一生の中で、あんなに餡子が美味しく思える事は、もうないんじゃないかと思いつつ、恐らく、茶を飲む時に、あぁやってすする癖のあるおばあちゃんがいて、その方と共に餡子を味わったんじゃないかと思う。
しかしながら、あの餡子の味は、「天上の餡子」であった気がしてならない。自分ひとりじゃ、絶対味わえない味であったと思う。
朋
気合立ち上るサイコパスワールドから、ちょっと逃避しての心霊話。本日は、主人がドン引きする私のある日についてです。
私、元々あんまり餡子って好きじゃないんですよ。もなかもそうですけれど、そんなに凄く食べたい訳でもない。と言うより、どっちかと言うとケーキが好きなのかな。で、ある日、買いモノに行った時、何だか凄く、餡子のおやつが食べたい。
私が、大福やもなかに見とれている間、その売り場の周りは、おばあちゃんで一杯だった。皆で、見とれて、どれにしようか考えていた。
結局、自分の理性を掘り起こし、ケーキが好きだから、ケーキにしておこうと考えて売り場を離れたんですね。理性ってのがあるから、私は衝動性に走らないんだと今までは考えていました。
ところが、その晩。やたらに食事の後に、餡子菓子が食べたい。ケーキでどうかと、砂糖でどうかと、砂糖なんてスプーンにすくって一杯なめてみた。自分の中の、餡子へのオマージュは収まらない。どうしても、餡子でなければならない。何故か、無性に、餡子でならねばならなくて、ちょっと主人に買って来てもらう事としました。
主人が言うんですね。ひょっとして、君は昨日、大福を食べたのを忘れたのかと。自分では思いだせないんですね。けれど、店が閉まる寸前に、夜中ひょっくり起きて来て、「大福が食べたい。」と言ったんだそうなんですよ。で、買って着たら、やたら大福を褒めそやして、いそいそ自分でお茶を煎れて、大福をお皿に乗せて、ひとり心地しているようだったんですね。それにドン引きしてた主人は、何で、今日も、スーパーで、餡子菓子の前に立っているんだか分からない。
けれど、やっぱり自分が買いに行く羽目になって、こう言うんですね。もう、大福なんて買わないよ。餡子のたっぷり入ったもなかでいいだろと。
買って来てもらえると、凄く餡子が輝いている(苦笑)。普段の自分じゃ考えられない程、餡子が凄く美しい。もなかをやっぱり、大事に皿に乗せ、お茶もいるだろうと考えた。もはや、こんな考え、普通の私にはない。普通の私だったら、そのまま、大福やもなかを食べて、牛乳飲んで終わりだ。
けれど、その日は、あんまりに涙が出るほど、餡子が食べたくて、買って来てもらえた(そもそも、いつもは自分で買いに出る)、その餡子が有難くて有難くてしょうがない。ひとり、お茶を煎れて、もなかを味わっていると、長男が叫んだ。
「お母さん、どこかのおばあちゃんみたいだね。」
・・・・・・・。
その一言で、ヘタレお母さんの理性スイッチが入った。
そう言われてみりゃ、おかしいじゃないか。自分で食べたがらないはずのモノを、何でお湯まで沸かして緑茶を煎れて、しかも、お菓子を皿に乗せて食べているんだ。一体、どこの人だ、私は何をしているんだ。
・・・・・・・。
けれど、餡子の甘さが口いっぱいに広がると、凄く涙があふれてきた。そうだ、こうやって、餡子を最期に食べたかった。我慢して我慢して、そうして食べないまま自分は終わってしまった。あぁ、なんて甘いんだろう。あぁ、なんて美味しんだろう。私自身の理性を吹き飛ばして、私は、泣きながら餡子を食べていた。
その後、お茶をすすって(今回はすすり方に癖があったらしい)、餡子を身を持って美味しいと感じ、「ありがとうございました」と礼を主人に言って、そうして、そのまま、ベッドに行って寝てしまった。もはや、息子も主人もこんな私に、慣れっこで、これがごく普通のお母さんだと思っている。
その翌朝、既に、餡子はいらない、やっぱりケーキ大好きな自分に戻っていた。自分の一生の中で、あんなに餡子が美味しく思える事は、もうないんじゃないかと思いつつ、恐らく、茶を飲む時に、あぁやってすする癖のあるおばあちゃんがいて、その方と共に餡子を味わったんじゃないかと思う。
しかしながら、あの餡子の味は、「天上の餡子」であった気がしてならない。自分ひとりじゃ、絶対味わえない味であったと思う。
朋
合掌
結果的に、供養になっちゃったんですねぇ。私的には、思いがけぬ味に、嬉しいんですが、きっと一人で食べたら、
「味気ない」
んでしょうね。
ありがとう。