「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

発達障害について考えること その1

2014年04月14日 14時22分26秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~

こんにちは。

うちの実家は、高IQのアスペルガーが多い。IOが異様に高いか、異様に低く、精神遅滞までいるので、基本、発達障害に関しての守備範囲は広い。

わたしも、最近は自分のこと、高IQの発達障害だと思っているし、発達障害を悪く言う思いはない。だけれど、人間どこからが正常でどこからが未熟だなんて、誰が決めることでもないし、優秀なら優秀な場所で働けるかというと、それにも疑問が多い。

問題は、生きやすく生きられる場所があること、適材適所がいいのだと思う。

わたしの兄は、比較的コミュニケーション障害が強く、わたしの子供の頃も、コミュニケーション障害が凄く強かった。見た目で判断されることもあり、誤解されることも、性犯罪に巻き込まれることも多かった。しかし、わたしは、自分でコミュニケーション能力を強化した。

それが、論理思考である。

兄は、綺麗な数式を書くが、わたしは、言い訳がましい数式を作る。綺麗でわかりやすい数式は、表現技工のひとつだと気がついたのは、ITをやっていた頃だった。

人の綺麗なコードをいじって修正するのは簡単なことであるが、わけわからない言い訳じみたコードは、どこから修正したらいいかわからない。なんで、こんなコードを書くのかと考えたら、恐らく、「感情」がコードに入って、冷静に書けなくなるのだろうと考えた。

兄は、感情を抜く点では、感情をスッパリ切れる男であるので、そこから学ぶこととし、わたしも、何か言いたい時は、自分が「疲れていないか」「苦しくないか」「痛くないか」そこから考えていくこととした。大体、文句を言いたい時は、この3点を洗うと、必ず引っかかる。その際には、絶対に、言いたいことを言わないこととした。言わなければ、余計な討論や、余計な闘争を生まない。

理由なき感情はないので、感情の理由も洗うと、物を持って腰が痛かったり、思うように動けなかったり、人に振り回されたりする事が理由にあたった。

特に、わたしの実家では、母も父も兄も、熱中するとどこかへ離散する癖があるので、振り回される自分は疲弊してしまい、結局、家から早く逃げ出そうと考えた。

ところが、結婚してみた男も、結局は、発達障害ギリギリだなと思う面があり、マイペースで、他の人に配慮しない。その点に振り回され、いつもいつも、喧嘩があって、その都度、考えなおしてくれるかと思いきや、やっぱり彼は期待を裏切らず、自身のマイペースさを崩さない。

だったら、それに合わせるしかない。

家に、太陽が2ついることの辛さは、実家でよくわかっていたし、母は、出来る限り月になろうと、父を支えるために、自身の筆も一旦折った。けれど、母は、結局表現を変えただけで、太陽のままだったし、父は相変わらず20年先を追い求めたままの、夢追い人で、兄は、期待されたが期待にこたえるほどメンタルも強くなく、色々物事が起きてばかりだった。

気を張った生活の中で、わたしが、通学途中に注意力が散漫になって、事故に遭いやすかったのも、今ではよく分かるのである。

先日、NYから師匠が来る事があった。師匠に逢いたい、そう思って、アポを入れさせてもらった。師匠は、今や、アポ無しでは会えない天上の人なので、アポが入るかどうか不明だったが、アポがとれた。そこで師匠に言われた。家に、太陽は2つは存在できない。

そこで考えることがあった。

感情を抜いたとて、分かるほど分かるのは、わたしは、病気を抱えたせいで、体力がない。しかし、知力だけは抜群にあり、耳で聞けば、ドンドン覚える。だけれど、知力だけで働ける場所というのは、そうそうは存在しない。結果、おざなりになる部分が多かったので、わたしは、かねてより興味にあった仕事へと、移行した。

家の中に帰ってみると、息子がかなりの発達障害であるということが見て取れた。

余計なことを引き受けてくるというお節介な性質はないが、余計なことを考えだして、編み出すという性質はあった。

適切な表現方法を、長男に見つけさせないと、長男は潰れてしまうのだということも分かった。その表現が評価されないと、彼にとっても、とても良くないこともわかっていた。下の子は、表現方法をドラムという形にし、彼に少しずつアイテムを足した。案の定、下の子は伸びた。こんな能力は誰も持っていないと思うような、心当たりの無い能力にて、彼は伸びた。

しかし、長男は、インプットばかりでアウトプットが苦手である。

発達障害で必要なことは、インプットが必要であるが、適切なアウトプットがないと、自己卑下感が強くなるということだ。適切なアウトプットにて、適切に評価されないと、誰しもが潰れてしまう。そのアウトプット探しが、これからの仕事へ結びつくのだ。発達障害だからこそ、出来る仕事もある。

ところで、わたしは、在宅になったが、別に不満はない。

元々、職場で、すごいボリュームの仕事をこなしていたので、その際には、中々周りと話す時間さえなかった。逆に、その部署は、延々黙々と、ひたすら仕事しているという、中々周りから見ると印象の悪いチームだったし、打ち合わせさえも、分単位で切られる事が多かった。こんなことの共有、あんなことの共有は、皆、ランチで行う。

なので、特に、何か誰かと繋がらないと嫌ということはない。

むしろ、口を利かなくてラッキーとでも思っていると思う。

 

ところで、そんなところで、わたしは、自身の名に、朋があり、月があるので、月に合う仕事を探してきた。

 

快適なオフィスづくりの為に、先週末はゴミを捨てて綺麗にした。もう、仕事以外やることがない。そんな状態にした。根を詰めて仕事をするかと思ったが、意外に、自身でコントロールできるので、便利であり、そもそも、前倒し的に仕事をして、納品日前は、のんびりしているタイプなので、全く無理がない。

 

さて、発達障害ということについて、もう少し具体的な話をしていきたいと思う。

しばらく、お付き合いいただければ幸いである。

 

 

PS:最近、次男のドラムが上手なところを見て、主人に「わたしは、いつ間男したんだね。さっぱり心当りがないが、これは間男成分100%である」と言うことが多くなった。

主人側には、音楽が上手な奴はいないし、わたしはそもそも、ドラムが一番たたけない楽器であるしと言うことを母にこぼしたら、母が、「お前が小さな頃、音楽が上手で上手で、間男を疑われたんさね。心あたりがある人が周りにいなかったからよかったようなものの、鳶が鷹を産んだとは誰も言わなかったんだよ。そう言えばね。お兄ちゃんと住むことが決まった時、初めてお前が書きためていた日記を捨てたよ。幼稚園から書いていた日記を捨てたよ。」と言われた。

祖父は短歌、母は日本画、娘は音楽。確かに、間男を疑いたくなるのも無理は無い。

ところで、あの家、どこにそんなドラえもんのポケットみたいな収納機能があったんだろう。

あの時は、日記を書いてから寝ないと、寝た後に起きだして、「日記書くー!」って喚いたりして、確かに相当、育てにくい子であったと自身を深く思う。

その話を含めて次回で話しましょう。

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 息子のiPad その2 | TOP | 瞳のかげり ~母性本能を無... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~