今回の参加者は8名で、南伊豆町下小野から石丁場のある峠を越えて、毛倉野に下りる古道を歩きました。
スタートは南伊豆町下小野の三島神社です。鳥居の前を通る道路から旧道が分れています。旧道を少し進んで、毛蔵野に行く道に入ります。
じきにマンガン鉱山の跡と言われている坑口があるので、中の様子を見てみました。
坑道の奥は8mぐらいの深さで、ごく小規模に掘った感じです。鉱山と言うより試掘跡だと思います。冬なのに内部は地熱のせいで温かく、カメラのレンズが曇ってしまいました。
古道に戻り、峠を目指して棚田の跡を歩きます。すぐ東の山裾には、この先の石丁場から石を運び下ろした簡易舗装路があるのですが、荒れているので歩くことはできません。
辺りは暗い杉林ですが、かつては棚田が作ってあったことが容易に見てとれます。そして、途中には、棚田に人が入っていた頃に使われていた水溜めの岩や炭焼き窯の跡、正方形に整形して穴を開けた謎の石が残っています。
峠が近くなると道の傾斜がややきつくなります。メンバーさん達が何かを見つけて声を上げているので、見てみたら、動物の骨でした。角があるから、鬼の骨みたいに見えました。実際は、小鹿の骨だそうです。
町道から歩き始めて30分ほどしていよいよぐぐっと道を登り詰めます。
人工的に形を整えた石が落ちています。辺りの雰囲気が変わりました。
そしてようやく峠の石丁場に着きました。メンバーさんは「こんなところに石切り場があるの?!」と目を丸くしてられます。
南伊豆町の郷土研究会「南史会」の機関誌『南史』によりますと、ここは「どんどん丁場」と呼ばれていた石切り場で、昭和40年ぐらいまで石を切り出していたそうです。
元はもっと深く掘り進めてあったと思われますが、今では事故防止のためにすっかり埋められています。石丁場がその稼働を止めてからは、子どもたちの遊び場になっていたそうです。
峠の石丁場をくぐって、毛倉野に向かいます。道は既に消えていますので、棚田の跡を下っていきました。
棚田は放置されて何十年もたっているようで、今は湿地になっています。この水たまりは、イノシシが体のダニを落とすために体をこすりつけるヌタ場でしょうか?
木から垂れ下がっているツルを見たメンバーさんが「ツル細工の素材に使えるかもしれないね。」と引っ張ったら、ブチっと切れて落ちてきました。
かと思えば、太いツルをブランコ代わりにして遊ぶメンバーさんもいました。童心に帰る古道歩き、よいですねー。
古道は棚田跡の脇にありましたが今はほとんど消えていますので、こうした荒れ地を下っていきます。
毛倉野地区の町道に出たら、古道歩きは終わりです。河津桜のピンク色と菜の花の黄色がよい組み合わせで目を楽しませてくれます。
町道に出たところに、岩殿寺があります。今は無住の小さなお寺ですが、戦国時代までには大伽藍をもつお寺だったそうで、豊臣秀吉が小田原攻めをする際に焼き討ちにあったために今のような姿になって、今に至るそうです。
県道119号線の旧道には、古民家が残っています。この大正時代に立てられた家屋を改修している人がいるとか…。うまくリフォームできるとよいと思います。
道沿いのご婦人が工夫して切り干し大根を作っておられるので、話を聞きました。こういう触れ合いも楽しい古道歩きです。
そうして出発地点の三島神社に戻り、南伊豆町立南中小学校の東屋に移動して、昼食をとりました。
現地での行動時間3時間、歩行距離約3kmの、ゆるくて楽しい古道歩きでした。(参加者8名)
スタートは南伊豆町下小野の三島神社です。鳥居の前を通る道路から旧道が分れています。旧道を少し進んで、毛蔵野に行く道に入ります。
じきにマンガン鉱山の跡と言われている坑口があるので、中の様子を見てみました。
坑道の奥は8mぐらいの深さで、ごく小規模に掘った感じです。鉱山と言うより試掘跡だと思います。冬なのに内部は地熱のせいで温かく、カメラのレンズが曇ってしまいました。
古道に戻り、峠を目指して棚田の跡を歩きます。すぐ東の山裾には、この先の石丁場から石を運び下ろした簡易舗装路があるのですが、荒れているので歩くことはできません。
辺りは暗い杉林ですが、かつては棚田が作ってあったことが容易に見てとれます。そして、途中には、棚田に人が入っていた頃に使われていた水溜めの岩や炭焼き窯の跡、正方形に整形して穴を開けた謎の石が残っています。
峠が近くなると道の傾斜がややきつくなります。メンバーさん達が何かを見つけて声を上げているので、見てみたら、動物の骨でした。角があるから、鬼の骨みたいに見えました。実際は、小鹿の骨だそうです。
町道から歩き始めて30分ほどしていよいよぐぐっと道を登り詰めます。
人工的に形を整えた石が落ちています。辺りの雰囲気が変わりました。
そしてようやく峠の石丁場に着きました。メンバーさんは「こんなところに石切り場があるの?!」と目を丸くしてられます。
南伊豆町の郷土研究会「南史会」の機関誌『南史』によりますと、ここは「どんどん丁場」と呼ばれていた石切り場で、昭和40年ぐらいまで石を切り出していたそうです。
元はもっと深く掘り進めてあったと思われますが、今では事故防止のためにすっかり埋められています。石丁場がその稼働を止めてからは、子どもたちの遊び場になっていたそうです。
峠の石丁場をくぐって、毛倉野に向かいます。道は既に消えていますので、棚田の跡を下っていきました。
棚田は放置されて何十年もたっているようで、今は湿地になっています。この水たまりは、イノシシが体のダニを落とすために体をこすりつけるヌタ場でしょうか?
木から垂れ下がっているツルを見たメンバーさんが「ツル細工の素材に使えるかもしれないね。」と引っ張ったら、ブチっと切れて落ちてきました。
かと思えば、太いツルをブランコ代わりにして遊ぶメンバーさんもいました。童心に帰る古道歩き、よいですねー。
古道は棚田跡の脇にありましたが今はほとんど消えていますので、こうした荒れ地を下っていきます。
毛倉野地区の町道に出たら、古道歩きは終わりです。河津桜のピンク色と菜の花の黄色がよい組み合わせで目を楽しませてくれます。
町道に出たところに、岩殿寺があります。今は無住の小さなお寺ですが、戦国時代までには大伽藍をもつお寺だったそうで、豊臣秀吉が小田原攻めをする際に焼き討ちにあったために今のような姿になって、今に至るそうです。
県道119号線の旧道には、古民家が残っています。この大正時代に立てられた家屋を改修している人がいるとか…。うまくリフォームできるとよいと思います。
道沿いのご婦人が工夫して切り干し大根を作っておられるので、話を聞きました。こういう触れ合いも楽しい古道歩きです。
そうして出発地点の三島神社に戻り、南伊豆町立南中小学校の東屋に移動して、昼食をとりました。
現地での行動時間3時間、歩行距離約3kmの、ゆるくて楽しい古道歩きでした。(参加者8名)
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