「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

第6回「蓮台寺ー相玉」報告

2018年02月17日 23時30分06秒 | お知らせ
 晴天に恵まれた2月17日土曜日に、第6回の古道を歩く会「蓮台寺-相玉」を歩いてきました。
 前回歩いた「東浦路の下田街道」は伊豆半島の東海岸を通っている道ですが、今回歩くのは「天城路の下田街道」。
三島大社を起点として天城を越え、下田に至る道です。
吉田松陰は下田港で黒船に乗ることができず、自首したために、唐丸籠に乗せられて江戸に送られました。
その時に通った道が、この天城路の下田街道です。

 今回の参加者数は私を含めて11名。集合場所の稲生沢小学校を出発して、まず吉田松陰寓寄処に寄り、
専属ガイドさんの話を聞いて松陰先生の足跡に思いを馳せました。









 こうした史跡で解説をするガイドさんは、あれもこれも教えたいと、話が長くなりがちです。
引率者の私としては、いつ解説が終わるのか、次に行く予定時刻に間に合うのか、やきもきしてしまいました。



 見学に30分ほど費やし、いよいよ古道に足を向けます。蓮台寺の旅館街を抜け、広台寺の前を通って、日鉱寮の門をくぐりました。
ここからは林道に姿を変えた古道を歩きます。





 山田の跡を左に見ながら15分ほど歩くと、砂防ダムの下に題目塔があります。
現代工事の前に古道は無視されがちになるのですが、石塔が撤去されなかったのは救いです。



 林道の終点には、「右 みしま道 左 まつざき道」の道標銘が立っています。ここで小休止。



ここから古道は倒木や石の多い荒れた山道になります。



 倒木や石や湧き水などに足を取られながら歩くこと約20分間。峠近くにある庵の跡と三尊のお地蔵様に着きました。



 下田街道はここから相玉のガソリンスタンド付近へと下りますが、今回は左に折れ、藤原山の麓をかすめて、
バス停1つ分松崎に近い龍門院に出る道を歩きます。

 と、この辺りから徐々に風が強くなってきました。木々はざわざわと騒ぎ、空はひゅうひゅう鳴いています。
藤原山の東斜面は、道が一番荒れている部分です。少し間違えば足を滑らせて谷に落ちるし、朽ちた竹が倒れて道を塞いでいます。





今回初のご参加の方は、さんざんな古道デビューでしたね。大変お疲れ様でした。他人事のように言ってすみません。



 やがて到着したのは、「右 奥の院 左 不二原山(?)」の道標です。県道沿いにある龍門院から奥の院をお参りする人のために
立てられたと思われます。すでに藤原山の頂にある奥の院に至る道は消滅していますので、急な山肌を強引に登るしかありません。
時間が限られているため、今回は行きませんでした。



 ワサビ沢の跡や山田の跡を見ながら、荒れた道を下ること15分。ようやく相玉の家々が見えました。
ここで古道は旧松崎往還と合流します。部分的に残っている旧街道には往事の道幅がそのまま残っていますが、
歩く人はほとんどいないように思います。



 帰りに乗るバスの時刻が迫っているため、最後の見学地である庚申堂(龍門院)には境内にちょっとお邪魔しただけで
石段を下りることにしました。秋にはこちらの公孫樹(銀杏)が、それはそれは見事に色づきます。
バス停から松崎寄りに100mほど進めば車で入れますので、ぜひ見においでください。
住職さんはおられないお寺ですが、その際はお賽銭をお忘れなく。
伊豆霊場八十八カ所の四十七番札所にもなっていますので、運が良ければ巡礼さんと遭遇するかも知れません。



 やがてやってきた12時19分のバスに乗り、出発地の稲生沢小学校に戻りました。



ここでお弁当を食べる予定でしたが、あまりに強い風に断念。それぞれ帰路に着きました。
行動時間3時間40分、歩行距離は約5.5km、歩行高低差約240mの行程でした。





 次回は、今年度の最終回「加増野の信仰の山“吾妻さん”と旧松崎往還を訪ねる」です。
 加増野ポーレポーレ(旧加増野小学校)駐車場に8:45集合です。後日、計画表を掲載しますので、ご覧ください。
あ~、古道歩き、楽しかった!
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