日々のあぶく。~息子と猫と時々 あたし~

2児と3匹の母ちゃんデス(*´∀`)♪ 切り絵や多肉植物とか… 気になる事が多すぎて困ってます(/ω\*)

レンの月命日なのに、とうとう離婚する・・・

2014-10-31 13:54:02 | 我が家のニャンズ【クルと レンと きなこ】



・・・という を見まして、
今朝 見事に寝坊しましたヾ(´▽`;)ゝてへっ!



それがもう、
なんだか とてもヘンテコな夢で。


いや、
夢というものはそもそもが
色んな記憶やら潜在意識のパッチワークだから
ヘンテコなもんですがね (((^^;)




夫と… 多分あれは長男坊?と一緒に歩いていたのに
すごい人混みの中、
三叉路で私がふとカバンの中から
何かの探し物をしようと立ち止まったら
夫と息子は私を置いて さっさと先に行き、
私は迷子になってしまって。



で、
スマホを取り出して連絡をしようとするも
電波が一切なくて。



そうこうしているうちに、
以前よく見ていた夢の中に入り込んでしまったようで・・・


という表現は
夢を見ている最中におかしいかもしれないけれど。


でも、
以前よく見ていた夢の中の町並みに
気付いたら迷い込んでて
『前はこの角を曲がったら〇〇さんが住んでた』と
以前の夢の記憶をたどって
知り合いに逢いに行こうするんですが、
もうそこには“その人”は居なくて。



最近 facebookを始めて
本当に懐かしい人とまた連絡を取り始めたりしたのが影響したのか?

短大の頃のメンバーが
みんな集まって わいわい♪やってるところに
迷い込んだりもして。




で、
何だかんだあって。


やっと夫の居る場所に
どうにかこうにか辿り着くんですが、
夫は長男坊と次男坊と、
あとそれから知らない2、3人と一緒に
カラオケボックスで熱唱していて。



それを見た私が
『何これ?アホらし!』と一言吐き捨てて
その場を去るんです(笑)



そうしたら
夫が何故か怒りながら後を付いてきて
何と言ったかはもう覚えてないですが
何しか、夫の方が離婚を切り出してきて。


それで、
その『もう離婚や!』的な言葉に
私がした返答が
『そんなちゃんちゃら可笑しい冗談は却下しまーす♪』と
何故か 大爆笑してるんです、私は (°Д° )



どんな心理で、
しかも何故 離婚を拒否したのか???




んー・・・ ( ̄-  ̄ )y-~~~






現実の私は
理解に苦しむんですが(笑)





その後、
その以前よく見ていた夢の中の
町並みを歩いていたら
2匹の野良ちゃんが仲良く並んで
ご飯を貰っている後ろ姿を見て、

『あっ!
こんなゆっくり こんな場所を
ウロウロしている場合やない!
クルのご飯、用意して出てこなかった!
早く帰ってクルにご飯 あげないと!!!』




・・・と思ったら
それで目が覚めたんです(^ー^;)









・・・と、
そんなヘンテコな夢を見てまして
すーっかり朝寝坊してしまいましたが( ̄Д ̄;)



長男坊が生徒会に立候補して、
週明けには選挙があり
朝 登校時に門の前に立って挨拶をする
…という選挙活動を
毎日続けておったのですが・・・



学校としては遅刻じゃないですが、
その門の前に立って挨拶をする…という活動は
今朝は完全にアウトでしたな、長男坊よ( ̄∀ ̄)



ほんと、すまんね・・・
だから、母ちゃんをそんなに信用してはならんのだよ( ̄▽ ̄;)アハハ…





そんなアカン朝を迎えてしまった
今日だけど。


昨日は
9月30日に逝ってしまった
レンの月命日。


ようやく?
1ヶ月が過ぎました。







1ヶ月前。

クルに初めて
台所に貼った レンの遺影代わりの写真を
抱っこして見せたとき、
クルは身体を“ビクッ!”とさせ
目をまん丸に見開いて
身体を乗り出して
そのレンの写真に顔を近付け
お鼻をヒクヒクさせて
ニオイを嗅ごうとしました。


まるで
『なんだ、こんな所に居たの!?』
とでも言うように、
レンの写真に顔を近付けたものの・・・



そのレンからは
レンのニオイはせず。


動かない 平面のレンを
さすがのクルもすぐに違うと認識し、
すぐに“素”の表情に戻り
とても元気なさげに私の胸に顔を埋めました。





それから、
時を同じくして 不思議なことに
裏庭にレンと同じく茶トラの野良ちゃんが
度々 来るようになったんです。




その度にクルは
良くも悪くも興奮し・・・




逆にその子に裏庭で鉢合わせして
そのままその子を追い掛けて
ついて行ってしまわないか?…と
本気で不安に思っているのですが。






1ヶ月前。


『死後硬直が始まる前に
箱におさめてやらなくちゃならない!』と
大泣きして レンを抱っこして離さなかった私に
父が強い口調でさとし、
本当に断腸の思いでレンを下ろした私。







その夜も、
翌日 火葬場に連れていく前も
火葬場に着いてからも。

『もう一度だけで良いから
こんな箱からレンを出してやって
たった一度で良いから
ギュッと抱きしめてやりたい!』


そんな衝動を 必死で抑えたのを、
その時の想いのままに
抱きしめてやれば良かった・・・と
今更ながら 後悔していますが。





『台所の写真のレンはレンじゃない!』

一度そう認識したクルは、
以来 一切写真のレンを気にしなくなりましたが、
月命日だった昨日、
いつものようにクルを抱っこして
台所をウロウロしていたら。


ふいに身体を乗り出して、
レンの写真に顔を近付けようとしました。




きっと、
レンの魂は まだ家の中に居るんです。


昨日は月命日だったので、
そのレンの魂が 特別大サービス(?)で
写真の中に少しだけ魂を宿したのかな?




そんな風に思いました。









レンが逝ってしまって3日間は
寝ても覚めても 泣き通しました。


でも、
ふと?

いや、
ふわっと?



レンが私に寄り添ってくれる感じを
理屈や言葉では表現出来ませんが
『感じた』んです。



あ、
そばにレンが居る!




そう、
自然に感じたんです。



それからは
あの泣き通した3日間は
あれは一体 なんだった???
私って薄情の塊か???

・・・と自分でも思うぐらい、
涙が止まったんです。






もちろん今でも 寂しいし、逢いたいし、
やはり涙が込み上げてくることは
日常の中で 多々ありますが。

それでも、
やはり『そばに居る!』と染み渡るように感じられる
この不思議な感覚と、
寄り添ってくれるクルに支えられて・・・










無事に 月命日を
穏やかな気持ちで迎えられました。




いつも見守っててくれて
ありがとうね、
レン & クル (*´ω`*)














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4週間が経ちました

2014-10-27 11:51:35 | 我が家のニャンズ【クルと レンと きなこ】

前回の更新から
気が付けば2週間が過ぎていました。


そして、
レンが逝ってしまってから
今日で四七日忌、
つまり4週間になります。





4週間。

もうそんなに経ったのですね…




正直、
レンに関する時間の経ち方は
私の中では その時々で変化します。
つい昨日の事のようだし、
もうずっとずっと昔の事のようにも思えます。
とても不思議な感覚です。




けれど
レンが逝ってしまってからも
人間の子供たちや
残ったクルの世話に追われていると…



気が付けば
今日に至ります。

そんな感じです。








この4週間、
本当に色んな感情が動きました。


まずは何と言っても
哀しみ。




亡くなった翌日の10月1日に
実家の歴代の飼っていた犬たちも
お世話になった火葬場で
レンを送りました。


長男坊も午前中は学校を休んで
一緒に山に付いてきました。


私はその火葬場の場所を知らなかったのと
取り乱して まともに車を運転できる
状態ではなかった事もあり
私の父の運転で、
私がずっとレンを膝に抱きながら
火葬場まで行きました。



山越えの道の途中の
ほぼ山の中に火葬場はありました。


とてもじゃないけれど、
きれいに整備された火葬場…とは言えず、
実家の歴代の犬たちがお世話になったと
知らなければ、正直ちょっと
『ここ大丈夫か?』と不安になりそうでしたが。


山の中を流れる川の脇に
何だか素人が描いたような…
きっと“虹の橋”をイメージしたであろう
ちょっと かなり残念な絵が
えらく“場違いさ”を醸し出していた、
そんな火葬場でした。




写真の残念そうな絵が描かれているのが
焼き場です。

手前でうなだれているのが長男坊。






当日はよく晴れた日で、
山の中の木々の間から見上げた空が
やたらきれいだったのを覚えています。



そんな中、
レンの身体はその形を白い骨に変えました。
でも、悪かった心臓の辺りの骨は
やはり真っ黒でした。



当然のことながら
全骨を連れて帰ってやりたかった私でしたが
一緒に来ていた私の両親から
もの凄い反対をされました。



理由は…

また話すと長くなるので
両親なりの亡くなった後の諸々に関する
譲れないやり方があるんです、
それは私も娘ですから分かっていましたが。


でも、
私の長男坊も交えて
全骨を連れて帰りたい私と長男坊、
それに大反対する父と母で
一触即発の空気が張り詰め、
レンのことでこんな状態になる事が
その時の私にはレンに申し訳なくて。



結局、
長男坊の提案で
どうしても!…という部位の骨は
家に連れて帰って、
あとの骨は実家の犬たちと一緒に
この火葬場で共同供養をしてもらう事にしました。



長男坊と決めたのが
レンのトレードマークだった鍵シッポの骨、
腰のツボ(百会とかいう?)を
小刻みにトントンしてもらうのが大好きだったので
その腰のあたりの骨、
私のお腹をモフモフしたり
私の肩にぎゅーっとしがみ付いてくれた
可愛いカワイイ前足の骨、
私のおでこにいつまでも押し付けてくれた
レンのおでこ、つまりは頭蓋骨。




今から思えば
やはり全骨を一緒に連れて帰りたかった想いは
正直、今現在も断ち切れなかったりするし、
他のどこの骨か分からない小さな骨も
お骨壺のすき間に入るだけ全部、もっともっと
欲張って入れてやればよかった…と
後悔が残っていますが。



それでもあの冷静な思考力のない時に
逆に冷静だった長男坊の提案で
“レンと言えば”という部位は
一緒に連れて帰って来られたので
あれがあの時の状況を含めて
最善の選択だったのだろうと思います。



一番小さなお骨壺に
長男坊と2人で骨を拾い、
家に帰って来たのが
何だかんだでお昼でした。



文化祭の練習やら準備やらがあった長男坊は
お昼ご飯を慌てて食べてから
遅れて学校に行きました。



長男坊が出て行ってから
小さなお骨壺になったレンと
すっかり元気のなくなったクルと私。


静かになった家の中で
私はまた声を上げて泣きました。



もう
この哀しみの苦しさで
死んでしまうんじゃないか?と思うぐらい
本当に辛くて、哀しくて、寂しくて…

そして
レンにもう一度逢いたくて。
ギュッと抱きしめてやりたくて…




自分がこのままどうにかなってしまうんじゃ?

そう思った時に
私の膝に来てくれたのがクルでした。



クルは
レンが居た酸素ハウスに
何度も入ってはじっとしていました。







きっと私には分からないレベルで
強烈にレンのニオイを感じて、
なのに居なくなってしまった兄弟を
戸惑いながら、
それでも探していたに違いありません。

だから、
もしかしたら一番辛いのは
私なんかよりもクルの方かもしれません。






それは4週間経った今でも
もしかしたら変わらないのかも?と思えます。

鳴き方も
明らかに変わりました。

それが何を意味するのかは分かりませんが、
レンがいなくなってしまってからのクルの鳴き方は
本当に明らかに変わりました。





クルは今もあまり元気がありません。
基本、小屋代わりに置いているキャリーから
出てきません。

ただ、元々の食い意地だけはあって
それだけは助かっています。



それでも少しずつ
私と2人っきりの時は
キャリーから出てきてくれるようになりました。


そして私が泣くと
私に寄り添ってくれました。
これでどれ程
私が支えてもらったことか…







家に連れて帰って来たレン、
どこに居てもらおうか?と考えましたが、
クルや次男坊が誤ってお骨壺を倒したり
お供えしたご飯を荒らしたりしない場所…
という事も考慮しなくてはいけないし、
私が家に居る時に
私が見える場所に居て欲しかったし
私が不在の時は
穏やかに外を眺められる場所。



そんな諸々を総合すると
台所の真ん中が一番条件を満たしていました。


そこにレンが使っていた
食器を置いていたトレーを置いて、
お骨壺とお水を置きました。


レンが亡くなってから
レンが大好きだったブラッシングを
泣きながら何度もしてやりましたが、
その時にブラシについたレンの毛を
そのままジップロックに入れて…

そのレンの毛が付いたブラシも
そこに置きました。

レンがしていた首輪は
お骨壷に掛けました。



火葬場から連れ帰った日は
それが精一杯でした。


でも、
その次の日にふと思い出したんです。


去年パソコンとプリンターを新しく買って、
そのプリンターの試し刷りで
なんの画像でも良かったのですが
たまたますぐに出てきたレンの写真を
プリントアウトしたんです。


でも機械音痴な私は
設定を間違えて…



そのレンの写真をA4サイズの用紙に
でかでかと印刷してしまったんです。


で、
そのプリントアウトしたレンを
なんとなく捨てるのもアレだし…と
雑誌なんかを立てている所に
一緒に挟んでたてたまま、
1年以上そのまま放置していたんです。


そのA4サイズのレンの写真の事を
不意に思い出し…



で、
お骨壺を置いた後ろに
遺影代わりに貼りました。




※ 写真左の カボチャの馬車に乗る
クルとレンをモチーフにした粘土細工は
去年 POPTEKOさんに作って頂いたものです。




もう色々ぼーっとしていて
そのペラペラの紙をラミネート加工することなく
そのままペタッと貼りましたが。



そのレンが
あまりにも凛々しくて…








毎日 何度も
そのレンの写真を撫でて、
お骨壺をぎゅっとして、
話しかけ、
ご飯をクルと同じ様にあげ、
そしてまた
写真を何度も撫でる…



そんな4週間でした。



まだまだ沢山
書き留めておきたい事があるのですが
ひとまずはここで。








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前記事より『死戦期呼吸』のこと

2014-10-11 16:05:12 | 我が家のニャンズ【クルと レンと きなこ】


前の記事の続きを書こうと思いましたが、
その前に
前記事でちょっと触れた
『死戦期呼吸』について。






レンが息を引き取った
その最期の瞬間が
あまりにも苦しそうで
その様子が強烈に脳裏に焼き付いていました。




レンがなぜ
あんなに苦しまなくてはいけなかったのか?
もっと楽に逝かせてやることはできなかったのか?



ずっとずっと
引っかかってたことでした。



その最期の時の後悔を
医学的な立場から解き放ってくれたのは
動物看護師のBちゃんでした。



レンの最期の“あがき”は
医学的には“死戦期呼吸”と呼ばれる
“反応”だそうです。


難しい事は私には分からないけれど、
心不全を起こし低酸素状態になったことで起こる
身体の反応とのこと。



だから、
私から見ていて
『苦しそうにもがく』この時には、
もう既にレンには意識が無かったと、
私に説明してくれました。



これはレンが亡くなってから
丸3日が経った時のことでした。


前の記事で
レンのもがく様子を書いたので、
早めに注釈を入れさせてもらいました。




このBちゃんの冷静な説明を聞いて
あまりに苦しんで逝ってしまったレンを想うと
気が狂いそうになっていた私は
正直ずい分と救われました。


レンは生きている時
呼吸困難の苦しさはあったものの、
最期の“あの時”には
レンには苦しみが無かったこと。



それが分かって、
どれ程 胸のつかえがとれたことか。





もちろん
レンは帰っては来ないし、
今でも後悔が残っています。





後悔と言えば
後々 冷静になって調べれば調べるほど
去年の11月に診てもらった動物病院での
ずさんな対応。
それに従ってしまった私の甘さ。




これは昨日のことです。
10月10日(金)の事ですが、
レンが亡くなったことを伏せて
その以前通っていた動物病院に連絡を入れ、
まずはカルテの開示をお願いしたんです。


名目は『引っ越しをするので、
引っ越し先でお世話になる動物病院の先生に
今までの経緯を書いてほしい』と。



でも、
どんなお願いの仕方をしても
最後まで答えは『NO!』でした。
対応は終始 看護師さんで。
2度ほど電話越しに
先生本人に確認を取っていたようでしたが。


とにかく、
一行も文字にして残す気はなかったようです。



それならば…と、
去年の診断について
『レンの症状がまだ落ち着いてないのですが
去年の時点で、先生はどんな判断をされていますか?
参考までにその時出していただいたお薬を
教えておいてもらえますか?』
と、最後に食い下がりました。



そして返ってきた答えに愕然としました。




『よくある猫の風邪と診断されています』と。







猫の風邪?
あれが?

去年の時点でド素人の私ですら
『明らかにおかしい!』と受診させたのに?


しかも当時
私にはそんな説明じゃなかった。







けれど、驚いたことに
怒りは湧いてこなかったです。


それはきっと
『何をどうやってもレンはもう帰ってこない』
という事実が目の前にあるからだと思います。


ただただ、
そんな病院を見抜けなかった自分のアホさに
後悔してもしきれません。



だって、
それまでにも些細な事ですが
色々あったんです。




例えば
クルが小さい頃にお腹をよく壊していたので
度々 受診する機会があったのですが。


『3、4日前からお腹が少し緩くなってきて…』
と初めに症状を伝えると、間髪入れずに
『3日?4日?どっち?』と
不機嫌そうに言葉が返ってきたり。

何かの受診の最後に
突然クルのお腹をぎゅっと掴んで
『これ、脂肪!この子、肥満入ってるから!』
と、なんの文脈も無く言われ
驚いた私が
『毎日1匹ずつ計量してご飯をあげてるんですが…』
と言うと
『何グラム?え?何グラム?』と
これもめんどくさそうに言われ、
私がその態度にビックリして
『え…、えっと52g、いや、53gです』と
慌てて答えたら
カロリー表を出してきて
これ見よがしに調べはじめたり。

かと思うと、
機嫌が良い日?には
ニコニコしながら対応したり…。




手術の腕とか
技術的な事は別にしても
こんなにも
『おや?』
と思うには十分すぎるやり取りがあったのにね。



この部分の後悔は
本当に大きいです。



レンの心臓、
持って生まれてきたものだろうと
今は推測はできますから、
これがレンの寿命だったのかもしれません。


でも、
やはりあの時点で気付いてやれていれば
何か緩和できる処置もあったのでは?
…どうしてもそう思ってしまいます。






のんびりした子だ…





そんな性格だと思っていたのは
もしかすれば
心臓の病気のせいで
クルの様に走りたくても
そうできなかった…という事実が
裏にあったのかも。


そう思うと
またレンに申し訳ない気持ちになります。










※写真は7月30日撮影
亡くなる ちょうど2カ月前ですね…










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9月30日◆亡くなった日のこと (3)

2014-10-11 14:31:46 | 我が家のニャンズ【クルと レンと きなこ】


また前の記事からの続きになりますが、
レンが亡くなった当日の9月30日。

内容は『レン、頑張りました!』と重複しますが…


また、
亡くなった時の描写(文章のみ)
亡くなった後の画像もあります。


気分を害される方、
ご自分の愛しい子を思い出される方はご遠慮下さい。










息を引き取る30分前のお話です。






時間は大体21時前ぐらい。


レンは息も絶え絶えなのに
ありったけの力を振り絞って
夕方に長男坊に見せたように
酸素ハウスの扉の前に座って見せ
『お母さん、ボクをここから出して!』
と瞳孔の開いたままのまっすぐな目で
私に訴えかけてきました。


そんなレンを見て、
私は迷わずに
『出してやらなくちゃ…』と
そう思いました。


ここが病院ならば
ケージから出たい!
そんな事は叶わなかったでしょうが、
ここはレンの家です。

レンがレンの意思で行きたい所があるならば
私はその通りにさせてやりたかったのです。




その時点で、
レンの足取りはもうふらふらでした。



ケージから出て、
私が歩いて6歩の所に
“いつもの水飲み場”がありました。

たったそれだけの距離。

そこに行こうとして、
レンは途中2回立ち止まり
少しじっとその場に留まっては
また歩きだし…という感じだったと記憶しています。



そして、
ようやく水飲み場に辿り着いたレンは
お水の入った器に倒れこむように
アゴを載せ、横たわりました。


私は
“アゴを載せてると体勢が楽なの?”
と声をかけました。


そうすると、
重そうに頭を持ち上げて
それから
自分の舌と水面までの距離感を
なかなかつかめない様子で、
空で舌をペロペロさせました。


それを見て
“お水を飲もうとしている!”
と分かった私が
少し器を持ち上げて
レンの舌の位置に合わせてやると
まるで『余計な事はしないで!』
そう言わんばかりに
飲もうとするのを止めてしまいました。



『ごめん、ごめん!
レンは自分でのめるんだよね?』
と声を掛け、また器を元の位置に置くと
“よっこらしょ…”という感じで
また舌を動かし始めました。


今度は少しだけ
舌でお水がすくえたのを
横で這いつくばって見ていた私には
ちゃんと確認できました。



『わぁー!
レン、スゴイね!
良かったね!
お水、自分で飲めたね!
元気になれるね!』


確かそんな声掛けをしたように思います。





でも、
そうやって少しお水を飲んだレンは
またぐったりして器にアゴを載せ、
下アゴがお水に浸かって
ボトボトになっていたので
私が器を外したはずです。



それをうっとおしそうに
よろよろとすぐ隣の洗面所の
マットの上へ移動しました。


私が酸素チューブをもって
後を追いかけました。


しばらくして
今度は台所のマットに移動し、
私もまた同じように
酸素チューブで追跡しました。




レンはただただグッタリと
横たわっていました。




でも。





また不意に重そうに身体を起こして
“静かにゆっくりしたい時”
“誰にも構われたくない時”に
いつも行く場所、
ソファーの下によろよろと入って直ぐ。




私はまたチューブで追跡するのに
チューブの加減を直そうと
ソファーの下に入ったレンを追い越して
ソファーの向こうに設置してあった
酸素圧縮機の方へ足をむけた次の瞬間。





レンがソファーの下で
何とも言えない声を上げました。


『え?何?どうしたの!?』



訳は分からなかったけれど
“アカン状態や!”と瞬時に思いました。





そして、
ソファーの下に入ったすぐの所で
横たわっていたレンを覗き込むと、
これ以上のけ反れない!という程
背中をのけ反らして
引きつった大きな息をしながら
前足をバタつかせていました。



 ※これについては後から書きますが
  ↑この状態を医学的には
  『死戦期呼吸』と言うそうです。
  






一瞬、
訳も分からずに
身体を動かしてはいけないんじゃないか?
…なんて事が頭をよぎりました。


例えば人間でも、
頭部損傷が疑われる時は
むやみに動かしてはいけない…とか、
そんな“何とかしよう!”として取った行動が
後から命取りになる…みたいな。




なので、
本当に一瞬の間に
“どっちが正解や!?”と迷いました。


でも、
苦しそうにもがくレンを
私は自分の方に引き寄せていました。



さっきよりは少し小さめだけど
引きつった息を
またひとつしました。



身体をさすりながら
『レンーーー!』と
ありったけの声で叫びました。



気が付いたら
さっきの迷いなんて吹っ飛んでいて
レンを私の胸に抱きかかえていました。


少し仰向けにするように抱いて
胸の辺りをさすりました。



レンは瞳孔の開ききった目を
カッ!と見開いたまま 失禁をし、
口からはよだれのようなものもでていました。




それがどういう状態なのかは
冷静な部分の私は理解しました。


けれど、
そんなハズはない!
だって今しがた、
自分からちゃんとお水を飲んだじゃない!?
…と、諦めが付かない私が勝っていました。





もう、
文字通り泣き叫びながら
『レン!』と呼び続けて
かかっていた動物病院に電話をするも、
留守電に切り替わり…



間もなく長男坊が
“塾を出ました”という
塾の出入り口を通過すると
自動で送られてくる通知メールが鳴ったので、
今度は長男坊に電話をしました。

でも、
日頃から長男坊は
塾についたら音をサイレントにし、
サイレントのままリュックの後ろにスマホを入れ
帰って来るので。

やはり電話に出ません。



祈るように何回か電話をしたところ、
長男坊が電話に出ました。



もう泣きじゃくりながら
『今どの辺を歩いてる?』と聞きました。



なぜなら、
塾と家のちょうど中間地点に
お世話になっている動物病院があったからです。



そうすると長男坊は
『ちょうど動物病院の前』と答えました。



なので、
私は殆ど叫びなら
『インターホン、押して!
インターホン!押して!』と。



そうすると長男坊が
『え?インターホン?』と聞き返したので
『とにかく押したらええねん!
インターホン押して!』と怒鳴ってしまったことを
今でも覚えています。


結局 応答はなく…



やっとその辺りで
“母親”としての自分が顔を覗かせ…


『ごめんな、驚いたやろ?
落ち着いて聞いて。
レン、今 息を引き取ったよ…
アカンかった。
とりあえず、
車に気をつけて帰って来て。』


そう長男坊に伝えました。




私は長男坊との電話を切ってからも
『レンー!』
『いややー!』とか
『なんでー!』などと
とにかくレンを抱きしめたまま
泣き叫び続けていました。



今から思えば、
そんな一連の出来事を
次男坊はずっと私の肩越しに
居間で座って見ておりました。

きっと、
すごく衝撃を受けていたと思いますが、
その時の私には
そんな事に気持ちを配る余裕はありませんでした。





それから間もなく
長男坊がこわばった顔をして
帰って来ました。


そして
レンを抱きながら泣き続ける私を見て
やっと現実として受け止めたかのように
長男坊も泣きはじめました。




もう首もぐにゃぐにゃで、
頭をしっかりと支えてやらないと
だらん…となってしまうレンを
長男坊にも抱っこさせました。

長男坊は座って膝に抱き、
そして泣いていました。







それから。





どこか冷静な私が顔を出し、
レンを入れてやるのにちょうどいい
きれいな箱が無い!


…そんな事が頭に浮かびました。



で、
徒歩5分の所に住んでいる実家に
すぐに電話をしました。


レンが今 息を引き取ったこと、
入れてやるきれいな箱が無いこと。

それだけ話すと、
すぐに私の母と、
なぜか父までもが家に箱を持って来てくれました。




皮肉にも
レンの大っ嫌いだった掃除機の空き箱でした。





ずっとレンを抱いて離さなかった私に
父が『いい加減下ろしてやれ』と声を掛けましたが
自分でも驚きましたが
『いややぁーーー!』と
まるで子供の様に抵抗しました。



でも、
分かってはいたんです、
今まで何匹も実家で飼っていた犬を
送り出してきたのだから。


まだ身体が柔らかいうちに
山(火葬場)へ連れて行ってやる箱に入れないと
死後硬直が始まってしまうと。


でも、
箱に入れてしまったら
本当にレンが死んでしまったみたいで。


いや、
もう息をしていないことは
しっかりと分かっていたけれど、
そういうのじゃなくて…


言葉で言うなれば、
ただただ
諦めきれなかったのです。




でも、
父と母に諭され
レンの大っ嫌いだった掃除機の箱に
いつも使っていたビーズクッションを敷き詰め
そこの静かにレンを寝かせました。


まだ目が完全に閉じていなくて
硬直が始まるまで、目を少し押さえててやれ…
と父が言っていたような。






私は
呼吸がずっと苦しそうだったレンが
少しでも煩わしくないように…と、
しばらく首輪を外したままだったので
レンに
『ごめんね、最後に一度 つけさせてね』
と声を掛け、
クルとお揃いの首輪を
レンにもう一度つけました。








私が呆然となっていると、
父がお線香とろうそくを仏間から、
母が外へ出て行き、
近くの堤防に咲いていた花をとってきました。
長男坊は箱を閉じた時に
中に居るレンから見えるように…と
ふた部分にレンに宛てた絵を描いていました。







私の諦めきれない想いはそっちのけで
レンの亡くなった後の儀式が
着々と進められていました。























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9月30日◆亡くなった日のこと (2)

2014-10-10 15:52:01 | 我が家のニャンズ【クルと レンと きなこ】


前の記事からの続きになりますが、
レンが亡くなった日のお昼からのお話になります。






口からお水さえも飲まなくなってしまったレンには
点滴が命をつなぐ為には必要でした。

それで、
前日に引き続き
午前の診察が終わってから
獣医さんに往診を頼んで
点滴をしに来てもらいました。



朝からずっと酸素ハウスに横たわっていたレンは
そのまま酸素ハウスの中で点滴を受けました。

点滴の途中 逃げようとしたのか?
立ち上がって2、3歩き出そうとしました。


診ていただいてた動物病院は
(木)が休診日だったので、
この日はまだ(火)でしたが
先生に『(木)の点滴はどうすれば良いですか?
(水)の夜に点滴してもらって(金)の朝一番に
またお願いする感じで良いですか?』
…とお伺いしたところ、
休診日の(木)に点滴ぐらいなら来ますよ!と
とても気持ちよく言っていただけて
ほっと胸を撫で下ろしました。


だって、
この時点ではレンがこの日の夜に
まさか逝ってしまうとは思ってなかったので。



先生が
『点滴で水分と栄養分が摂れて
少しでも身体が楽になって
ちょっとでも眠れると良いんですが…』
とおっしゃっていました。


そうなんです、
レンは記憶にあるだけでも
日付けが変わってから
ただの一睡もしていませんでした。
身体が辛すぎて眠れてなかったんです。



それでも私は
先生のおっしゃったように
点滴をして身体が楽になれば
少しは眠れると…
その時は安易にそう思っていました。



レンの様子を見ても
慌てず、穏やかに対応して下さる
先生と看護師さんの様子を見ていると、
ただそれだけで安心でした。
『まだそれほど深刻じゃないんだ』と。





先生が帰られてから
レンが酸素ハウスを出たがりました。


私は点滴をしてもらったから
少し元気が出てきたんだと、
ハウスから出してやりました。



けど、
ハウスからでたレンは
出てすぐのテーブルの下で
ゴロンと横たわりました。

そんなレンを
クルがずっと心配そうに
頭を舐めたり、身体を舐めてやったり…









レンは辛くて殆ど身体を動かせない様子でしたが
それでも、クルの方へ手を伸ばしたのが
その時なぜか私には印象的でした。





↑ うまく撮れませんでしたが、
レンがクルの方へ手を伸ばしたところです






↑ そして、この写真が
私が撮った レンの生きている時の
最後の写真となりました…





それから
明らかに辛そうなレンを
確か、見かねて私の判断でハウスに戻しました。



そのうち段々と
次男坊のスクールバスのお迎えの時間が近づいてきましたが
部活を休んで、授業が終わったらすぐに帰ってきて
入れ替わりにレンを看て欲しい!…と頼んでいた長男坊が
その時点ではまだ家に帰ってきていませんでした。

時間にバス停に居ないと、次男坊はそのままバスで
学校に連れ帰られてしまうんですが
それでも仕方がないかな?…と諦めかけたときに
走って長男坊が帰宅。


『状態が思ったほど良くない』と伝えて
私も慌てて次男坊のバス停へと急ぎました。



いつものバス停には絶対に間に合わなかったので
2つ先の停留所に車をつけましたが
そこには、いわゆる“よく喋るママ”が居て
案の定、少し足止めを喰らってしまいました。

そんな足止めを喰らってる時に
長男坊が『レンがハウスから出たがってるけど、
明らかに呼吸が荒いんやけど…
俺、どうしたらいい?』と電話があり、
続けてレンの様子の写真と動画を送ってきました。



↑ その時の写メがこの1枚
瞳孔の開いた瞳で
身体を起こせる元気なんて残ってなかったはずのレンが
必死に座って訴え掛けています





私は『本人が出たがってるならば出してやって。
だってそこは病院なくてお家でしょ?
レンが行きたがってる所に行かせてやってよ?
お母さんももうすぐ家に帰るから!』
確かそんな事を長男坊に伝えたと思います。


けれど長男坊は
レンのあまりにも辛そうな呼吸を見ていて
『怖くて出せなかった』と。


確かに。


もうこの時のレンの呼吸は
それ程、誰が見ても辛そうでした。

明らかに、
昨日より
その日の朝より
ずっとずっと呼吸の波が辛そうだった。


私が次男坊を迎えに行って帰ってくるまで
大体30分ほどかかったでしょうか。



この日は夜から長男坊が塾でしたが、
塾に行くまでの間は
“長男坊も看ててくれてる”という安心感から
私は少しレンから目を離し
子供たちの夕飯の準備や
洗濯物を取り入れたり…

とにかく短時間でだーーーっと
家の用事をしました。



それから長男坊の居る間に
次男坊をお風呂に入れ、
その後 子供たちにご飯を食べさせ、
長男坊を塾に送り出しました。


長男坊は塾を休みたそうにしていましたが、
それは毎回の事なので…

私も一人でレンを診ている不安に
かなり堪えている感はありましたが
そこは心を鬼にして
長男坊を塾に行かせました。


時間は19時半でした。




だって。


この時点でも
レンがまさかこの2時間後に
逝ってしまうとは思ってもみなかったから…




長男坊が塾に行ってしまってから
私はほぼレンのいる酸素ハウスの前を
離れませんでした。



家には次男坊が居ましたが、
今から思えば
私がレンに掛かりっきりになっている間
次男坊は比較的おとなしく
時間を過ごしてくれていました。

いつもなら
言葉は喋れないので態度で…ですが
『お母さん、これやって!あれやって!
もう、なんでボクの思うようにやってくれないの!』
…などなど、
色々と手の掛かってしまう感じなのですが。


本当に、
後から思えば
次男坊なりにただならない空気を感じて
じっと我慢してくれていたんですね。


酸素ハウスのチューブなんかも
『触っちゃだめよ!』なんて
一言も言ってなかったけれど
最後まで絶対に触れなかったですから。



話がそれましたが、
そんな次男坊なりの“協力”もあって
私はレンの状態にだけ
ずっと集中していられたように記憶しています。


ただ、
その集中して看ていたレンですが。


呼吸はこの時
『あれ?ちゃんと呼吸している???』
と思わせるほど
お腹の動き(呼吸で上下する動き)が微弱になったり
そうかと思えば、
連続して深呼吸しているように
引きつった大きな呼吸をしてみたり…


そんな感じで
かなりの“波”がありました。



今回お借りした酸素ハウスの
三大欠点とも言えるうちのひとつなのですが…
(酸素ハウスを使ってみての感想や
他の2点についてはまた別にお話しするつもりです)

酸素圧縮機の作動音で
レンのその弱弱しくなった呼吸音が
耳では確認できなかったので、
ただひたすらお腹の動きに
目を集中させていました。


逆を言えば、
この時点ではそうしないと
レンの呼吸を確認できなかったほど
レンの息は“絶え絶え”だったんですね。


でも、
そんな“絶え絶えの息”でもね
私の頭の中には
『レンが逝ってしまう』なんて
無かったですから…




確認はしていませんでしたが
時間にして多分21時前ぐらいかな?


長男坊の塾が終わるのが
21時半過ぎだったので、
そこから私の時間の感覚で逆算すると…
のお話ですが、
この時の私の時間感覚なんて
在って無いようなモノでしたけどね。




でも大体21時前ぐらい。


レンは息も絶え絶えなのに
ありったけの力を振り絞って
夕方に長男坊に見せたように
酸素ハウスの扉の前に座って見せ
『お母さん、ボクをここから出して!』
とレンが瞳孔の開いたまっすぐな目で
私に訴えかけてきました。







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