「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

次回の古道歩きは「風待ち湊 下田街歩き part2」です。

2019年12月23日 23時19分28秒 | お知らせ
皆様、おはようございます。前回歩いた「風待ち湊 下田街歩き」の写真が載せてありませんで、ごめんなさい。

1月の古道歩きは、「風待ち湊 下田街歩き」の後編を歩きます。

1 日時 令和2年1月18日(土) 予備日19日(日)

2 集合 下田市道の駅ベイステージ下田 無料駐車場の東側部分の、公共トイレがある広場 午前8時45分

3 コース
・8:45集合ベイステージ下田(トイレ有り)→出発9:00→間戸が浜海洋公園(トレイ有り)→9:30吉田松陰先生海踏の碑と弁天島(トイレ有り)→10:00明治の蒸気船石炭補給桟橋跡→10:10震洋格納庫跡→吉田松蔭先生上陸地の記念碑→10:30ペリー艦隊船員の洗濯場所跡→異人との赤子供養地蔵10:50→11:20玉泉寺(トイレ有り)→12:50ベイステージ下田着(トイレ有り)→解散 

4 持ち物と服装 いつもの通り。ただし弁当は不要です。寒い季節なので、戸外で食べるのはつらいですから。副食物や飲み物はご持参ください。

5 見どころ
 ①吉田松陰先生海踏の碑と弁天島
  1854年3月、松蔭先生はお供の金子重輔と共に弁天島から小舟で漕ぎ出し、ペリー艦隊に乗って米国への渡航を試みました。しかし断れ、仕方なく柿崎の浜に戻ってきました。その足跡を追います。

 ②明治の蒸気船石炭補給桟橋跡
  資料を見たことはないのですが、かつてここに石炭を船に補給するための倉庫と桟橋があったそうです。その石積みの橋脚が残っています。

 ③震洋格納庫跡
  太平洋戦争中、ベニヤ板で造った小さな特攻艇「震洋」が伊豆半島の沿岸各地に配備されました。その震洋の格納庫が海沿いの岸壁に掘られました。その格納庫である洞窟がここに残っています。

 ④吉田松陰先生上陸の碑
  ペリー艦隊に乗船を断られた松蔭先生は、ポーハタン号のボートによって柿崎海岸に送られました。その上陸地点に碑があります。

⑤ペリー艦隊水兵の洗濯場跡
 下田に停泊したペリー艦隊の水兵は上陸を許されたので、ここで洗濯をしました。小川の流れをジグザグにして両岸に石を嵌め、多くの兵士が効率よく洗濯をするように工夫されていました。残念ながらその設備は埋め立てられてしまい、見ることはできません。

 ⑥米国水兵の赤子供養地蔵
 ペリー艦隊の水兵と日本人女性との間にできた赤子を葬ったと伝わる供養地蔵が立っています。しかし光背に刻まれた年号を読むと、ペリー来航より古い時代のお地蔵様であることが分かるので、想像に任せて伝わっている話のようです。

 ⑦玉泉寺
  日本における初代米国領事館が置かれたお寺です。駐留したのは、タウンゼントハリス総領事。客死した黒船の乗組員のお墓などがあります。
 
6 その他 
 ・公共のトイレは5箇所あります。①ベイステージ下田 ②間戸が浜海浜公園 ③④弁天島の船着き場 ⑤玉泉寺  
 ・寒い冬ですので、お弁当は現地で食べません。周辺に食堂がありますので、自費でおとりください。もちろん帰宅されても結構です。ベイステージ下田内の食堂に入って、みなさんで食べるのもいいですね。その場で相談しましょう。
 ・欠席される方は、係の先生にご連絡ください。
 ・前日の天気予報によって実施日の降水確率が30%を越えたら、実施を延期します。30%までなら、ウオーキングを行います。このサイトで極力情報を流しますので、ご覧ください。
 ・歩行距離 約3km ・高低差10m ・難易度1(最高難度を10とした時)

たくさんの会員のご参加をお待ちしています!
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