前の記事からの続きになりますが、
レンが亡くなった日のお昼からのお話になります。
口からお水さえも飲まなくなってしまったレンには
点滴が命をつなぐ為には必要でした。
それで、
前日に引き続き
午前の診察が終わってから
獣医さんに往診を頼んで
点滴をしに来てもらいました。
朝からずっと酸素ハウスに横たわっていたレンは
そのまま酸素ハウスの中で点滴を受けました。
点滴の途中 逃げようとしたのか?
立ち上がって2、3歩き出そうとしました。
診ていただいてた動物病院は
(木)が休診日だったので、
この日はまだ(火)でしたが
先生に『(木)の点滴はどうすれば良いですか?
(水)の夜に点滴してもらって(金)の朝一番に
またお願いする感じで良いですか?』
…とお伺いしたところ、
休診日の(木)に点滴ぐらいなら来ますよ!と
とても気持ちよく言っていただけて
ほっと胸を撫で下ろしました。
だって、
この時点ではレンがこの日の夜に
まさか逝ってしまうとは思ってなかったので。
先生が
『点滴で水分と栄養分が摂れて
少しでも身体が楽になって
ちょっとでも眠れると良いんですが…』
とおっしゃっていました。
そうなんです、
レンは記憶にあるだけでも
日付けが変わってから
ただの一睡もしていませんでした。
身体が辛すぎて眠れてなかったんです。
それでも私は
先生のおっしゃったように
点滴をして身体が楽になれば
少しは眠れると…
その時は安易にそう思っていました。
レンの様子を見ても
慌てず、穏やかに対応して下さる
先生と看護師さんの様子を見ていると、
ただそれだけで安心でした。
『まだそれほど深刻じゃないんだ』と。
先生が帰られてから
レンが酸素ハウスを出たがりました。
私は点滴をしてもらったから
少し元気が出てきたんだと、
ハウスから出してやりました。
けど、
ハウスからでたレンは
出てすぐのテーブルの下で
ゴロンと横たわりました。
そんなレンを
クルがずっと心配そうに
頭を舐めたり、身体を舐めてやったり…
レンは辛くて殆ど身体を動かせない様子でしたが
それでも、クルの方へ手を伸ばしたのが
その時なぜか私には印象的でした。
↑ うまく撮れませんでしたが、
レンがクルの方へ手を伸ばしたところです
↑ そして、この写真が
私が撮った レンの生きている時の
最後の写真となりました…
それから
明らかに辛そうなレンを
確か、見かねて私の判断でハウスに戻しました。
そのうち段々と
次男坊のスクールバスのお迎えの時間が近づいてきましたが
部活を休んで、授業が終わったらすぐに帰ってきて
入れ替わりにレンを看て欲しい!…と頼んでいた長男坊が
その時点ではまだ家に帰ってきていませんでした。
時間にバス停に居ないと、次男坊はそのままバスで
学校に連れ帰られてしまうんですが
それでも仕方がないかな?…と諦めかけたときに
走って長男坊が帰宅。
『状態が思ったほど良くない』と伝えて
私も慌てて次男坊のバス停へと急ぎました。
いつものバス停には絶対に間に合わなかったので
2つ先の停留所に車をつけましたが
そこには、いわゆる“よく喋るママ”が居て
案の定、少し足止めを喰らってしまいました。
そんな足止めを喰らってる時に
長男坊が『レンがハウスから出たがってるけど、
明らかに呼吸が荒いんやけど…
俺、どうしたらいい?』と電話があり、
続けてレンの様子の写真と動画を送ってきました。
↑ その時の写メがこの1枚
瞳孔の開いた瞳で
身体を起こせる元気なんて残ってなかったはずのレンが
必死に座って訴え掛けています
私は『本人が出たがってるならば出してやって。
だってそこは病院なくてお家でしょ?
レンが行きたがってる所に行かせてやってよ?
お母さんももうすぐ家に帰るから!』
確かそんな事を長男坊に伝えたと思います。
けれど長男坊は
レンのあまりにも辛そうな呼吸を見ていて
『怖くて出せなかった』と。
確かに。
もうこの時のレンの呼吸は
それ程、誰が見ても辛そうでした。
明らかに、
昨日より
その日の朝より
ずっとずっと呼吸の波が辛そうだった。
私が次男坊を迎えに行って帰ってくるまで
大体30分ほどかかったでしょうか。
この日は夜から長男坊が塾でしたが、
塾に行くまでの間は
“長男坊も看ててくれてる”という安心感から
私は少しレンから目を離し
子供たちの夕飯の準備や
洗濯物を取り入れたり…
とにかく短時間でだーーーっと
家の用事をしました。
それから長男坊の居る間に
次男坊をお風呂に入れ、
その後 子供たちにご飯を食べさせ、
長男坊を塾に送り出しました。
長男坊は塾を休みたそうにしていましたが、
それは毎回の事なので…
私も一人でレンを診ている不安に
かなり堪えている感はありましたが
そこは心を鬼にして
長男坊を塾に行かせました。
時間は19時半でした。
だって。
この時点でも
レンがまさかこの2時間後に
逝ってしまうとは思ってもみなかったから…
長男坊が塾に行ってしまってから
私はほぼレンのいる酸素ハウスの前を
離れませんでした。
家には次男坊が居ましたが、
今から思えば
私がレンに掛かりっきりになっている間
次男坊は比較的おとなしく
時間を過ごしてくれていました。
いつもなら
言葉は喋れないので態度で…ですが
『お母さん、これやって!あれやって!
もう、なんでボクの思うようにやってくれないの!』
…などなど、
色々と手の掛かってしまう感じなのですが。
本当に、
後から思えば
次男坊なりにただならない空気を感じて
じっと我慢してくれていたんですね。
酸素ハウスのチューブなんかも
『触っちゃだめよ!』なんて
一言も言ってなかったけれど
最後まで絶対に触れなかったですから。
話がそれましたが、
そんな次男坊なりの“協力”もあって
私はレンの状態にだけ
ずっと集中していられたように記憶しています。
ただ、
その集中して看ていたレンですが。
呼吸はこの時
『あれ?ちゃんと呼吸している???』
と思わせるほど
お腹の動き(呼吸で上下する動き)が微弱になったり
そうかと思えば、
連続して深呼吸しているように
引きつった大きな呼吸をしてみたり…
そんな感じで
かなりの“波”がありました。
今回お借りした酸素ハウスの
三大欠点とも言えるうちのひとつなのですが…
(酸素ハウスを使ってみての感想や
他の2点についてはまた別にお話しするつもりです)
酸素圧縮機の作動音で
レンのその弱弱しくなった呼吸音が
耳では確認できなかったので、
ただひたすらお腹の動きに
目を集中させていました。
逆を言えば、
この時点ではそうしないと
レンの呼吸を確認できなかったほど
レンの息は“絶え絶え”だったんですね。
でも、
そんな“絶え絶えの息”でもね
私の頭の中には
『レンが逝ってしまう』なんて
無かったですから…
確認はしていませんでしたが
時間にして多分21時前ぐらいかな?
長男坊の塾が終わるのが
21時半過ぎだったので、
そこから私の時間の感覚で逆算すると…
のお話ですが、
この時の私の時間感覚なんて
在って無いようなモノでしたけどね。
でも大体21時前ぐらい。
レンは息も絶え絶えなのに
ありったけの力を振り絞って
夕方に長男坊に見せたように
酸素ハウスの扉の前に座って見せ
『お母さん、ボクをここから出して!』
とレンが瞳孔の開いたまっすぐな目で
私に訴えかけてきました。