「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

第5回古道ウォーキング「南伊豆町青市の学童トンネルをくぐる」報告書

2019年11月17日 02時25分41秒 | お知らせ
晴天に恵まれた11月16日。温かい秋の陽光を感じながら、南伊豆町の古い隧道を歩いてきました。

まずもって、この日が南伊豆町ウルトラマラソンが行われる日であったため、案内人がお知らせした南伊豆町ふるさと公園の駐車場が使えず、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。

という訳で、出発地点は、南伊豆町立南伊豆東小学校になりました。

集まったのは、古道歩きに情熱を燃やす精鋭の10名。軽く準備体操をして、県道を北に歩き始めました。


コメリの前を通り、農協の直売場に立ち寄り、青市中組から県道を離れて古道に入ります。




古道というと、荒れた道とか悲惨な廃道とかいうイメージがあります。だからこそ歩く楽しみがあるのですが、ご安心ください。今回の古道歩きは、難易度が低いです。木の枝が道に落ちているとはいえ、僅か10分も歩けば、峠に着くのです。


途中で山神様の祠を見たり自然石の道床を削ってつけた石段を見たりしながら、すぐに下り尾峠に着きました。

そこで待っていたのは、明治時代に掘られたトンネルです。


不思議でしょう? トンネルは目を引くものの、峠の頂上はすぐそこにあるのです。

ここで皆さんにこのトンネルを掘った訳を考えていただきました。

「トンネルを掘れば通学路としてよいし、切り出した石材を利用することができたから。」や「石工の仕事を確保するため。」などの考えが出されました。「通学途中の雨宿りをする場所になったから。」という考えには、頷けるものがあると思いました。


トンネルを下ると、すぐに青市公会堂があります。そこで休んでいると、公会堂の掃除をしている男の人がいました。ご親切にもトイレを貸してくれ、かつてここにあった小学校の校舎のことも話してくれました。校舎があった頃は、映画会を催したそうです。そして玄関には、かつてこの地にあった石門寺の解説地図が掛けられていました。

平安時代、南伊豆町のこの辺りは「蒲屋御厨(かばのみくりや)」と呼ばれ、海が深く入り込んでいて、海上交通の要だったそうです。そのため、都から入ってきた仏教文化が根付き、石門寺が建てられたということです。

公会堂の前で記念写真を撮り、男性にお礼を言って、町道に下りました。


それから、一段高いところにある庚申堂跡に上り、60年ごとに建てられた庚申塔や、お坊さんのお墓である無縫塔や、馬頭観音や、行路供養塔などを見ました。

その近くには、石門寺の説明板が立っています。


「じゃあ、その道を辿って行ってみる?」という声が上がったので、洞に入ってみました。でも、道は行き止まりになり、そこには竹藪が広がっているだけ。トホホのホ、です。

しかたなく町道に戻ると、私たちと同じ出で立ちをした男性が道に立っています。あれ? M川先生ではありませんか! 

お話を聞くと、青野川の駐車場に車を駐められなかったので農協に駐めて、地図を頼りに私たちの後を追ってこられたとのこと。学童トンネルをくぐって、ここにおいでになったとのことです。奇跡とも言える合流でした。


それからまた農協の直売所に寄り、みかんなどを買って、東小学校に戻りました。


昼食を食べながらの反省会では、3時間ぐらいの行動時間で古道を楽しめる計画がいいなー、という話が聞かれました。

という訳で、次回12月の古道歩きは初めの計画「大賀茂の古道を歩く」を変更し、「下田 町中歴史散歩」を行います。楽しみにしていてくださいね!(総参加者数11名)
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