前日の曇り空から一転して青空が広がった11月19日(日)。前日までの天候が回復した青空のもと、南伊豆町子浦の遊歩道を歩いてきました。
今回参加したメンバーは、私を入れて5名です。整備された遊歩道を歩くので、気持ちに余裕を持って出発しました。つづく
岩山につけられた階段状の歩道を上っていくと、金毘羅さんや稲荷さんの祠があります。信心深い子浦の人たちが立てたのでしょう。
最初の見どころは、子浦三十三観音です。水冷破砕溶岩が庇になっていて今にも落ちてきそうな場所に、33体の観音様やお大師様が並んでいます。
光背に刻まれた「十七番 石山寺」などの文字から、この三十三観音は、近畿地方にある西国霊場の写し霊場であると想像されます。観音様の柔らかな笑顔に癒され、歩みを進めました。
遊歩道から海側に下る道があり、滑らないように気をつけて降りていくと、やがて見晴らしの良い岬に着きます。そこには「ころばし地蔵」と呼ばれる3尊のお地蔵様が立っています。
「ころばし地蔵」とは、この地が帆船の風待ち湊として栄えた頃、なじみの客が港を出ていかないようにわざと地蔵様を倒して海を荒れさせた、という言い伝えがある地蔵様です。いかにも、という伝説ですが、古文書にそうした記載があることを聞いていませんので、のちの人たちが想像して作った話なのかもしれません。
道はこの辺りから上りが続きますが、ふうふういいながら歩を進めますと、登り切ったところには海を見渡す絶景が見られました。この辺りが子浦遊歩道の一番のビューポイントです。
冬が冷たい西風が吹き付けるのでしょう、木々が伸びずに斜めに傾いている様子が印象に残ります。
まもなく道は耕作放棄された畑の間を通ります。
日和山には明治8年に立てられた方角石があります。貴重な文化財なのに大きく欠けているのが残念です。
子浦遊歩道はマーガレットラインに出て、北側の終点となります。私たちは舗装された町道を下り、旧三浜小学校の前を通って、家々の並ぶ坂道を下りました。
地元の人に聞いた話によりますと、子浦と隣の落居を繋いでいた道はこの潮音寺の横を通っている道だそうです。
それから洋風の香りがする旧子浦郵便局の建物を見て港に出て、西林寺にある石垣りんさんのお墓に手を合わせました。
歩き疲れて腰を下ろしたのは、港の堤防です。晩秋の冷たい風に吹かれながら食べるお弁当は、冷たかったです。
つづく
今回参加したメンバーは、私を入れて5名です。整備された遊歩道を歩くので、気持ちに余裕を持って出発しました。つづく
岩山につけられた階段状の歩道を上っていくと、金毘羅さんや稲荷さんの祠があります。信心深い子浦の人たちが立てたのでしょう。
最初の見どころは、子浦三十三観音です。水冷破砕溶岩が庇になっていて今にも落ちてきそうな場所に、33体の観音様やお大師様が並んでいます。
光背に刻まれた「十七番 石山寺」などの文字から、この三十三観音は、近畿地方にある西国霊場の写し霊場であると想像されます。観音様の柔らかな笑顔に癒され、歩みを進めました。
遊歩道から海側に下る道があり、滑らないように気をつけて降りていくと、やがて見晴らしの良い岬に着きます。そこには「ころばし地蔵」と呼ばれる3尊のお地蔵様が立っています。
「ころばし地蔵」とは、この地が帆船の風待ち湊として栄えた頃、なじみの客が港を出ていかないようにわざと地蔵様を倒して海を荒れさせた、という言い伝えがある地蔵様です。いかにも、という伝説ですが、古文書にそうした記載があることを聞いていませんので、のちの人たちが想像して作った話なのかもしれません。
道はこの辺りから上りが続きますが、ふうふういいながら歩を進めますと、登り切ったところには海を見渡す絶景が見られました。この辺りが子浦遊歩道の一番のビューポイントです。
冬が冷たい西風が吹き付けるのでしょう、木々が伸びずに斜めに傾いている様子が印象に残ります。
まもなく道は耕作放棄された畑の間を通ります。
日和山には明治8年に立てられた方角石があります。貴重な文化財なのに大きく欠けているのが残念です。
子浦遊歩道はマーガレットラインに出て、北側の終点となります。私たちは舗装された町道を下り、旧三浜小学校の前を通って、家々の並ぶ坂道を下りました。
地元の人に聞いた話によりますと、子浦と隣の落居を繋いでいた道はこの潮音寺の横を通っている道だそうです。
それから洋風の香りがする旧子浦郵便局の建物を見て港に出て、西林寺にある石垣りんさんのお墓に手を合わせました。
歩き疲れて腰を下ろしたのは、港の堤防です。晩秋の冷たい風に吹かれながら食べるお弁当は、冷たかったです。
つづく
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