「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

河津町天川(あまかわ)にて

2022年07月26日 23時56分52秒 | お知らせ
以前皆さんと歩いた、下田市と河津町をつなぐ広尾峠の古道は、河津町天川に下ります。

そこにはこの庚申塔が立っているのですが、側面に「現世安穏 後生善處」と刻んであります。








これは、「生きている間は安穏に暮らし、あの世では良い場所に行きたい。」という意味かなぁ、と思います。この塔を立てた願主の思いが詰まっているように思います。
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松崎町岩科の高野山に行ってきました

2022年07月17日 20時27分29秒 | お知らせ
松崎町の岩科には、修験道の場として知られた高野山があります。
八木山方面に進み、八幡神社の前を通り過ぎて、南伊豆町蛇石へ通じる道から分かれる細い林道を左に入ります。



途中、「右 山道 左 高野山」と書いてある道標が立っています。 



町が立てた案内板には、弘法大師や文覚上人もおいでになったと書いてあります。本当だろうか…。

とにかく里山から離れたこの地は周囲に大岩がそびえ、修験を積むのに適した場所と思います。ちょっと怖い雰囲気もありますけど・・・。






古道歩きの目的地としては、里から遠くてトイレがないので、不適だと思います。









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須崎の久七さん

2022年07月13日 22時42分38秒 | お知らせ
6月の「稲取史跡巡り」では三宅島二重遭難の碑を見ましたが、その際メンバーさんが「私が子どもの頃、稲取では結構海の遭難事故があった。」と呟かれたのが印象的でした。

先日、下田市須崎を歩いている時に、旭道院という曹洞宗のお寺に立ち寄りました。このお寺の境内には「海運さんの墓」があります。


海運とは戒名です。俗名は村松久七さん。江戸時代の船乗りで、当時乗っていた大坂の船が嵐によって遭難。黒潮に流されて、八丈島のはるか南にある絶海の孤島、鳥島に漂着しました。

久七さんは仲間と共にアホウドリの肉を食べるなどして生き延び、12年間を鳥島で過ごします。そしてそのうちの5年間を費やして船を作り、故郷に戻ったのです。

江戸時代の海運に用いた船は、千石船です。江戸幕府は鎖国政策をとっていたので、外国へと航海できる船を作ることを禁じていました。したがって造船や航海術は発達せず、戦国船は沈みやすい構造でした。

嵐に遭って船が漂流を始めると、船乗りたちは帆柱を切り倒し、自分たちの髷を切って、ひたすら神仏に無事を祈ることしかできなかったそうです。恐ろしいことですね。


ちなみに、記録によると、江戸時代に鳥島に漂着したのは久七さんだけでなく、下田に1人と岩地の権次郎という人がいたそうです。下田の人は無事に故郷に戻りましたが、岩地の権次郎は鳥島で暮らすうちに絶望して食べ物を拒み、餓死したとのことです。
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残念ながら閉館しているとのことです

2022年07月08日 23時38分59秒 | お知らせ
東伊豆町稲取の旧灯台は私たちの会で何年か前に訪れました。

その駐車場に一軒の民家があり、稲取灯台刺繍の家という名で、稲取灯台の復元記録や当主萩原さんの出征記などを展示してありました。


ところが、来館者およびボランティアガイドさんの減少により、2年ほど前に閉館したとのことです。残念なことと思います。


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下田市稲梓の蛇地蔵

2022年07月06日 22時58分35秒 | お知らせ
下田市稲梓の茅原野に「蛇地蔵」と呼ばれる小さなお地蔵様があります。


そのお地蔵さまは大きな岩に寄り添うようにして立っているのですが、大岩の上部には、蛇の形に似た窪みがあります。


この窪みには水が溜まっており、この水が涸れたら周囲の田んぼは不作になる、と言われているそうです。でも不思議なことに、この水はどんなに日照りが続いても涸れることがないのだそうです。


蛇地蔵様の不思議さ。茅原野の国道からすぐそこに見えますので、機会がありましたらご覧ください。
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