「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

第3回ウォーキング「小鍋峠に古の松籟を聞く」の計画

2018年05月23日 23時11分39秒 | お知らせ
1 期日 平成30年6月16日(土)予備日17日(日) ※天気予報で当日の降水確率が30パーセントを越えたら延期

2 集合 河津町湯ヶ野町営無料駐車場(JA上河津支店向かい側の丘の上)

3 コース
  8:50集合→9:00参加者の車に乗り合わせて出発→下田市須原バス停「北の沢」9:30→須原の茶屋跡→ハリスの見た楠の孫の木→

9:40増田七兵衛が建てた道標→地蔵→大正時代の道標→八木山のサイの神→9:50八木山公民館前→10:30小鍋峠→普門院への道標→地蔵

→山葵沢跡→11:30石垣にはめ込まれた道標銘→11:50福田屋旅館(昼食)→河津川沿いの散歩道→13:00湯ヶ野駐車場



4 持ち物
 ・弁当   ・飲み物  ・菓子などの行動食  ・携帯電話 ・タオル  ・ハンカチ  ・テイッシュペーパー 
 ・携行用医薬品  ・財布   ・雨具

5 服装
 ・動きやすい長袖と長ズボンの衣類  ・底が厚めの運動靴  ・帽子  ・ストックまたは杖(必要な方のみ)

6 その他
 ・行動時間 約4時間 ・歩行距離 約4km ・小鍋峠の標高 約300m ・歩行高低差 約240m

 今回は、天城峠を越えて下田から三島までつながる下田街道を歩きます。

 この古道は、松平定信が2百数十名のお供を従えて伊豆巡検をした際に通った道です。また、自首した吉田松陰先生が江戸に送られる際に通った道でもあります。そして初代アメリカ総領事であったタウンゼントハリスが江戸に設置された総領事館に赴くために柿崎の玉泉寺を出発して通った道でもあります。その中でも、ハリスの日記に「下田街道においては天城峠の次に険しい。」と記してある小鍋峠を選びました。

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第2回ウォーキングの報告

2018年05月21日 18時20分34秒 | お知らせ
 5月なのに肌寒ささえ感じられる20日の日曜日。総勢9名の参加で、第2回ウォーキング「田牛の古道と峠を歩く」を実施しました。



 お借りした渡辺Y先生の畑駐車場を9時過ぎに出発。しばらく田牛のメインストリートを歩きます。かつてはこの川沿いに田んぼが広がっていたということですが、そんな風景は想像することができないほど、ふつうの林になっています。でも1つだけ、コンクリートの畦に囲まれた田んぼがありました。



 稲葉ホースファミリー前の三叉路に来ました。ここには、小屋の脇に文政五年に建てられた道標があります。向かって右側面に「是従 下田道」、左側面に「是従 手石道」と刻まれています。この「下田道」が、これから私たちが歩こうとしている古道の峠道です。
では「手石道」はどこなのか? それは今後の課題としましょう。



 途中、桑の実が黒く色づいていました。思わず手を伸ばす会員さん。私も一つ頬張りましたが、甘酸っぱい、懐かしい味がしました。





 さあ、いよいよ古道部分に来ました。車道がわずかに切り通しになっているところをよじ登り、分断された古道へと入ります。峠までは、古道は良好な形で残っています。



見ると、イノシシが水場や体のダニを落とす場所にしているという「ぬた場」があります。どうかイノシシが出ませんように…。



 古道に入って歩くこと約10分間。峠に着きました。それほど高い峠ではないのに立派な切り通しがつくってあるのは、やはりここが田牛側と下田側との境であることを明確にしたいがためでしょう。首が失われたお地蔵様が一尊、私たちを待っていてくれました。



 しかし、あたかもベンチュリー効果が働くかのように冷気が速度を増して切り通しを吹き抜けるのでとても寒いため、すぐに下田側の道を進みました。

 ここからは朽ちて倒れた竹が道に折り重なり、歩きにくいこと、この上ありません。皆さん這々の体で枯れた竹を踏み越えたり潜り抜けたりして進みました。



 お楽しみの古道探索は、これまでです。わずか30分ほどの冒険でした。何だか子どもの頃に山々を探検して回った記憶を思い出した会員さんもおられたようですよ。

 市道に出てからは、朝日地区の史跡巡りをしました。吉佐美の大賀茂川流域にはかつて海が入り込んでいたそうで、いくつかその名残が残っています。

 この祠がある岩は、昔は海辺に突き出していたのではないでしょうか。そしてこの辺りの字名が「安房条(あわんじょう)」というのは、千葉の廻船業者とつながりがあったためではないかと、考えられているそうです。



 残念ながらこの日は既に看板を見ることができませんでしたが、かつてここに「安房舟」という看板を掲げた民宿がありました。土地の古老によると、安政の大地震によって発生した津波により、安房の国の舟がここまで押し上げられてきたとか。

 また、「みなとや」という商店もあります。ここがかつて荷物を舟に積み込んだ店だったそうで、その名が郷土史を物語っています。

 次は吉佐美八幡神社を訪ねました。この地にはその昔、源頼政が流されており、八幡神社は頼政に縁があるらしいです。この地に幽閉されて暇をもてあました頼政が海辺で黒碁石そっくりの石を拾って村人と碁を打ったから、その石を拾った浜に「碁石が浜」と名が付いたらしいです。碁石が浜は、亜条浜とも呼ばれていると聞きました。私もかつて碁石に使えそうな石を拾いに行ったことがあります。

 次は、仏谷山寶徳院を訪ねました。このお寺は「十六羅漢 三十三観音」が祀られていることで知られています。今回は登りませんでしたが、お寺の険しい裏山には細い階段が作られ、お釈迦様のお弟子さんである羅漢様の石像があちこちに安置されているのです。そして石段を登り詰めると、海の神様である金比羅様の祠があります。

 そこからは「はまぼうウォークボード」を歩いて、吉佐美大浜に向かいました。左手には古代遺跡がある朝日小学校の裏山が見えます。今でも畑の土から矢尻が出るのでしょうか?



 橋を渡って大賀茂川の右岸に立ちますと、川砂が黒く染まっています。こちらにご実家のある会員さんのお話では、あれは砂鉄だそうで、かつては製鉄業者が集めにきていたそうです。



 大浜では、黒船祭のビーチバレー大会が行われていました。でもこの強風では、ボールが吹き飛ばされて難儀したことでしょう。

 風除けとなる休憩所の陰で昼食を摂り、海沿いの道をてくてく歩いて、田牛に戻りました。途中、田牛で過ごした修学旅行生を乗せたバス4台とすれ違いました。この子たちが下田青少年の家を使用していたんですね。駐車場として使う許可が下りない訳です。

 さあ、お疲れ様でした。午前9時08分に出発して、午後1時05分に帰着しました。歩いた歩数は、万歩計を腰から下げた会員さんの話では約1万歩。距離は概算で4km。休憩を含む行動時間は約4時間でした。

 今回が初めての古道歩きだった新規会員さんもおられましたが、いかがだったでしょうか? 

 古道歩きは、天候の影響を受けつつ、高低差あり、山あり谷あり、ゴミあり獣の足跡ありの、極めてストイックでマニアックなウォーキングです。でも、道沿いには、忘れられつつある郷土史や景色があり、訪ねる価値はとても大きいと思います。でも、もし少しでも面白いと感じられましたら、次回もご参加ください。そして新規会員さんもお誘いくださいませ。案内人はお待ちしていまーす。

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明日の駐車場所の画像です

2018年05月19日 12時34分15秒 | お知らせ
 駐車場所にお借りした渡辺Y先生の畑を紹介します。

 吉佐美の海岸通りを田牛に向かって走りますと、やがて左手に海が見えます。



 その浜から右折して田牛のメインストリートを北に進み、100mほど走りますと、こうした場所があります。長谷寺までいってしまうと、それは行き過ぎです。





駐車場所には渡辺Y先生の紫色のマツダが駐めてあるので、目印になると思います。午前8時30分頃から、入り口で案内人鈴木がお待ちします。
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本日土曜日のウォーキングは明日に延期します

2018年05月19日 00時25分19秒 | お知らせ
 前回お知らせしました通り、本日予定していましたウォーキングは、明日に延期しました。仮に今朝、雨が止んでも、今日は行いません。
明日は過ごしやすい天候とのことですので、明日、歩きましょう。お待ちしています。
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「田牛の古道」を歩く会は、20日日曜日に実施します

2018年05月18日 05時47分36秒 | お知らせ
 皆様おはようございます。今朝の天気予報では、明日土曜日の降水確率は60%で、あさって日曜日のそれが20%と出ていました。
したがいまして、明日19日のウオーキングは、あさって20日の日曜日に延期します。

20日日曜日の朝8:50に、田牛の渡辺先生の畑(駐車場としてお借りしてあります)にご参集ください。8:30より、案内人鈴木が現地でお待ちします。
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