1 期日 令和2年2月16日(日) ※予備日2月23日(日)
2 集合 南伊豆町立南中小学校プール側駐車場 午前8時45分
3 服装 ・冬のウォーキングに適した服装 ・ウォーキングシューズ ・厚手の靴下 ・帽子 ・手袋
4 持ち物 ・水筒 ・財布 ・副食物 ・敷き物 ・ハンカチ ・ティッシュ ・携帯電話 ・簡易医薬品
5 コース概要
・集合 8:45南伊豆町立南中小学校(トレイ有り)プール側駐車場→9:00出発→9:30峠9:40→10:30日野の旧道→10:20ファミリーマート日野店(トイレ有り)→10:50青野川ふるさと公園(トイレ有り)→青野川沿いの桜並木→11:30道の駅「湯の花」(売店・トイレ有り)→12:00蕎麦切り「明日葉」にて昼食13:10→青野川沿いの桜並木→南中小学校13:40着・解散
・行動時間4時間40分 ・歩行時間3時間 ・歩行距離4km ・高低差100m ・トイレ5カ所(南中小学校、コンビニ店、青野川ふるさと公園、青野川遊歩道、蕎麦切り「明日葉」) ・難易度 最高難度を10とした時、5ぐらい
皆さんは、浜松に「姫街道」と呼ばれる、東海道の脇街道があるのをご存じでしょう。
今回は、案内人が勝手に「南伊豆の姫街道」と呼んでいる古道を歩きます。
なぜ南伊豆の姫街道なのか…? 説明しましょう。
今から390年ほど前の慶長年間のことです。京の都のお公家にある事件が起こり、関係一族に罰が下されました。お公家さんの娘、権典侍中院(ごんてんじなかのいん)仲子姫さまは伊豆に流され、新島を経て南伊豆町の二条という土地の名主さんの家で暮らすことになりました。姫は望郷の思いを切に抱きながら、遠い伊豆の空の下で年月を送りました(当時の伊豆への流罪は山の中に置き去りにするのではなく、土地の有力者の家に預けて都から引き離して淋しい思いをさせるのが目的だったようです)。
時は流れて14年後。ようやく公家に恩赦が出たので、姫も刑が解かれ、京に戻ることになりました。
ところで南伊豆で暮らすお姫様には、京から“お安(おやす)”という侍女がついてきていました。お安は自分と年の近い姫にとても親近感を持ち、熱心にお世話をするだけでなく、お姫様と心も一つになったように大切に思っていました。
しかしお安はその時、身重の体でした。しかたなく赤ちゃんが産まれて落ち着くまではこの地に留まることにして、一度は二条で姫をお送りしました。だがやはり下田まで行って船に乗る仲子姫をお見送りしたいと思い、お安は姫の歩いた後を一人、追いました。
二条から峠を越え、下田を目指して歩くうち、お安は徐々に体の具合が悪くなりました。そしてとうとう青市の上組の沢を越えているときに倒れてしまい、動けなくなりました。
まもなく村人に見つけられましたが、倒れたお安の体には蚊や蟹がなりたかり、それを手で払うこともできずにいたそうです。村人達の厚い手当を受けたにもかかわらず、とうとうお安はお腹の赤ん坊と共に命をつなぐことができませんでした。
後年、この話を伝え聞いたお姫様は京から青市に子安神社を勧進し、村人達にお安の供養を託しました。つい数年前までは上組の人たちの手によって神社の手入れやお祭りがされていたそうです。(出典は、南史会の会報『南史』) 画像は、私が過去に撮影した写真です。
このウォーキングコースの古道部分は、南中小学校から緩やかな峠を越えて南伊豆東小学校近くの日野(ひんの)に出るコースです。
帰りは青野川沿いの遊歩道を歩きますが、ちょうど南の河津桜が咲いていると思いますので、よいお花見ウォーキングになるのではないかと思います。
下の画像は、一昨年撮影した南の河津桜です。
6 昼食 今回はコースをおおよそ歩いた後、下賀茂にある手打ち蕎麦店に入って、皆さんで一緒に蕎麦を食べたいと思うのですが、いかがでしょうか? 価格は、「南の桜と菜の花祭り」が行われている期間の特別メニューの蕎麦が1600円ぐらいからあります。冷えたお弁当を戸外で食べるのにはつらいものがありますので、今回はこの提案をいたします。よほどの事情がない限り、ご一緒していただきたいと思います。よろしくお願いします。
2 集合 南伊豆町立南中小学校プール側駐車場 午前8時45分
3 服装 ・冬のウォーキングに適した服装 ・ウォーキングシューズ ・厚手の靴下 ・帽子 ・手袋
4 持ち物 ・水筒 ・財布 ・副食物 ・敷き物 ・ハンカチ ・ティッシュ ・携帯電話 ・簡易医薬品
5 コース概要
・集合 8:45南伊豆町立南中小学校(トレイ有り)プール側駐車場→9:00出発→9:30峠9:40→10:30日野の旧道→10:20ファミリーマート日野店(トイレ有り)→10:50青野川ふるさと公園(トイレ有り)→青野川沿いの桜並木→11:30道の駅「湯の花」(売店・トイレ有り)→12:00蕎麦切り「明日葉」にて昼食13:10→青野川沿いの桜並木→南中小学校13:40着・解散
・行動時間4時間40分 ・歩行時間3時間 ・歩行距離4km ・高低差100m ・トイレ5カ所(南中小学校、コンビニ店、青野川ふるさと公園、青野川遊歩道、蕎麦切り「明日葉」) ・難易度 最高難度を10とした時、5ぐらい
皆さんは、浜松に「姫街道」と呼ばれる、東海道の脇街道があるのをご存じでしょう。
今回は、案内人が勝手に「南伊豆の姫街道」と呼んでいる古道を歩きます。
なぜ南伊豆の姫街道なのか…? 説明しましょう。
今から390年ほど前の慶長年間のことです。京の都のお公家にある事件が起こり、関係一族に罰が下されました。お公家さんの娘、権典侍中院(ごんてんじなかのいん)仲子姫さまは伊豆に流され、新島を経て南伊豆町の二条という土地の名主さんの家で暮らすことになりました。姫は望郷の思いを切に抱きながら、遠い伊豆の空の下で年月を送りました(当時の伊豆への流罪は山の中に置き去りにするのではなく、土地の有力者の家に預けて都から引き離して淋しい思いをさせるのが目的だったようです)。
時は流れて14年後。ようやく公家に恩赦が出たので、姫も刑が解かれ、京に戻ることになりました。
ところで南伊豆で暮らすお姫様には、京から“お安(おやす)”という侍女がついてきていました。お安は自分と年の近い姫にとても親近感を持ち、熱心にお世話をするだけでなく、お姫様と心も一つになったように大切に思っていました。
しかしお安はその時、身重の体でした。しかたなく赤ちゃんが産まれて落ち着くまではこの地に留まることにして、一度は二条で姫をお送りしました。だがやはり下田まで行って船に乗る仲子姫をお見送りしたいと思い、お安は姫の歩いた後を一人、追いました。
二条から峠を越え、下田を目指して歩くうち、お安は徐々に体の具合が悪くなりました。そしてとうとう青市の上組の沢を越えているときに倒れてしまい、動けなくなりました。
まもなく村人に見つけられましたが、倒れたお安の体には蚊や蟹がなりたかり、それを手で払うこともできずにいたそうです。村人達の厚い手当を受けたにもかかわらず、とうとうお安はお腹の赤ん坊と共に命をつなぐことができませんでした。
後年、この話を伝え聞いたお姫様は京から青市に子安神社を勧進し、村人達にお安の供養を託しました。つい数年前までは上組の人たちの手によって神社の手入れやお祭りがされていたそうです。(出典は、南史会の会報『南史』) 画像は、私が過去に撮影した写真です。
このウォーキングコースの古道部分は、南中小学校から緩やかな峠を越えて南伊豆東小学校近くの日野(ひんの)に出るコースです。
帰りは青野川沿いの遊歩道を歩きますが、ちょうど南の河津桜が咲いていると思いますので、よいお花見ウォーキングになるのではないかと思います。
下の画像は、一昨年撮影した南の河津桜です。
6 昼食 今回はコースをおおよそ歩いた後、下賀茂にある手打ち蕎麦店に入って、皆さんで一緒に蕎麦を食べたいと思うのですが、いかがでしょうか? 価格は、「南の桜と菜の花祭り」が行われている期間の特別メニューの蕎麦が1600円ぐらいからあります。冷えたお弁当を戸外で食べるのにはつらいものがありますので、今回はこの提案をいたします。よほどの事情がない限り、ご一緒していただきたいと思います。よろしくお願いします。