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司馬遼太郎が考えたこと2

2005-10-10 | 
このアパートは江戸時代には土佐藩の大阪屋敷があった場所であるとのこと。

 いまなお、アパートの前の橋は鰹座橋であり・・・横には、
 藩邸内の守護神であった土佐ノ稲荷という神社が現存している。
 竜馬の取材のため、高知から大阪の住まいへ・・・
 ふと、竜馬もまた、この大阪鰹座橋を往復したであろう・・・
 感慨をもつことがある

土佐稲荷神社 土佐稲荷神社

長堀川

確かにアパートの西隣には、土佐稲荷神社は現存していたが、アパートの前に流れていた長堀川は昭和45年に埋め立てられ、鰹座橋は地名に残るばかりであった。


司馬遼太郎が考えたこと1

2005-10-10 | 
あの『竜馬が行く』『街道をゆく』その他沢山で有名な司馬遼太郎のエッセイ集『司馬遼太郎が考えたこと』を読んでいる。40年以上にわたる創作活動のかたわら書き残したエッセイを年代順におって収録した集大成が新潮文庫から出ているんよ。

莫大な著作量だから、ほんの一部しか読んでない(読めないよな)読者で、大阪生まれの人であることを初めて知った(-_-;)

昭和35年7月のエッセイに

 私は大阪の西区に住んでいる・・・
 マンモスアパートというぶきみな名前がついている・・・
 十一階の高層アパートである・・・
 その十階が私の部屋だが・・・
 大阪城とはるか相対している・・・
 眼の下に道頓堀の灯がみえる・・・

とあった。ほぼ場所を特定できたので、散歩のついでに寄ってみた。
もう、50年前だわ。跡形もないだろう・・・と無駄足と思いつつ。
当時は凄いアパートだっただろう

おいらより古い


あったわ、手入れがいいのか見た目は築50年が経っているとは思えない。
でも11階建ては変わっていないし、各部屋の扉や、エレベーター内の張り紙にシャワー付きの風呂釜を希望する人は・・・、等により根本的には変わっていないようである。

当時は凄く進歩的なアパートだったのだろうと想像出来る。
うちの田舎では、おいらが物心ついた時分でも、4階建てのアパートだったよ。
ましてやエレベーターがあるアパートなんて、皆無よ。
11階建てを超えるビル自体が、商業ビルでも今でも数えるほどしかないだろう。

現在では、さすがに周りにそれ以上のビルが立ち並んで、大阪城はおろか道頓堀も見えなかった。


夜を賭けて

2005-09-18 | 
大阪城解るかな?

ガラス越しだから

上2枚はここからの撮影

上:右手上にかすかに大阪城が見えるかな?
中:左手にJRの森之宮電車区がひろがり、三角屋根が環状線の大阪城公園駅。
下:上、中の写真を写したホテルニューオオタニ大阪。手前が第二寝屋川。
(作品の中では猫間川という言い方をしているのかもしれない。位置的に違うし、猫間川は既に埋め立てられたと言う情報も。これはこれで、別途研究してみる。)

この写真に写っている周りが(オオタニ含め)、広大な大阪造兵廠跡ということである。


梁 石日(ヤン・ソギル)

2005-09-18 | 
久し振りの本の話。

半年程前に『終りなき始まり〈上・下)』(朝日文庫)を読んで、気になってた作家でした。
タクシー運転手の文忠明と若き朴淳花の愛というか不倫と言うか先の見えない愛憎が印象に。

最近入った本屋に平積みで梁石日の文庫本が並んでいたので、順番に購入。
『血と骨〈上・下) 』(幻冬舎文庫)
『睡魔』(幻冬舎文庫)
『夜を賭けて』(幻冬舎文庫)

凄く『力強い』文章というのが感想。
その力強さが、在日朝鮮人の差別の歴史から出てきたものか。
或いは朝鮮民族の持つ独特の力強さなのか。
それとも梁石日さん自身の持つパワーなのか?
(朝鮮って表記は御免、one koreaって事でどちらがどうだって気はないから、ましてや蔑視は一切ないからね)


鵟(ノスリ)の巣

2005-06-15 | 
え~っと、また本の話。

逢坂剛の百舌シリーズ第5弾(段?)『鵟(ノスリ)の巣』が文庫本で発売したので購入。
文庫本になるまで待つファンで申し訳ない。
まぁ古本屋に並ぶまでは待てないファンだから許してね。

ついでに百舌シリーズの本を古本屋で探してシリーズとして読み直した。
(恐らく実家を含めて探せばどこからか出てくるのだろうけど、近頃ブックオフで苦もなく100円で買えるのでついつい買ってしまう。
更に捨てるの勿体無いから100円で買って10円で売れるので結構割がいい。近頃の相場は文庫本1冊10円が8円ぐらいに下がった。
でもさ、値段でなくて勿体無いって気持ちよ。狭い家に日々増殖する本の山を保管出来る訳でもなく、捨てるのは忍び難い、誰かもう一度読んで欲しいって気持ち。)

で、逢坂剛の百舌シリーズの話。

百舌の叫ぶ夜
幻の翼
砕かれた鍵
よみがえる百舌
鵟(ノスリ)の巣

(読み直してみて、いかに覚えていない読み方をしていたのかと反省。
通勤時間帯の暇つぶしの読書って態度はイカンな~って思う。
確かに2行おきに文章を読む癖が付いてるのだろう。)

で、このシリーズに根本に流れる、刑事警察と公安警察、キャリアとノンキャリアの対立や、政治家が公安警察を取り込もうとする陰謀、ってテーマが、・・・ちょっとさ、ど~なんだろう・・・と素直に納得できない気持ちにさせられた。
おそらくもうひと世代上の人には手の汗握る臨場感も、ねじにとっては他人事みたいになってしまっているんだよな。
日和見ねじ君としては、倉木美希と大杉良太のぎこちないラブストーリとして堪能できるシリーズかな。

 ※注

 ノスリ=鷹科の鳥。漢字が特殊なのか鵟って表示されるかも

 狂
 鳥 ← 「狂」の下に「鳥」と書いてノスリ。凶暴な性格の鳥なんだわ。


天国への階段

2005-05-27 | 
『天国への階段』
白川道(しらかわとおる)幻冬舎文庫

上、中、下の結構なボリュームの3分冊なんだけれど、たまたま「24時間待機」勤務ってのが入って一気に読んでしまった。

【パクリの書評】
父親と牧場、そして最愛の恋人をも奪われ、失意の元に北海道を後にし、上京した柏木圭一郎。26年の歳月がたち、実業家として財をなした柏木は、彼からすべてを奪った江成への復讐劇を開始する。しかし、財をなすために犯した罪が、思わぬ形で追求をうけることになり、柏木自身も追いつめられていく。
2001年はじめに出版された本作品、話題を呼びベストセラーとなり、日本テレビ系列でドラマ化もされた。
本作品のポイントは「血のつながり」と「タイミング」である。ほんの小さなタイミングのずれが、いくつか重なると、人生は周りの人をも引き込んで、予想し得ない方向に進んでいく。そして、天国への階段を誰と上ることになるのだろうか?


ひょっとして吉永小百合主演で映画化された作品かなと思って検索すると『天国の駅』だった。
よく似た題名で『天国の階段』韓国ドラマもあるみたいだ。

ドラマ化されたみたいけど、たしかにドラマ化しやすい作品だな~ってもが、おいらの感想。


向田邦子(3)

2005-01-24 | 
NHKの『阿修羅のごとく』で気になった向田邦子の作品を何冊か読んでます。
TVのシナリオだったり、エッセイであったり、小説であったり。

あの樹木希林がジュリーって叫ぶシーンで有名な(?)『寺内貫太郎一家』の脚本が向田さんって知ったのは、結構あとのなってからです。
当時、テレビのない生活をしてたので『寺内貫太郎一家』も実は言うと、殆ど見たことがありません。


向田邦子(2)

2005-01-22 | 
意外に情報少ないなー、ってやっと解った。
検索条件を『阿修羅の如く』を『阿修羅のごとく』にしたら多数のヒットが。

【あらすじ】
竹沢家の長女・網子は未亡人で活け花教師、次女・巻子は専業主婦、三女・滝子は図書館司書で独身、四女咲子はボクサーと暮らしている。ある日、姉妹の老いた父親・恒太郎には世話をしている女と子供がいることが発覚。そのことが、こともあろうに新聞の投書欄に掲載されてしまう。姉妹の誰かが投稿したらしい。いったい誰がそんなことをしたのか・・・。母親のふじにそのことがばれないようにしなくてはと4人姉妹は実家に集合して、母親の様子を伺っていた。だが、それぞれ自分自身を振り返れば、恋愛、不倫、嫉妬の渦中にあり、母親をかばう気持ちもあれば、父親の気持ちもわかるという複雑な心境に陥っていく…。

と、NHKソフトウェアからパクリ

長女・網子:加藤治子、長女・網子:八千草薫、三女・滝子:いしだあゆみ、四女咲子:吹雪ジュン、父・恒太郎:佐分利信。
その他(失礼?)緒方拳や宇崎竜童 など、ホント個性的な役者がそろって。

もうひとつ忘れられないのが、テーマ曲。
バグパイプの独特な音色の行進曲(?)風なんだけど、スコットランド民謡かなっと(バグパイプだから)思ってたんだけど、トルコの軍楽「ジェッディン・デデン(祖先も祖父も)」なんだって。


向田邦子(1)

2005-01-20 | 
よくは覚えていないのだけれど、きっと向田邦子さんの作品を知ったのは、NHKの『阿修羅の如く』がきっかけだと思います。

ネット検索すると、イマイチ正確な情報が集まらない。
昭和54年の向田作、和田勉演出のTVドラマです。
検索結果が、一昨年の森田芳光監督での映画化の方の情報が多くて。


向田邦子(0)

2005-01-20 | 
このところ日記に書きたいネタが沢山浮かぶのに、10日ほど書けなかった理由は自分では良く解っている。

向田邦子さんの『無名仮名人名簿』を読んだからである。
文章のプロと張り合う訳じゃ決してないのだけれど、自分の書いている文章が情けなる。
何度か書き始めたのだけれども、途中で嫌になるのだ。

まぁ、ほとぼりが醒めた頃合で、向田邦子さんについてでも書こうかな、と思い立った。


『球は転々宇宙間』

2004-11-25 | 
やっと見つけた!

(ついでに見てね、03/08/08と03/09/30と04/07/08の日記)

今年の近鉄、オリックスの合併話を端に発した、日本プロ野球界問題。
ひとつの解決策と言うよりも、プロ野球界の将来どうあるべきか・・・って参考になる本が、この『球は転々宇宙間』(赤瀬川 隼、文春文庫)

で、この本探してたんよ。書名もあやふやで、作者は思い出せなくて、Web上探してたのだけれども、記憶が曖昧で見つけられずに。

でも、見つけました。古本屋で。ほんと何気なく通り過ぎた本棚に、ほんと眼に飛び込んで来る感じ。
こんな感触、本好き、本屋好きな人には解るよね。
見つかる時には、探さなくても『眼に飛び込んでくる』ってのが相応しい感じの瞬間。

今読み返してる所だけど、思った以上に『深い!』。Jリーグはこれを参考にしたんじゃないかと思うぐらい。川淵さん、そーでしょ。
じっくり読み返すから、しばらくこのシリーズで行くよ!

--- 『球は転々宇宙間』その0 ---

物語は1988年2月23日の広島市民球場での広島ドリンカーズの春季キャンプで、監督の志村千三がバッティング・コーチ山本浩二に、左利き外野手の帆足航平とセカンド馬見安穂とを、試合中のポジションを交替させるスイッチポジション構想はどうであろうか?というところから話が始まる。

志村監督の回想があり、日本プロ野球界は5年前の1983年から松・竹・梅の3リーグ18チーム制に移行していること、年号が『戦後』に変わっている事になっているのだ。

因みに、この本が書かれたのが1982年、その当時の日本プロ野球はセ・リーグが巨人・阪神・中日・大洋・広島・ヤクルト、パ・リーグが西武・近鉄・阪急・南海・日本ハム・ロッテの時代です。
地域的に東京に、日本ハム・ヤクルト・巨人の3チームに加え、所沢の西武、川崎のロッテ、横浜の大洋と6チームが首都圏。
大阪に近鉄・阪急・南海と西宮に阪神で大阪地区に4チーム。後は名古屋の中日と広島の広島の2チームです。

もうひとつ付け加えると、地域密着を意識して出来たJリーグの発足は1993年に10チームの発足でした。

--- 『球は転々宇宙間』その1 ---

登場人物

○吹田晨平
 1980年から3年間日本プロ野球のコミッショナーとして、プロ野球の地域に根差した全国規模の分散と機構、制度の改革を周到に実施した。本人は改革の成果である3リーグ16チームで始まる1983年5月5日開幕を見ることが出来ずに2月下旬に81歳で天寿を全うした。

○潟田六郎太
 52歳(1988年当時)。東京に本社を置く全国紙、日新タイムズの記者で考古学、歴史、文化人類学といった分野が専門。
1979年の暮れから、わが国最大級の総合大衆月刊誌「春夏秋冬」にプロ野球を素材とするエッセーを連載する。この文章が吹田コミッショナーの目に留まり、以前からの吹田の想いを誘い出し、行動を早めるきっかけとなった。
潟田自身はエッセー発表後リタイアし、プロ野球改革の間は外国に。逆に浦島太郎的に改革前後を浮び上がらせる役に。

○志村千三
 同じく52歳。広島ドリンカーズ監督。現役時代は広島カープで守備で鳴らした2塁手、コーチを経てドリンカーズ監督へ。潟田とは四十路過ぎての交友のきっかけは東京神田の古書街の飲み屋、何故かウマが合う二人。潟田のエッセーの影響は大。

--- 『球は転々宇宙間』その2 ---

あらすじ

ちょいと乱暴にひとことで言うと、吹田コミッショナーが首都圏6チーム、大阪4チーム、その他2チームに集中し、各企業のエゴで固まった日本プロ野球界を、「おらがチーム」の地方分権の3リーグ18チームに改革した、という話。

その物語を語るのが志村監督で、かたる相手が潟田(吹田コミッショナーに影響を与えたエッセーの主)で、改革当時に外国にいて浦島太郎の潟田に説明する、ってストーリーなのだ。

時代を順に追うと

1978年:潟田、志村の出会い
1979年:潟田がプロ野球を素材とするエッセー発表
1980年:吹田コミッショナー就任、任期3年

~ この物語のプロ野球界の改革

1983年:日本プロ野球界3チーム18チームで再発足
1985年:志村、広島ドリンカーズ監督に
1988年:この物語の年。潟田が外国から戻ってきて、志村監督の回想を聞くのがストーリー。

--- 『球は転々宇宙間』その3 ---

元になった潟田のエッセーとは

『顔の文化とプロ野球』

私が広島カープに注目する一には、三大都市圏から遠くに位置する人口百万人以下における、唯一の球団だということである。
創立以来官民挙げての応援による地元プロ野球クラブの気風は変わっていない。

もう一つは、選手の面構えだ。代表格は水谷と衣笠。
見よ、いい顔をしているではないか。眼は草原の野獣のようにらんらんと輝いてつねに獲物をうかがい、鼻孔はあくまでも開いて空気を闊達に吸い、唇の肉あくまでも厚く、持物もさぞ大きいだろうと思わせる。
それに比べ巨人の柴田、高田、淡口、中畑、江川は社会通念上でいえばインテリの勤め人の顔である。眼は草原の野獣とはいかず、鼻孔はあくまでも開かず、唇の肉あくまでも厚くなく、一口でいうとテレビのCM向きである。

昨今のスポーツ・エリートの養成過程には、官僚、経済人のエリート養成の過程とよく似た傾向があり、それがこういう顔を造型している思われるからである。

広島カープの擡頭(’79、80優勝)は、野性味野球の勝利だといえよう。

怪童と呼ばれる選手が出なくなって久しい。怪童の代表は福岡の西鉄ライオンズの中西太であろう。そしてかつてのアメリカ大リーグのベーブ・ルースもそういわれたにちがいない。この二人のツラを見よ。はじめに水谷や衣笠について形容したいくつかの特長を、彼らはもっとダイナミックにそなえているのではないか。

--- 『球は転々宇宙間』その3の2 ---

国民栄誉賞という、まるでナチス・ドイツの昔にでもあったような名称のごほうびが、現代の日本に突如として生まれ、それがこともあろうに私の大好きな王貞治というプロ野球選手に首相から与えられると聞いたとき、私の血は逆流した。冗談じゃない。あの王が茶番劇の主催者から賞を渡され、握手など強要されてたまるものか。王よ、ことわれ。きみが握るのはホームランを打つバットであって、茶番じじいの手ではない。

 しかし王がそれをことわるわけにはいかないことも明白であった。

 このたくらみに、さすがに不快な感じを持った「国民」は少なくなかった。

 もう一人の政治家は、そういうあやまちを犯さずに見事な仕事をした。大学を出てまもない一人の青年の就職運動を異常なまでの熱意を示し、ルールを無視してむりやり巨人に入れようという努力をした。そして国会で鍛えた百戦錬磨のかけ引きやトリックの技法を活用して目的を達した。

 野球は、民主主義と資本主義の体現である。野球はイニングごとが保守や革新の二大政党対立であり、ゲームを通しては民主主義的機会均等を達成する。資本主義は計数管理であり、打率・打点・出塁率・勝率・防御率である。日本人は数字が好きで財務諸表の分析に長け、計数に明るい。
 この民主主義的、資本主義的構造に、日本の「祭り」の要素が加味されれば日本人が野球を好きにならないはずがない。その底辺は草野球であり、草野球でもプロと同じルールや計数を適用でき、そのお祭りに参加した満足感を得るのである。
 その最大のお祭りが高校野球であろう。学校関係者だけではなく、一般市民や県、市の長や議員まで応援に駆けつける。

 高校野球こそは、地方分権と中央集権のバランスを微妙に保ち、最も巧みに運営されているシステムである。これに対して日本のプロ野球は、出稼ぎ型中央集権制度と言わざるを得ない。

--- 『球は転々宇宙間』その3の3 ---

ながながと引用して疲れてきた。

読むほうも、読み飛ばすだろうから、遠慮なく読み飛ばして。

で、ちょっと注釈。

王選手に国民栄誉賞を贈った茶番じじいは福田赳夫です。

江川問題の政治家は、船田元の父親の船田中だと思います。(ちょっと裏とり中)

--- 『球は転々宇宙間』その4 ---

ここからは、語るのが志村監督で、エッセーの主の潟田に説明する、という形で話が進められる。

この潟田の書いたエッセーに、吹田コミッショナーが激しく反応。
「おまえさんごときに、そうまで言われたくないね。ふん、気楽に」
悪い反応じゃなく、「あんたにはペンがあるが地位はない。おれにはペンがないが地位はある。どれ、そろそろかかるとするか」
78歳、吹田コミッショナーは自分の年齢をあらためて意識にとり出して確かめた。
(人気はあと二年半と少し。もしかするとわしの命はそれより短いかも知れないな)

 ここで日本プロ野球界でのコミッショナーの立場をひと言。任期は3年。「コミッショナーは、日本プロフェッショナル野球組織を代表し、これを管理統制する」と野球協約第8条の第1項。はっきり言って何をするか具体的な権限は不明。(実際に歴代のコミッショナーはお飾りに過ぎなかった。 ねじ注)
 もうひとつのポイントが「コミッショナーは本人の申し出によるほか、その意に反して任期中には解任されない」

--- 『球は転々宇宙間』その5 ---

吹田コミッショナーは少しずつ、しかし確実に改革を進めていった。まずコミッショナー事務局のスタッフ浦山との会話。

だいたいプロ野球のフランチャイズが首都圏に6チーム、大阪地区に4チーム、残りは名古屋と広島に一つずつに過ぎない。戦争が終わって三十五年、二リーグになって三十年というのに、こういう偏頗な形で安住してしまっていいのだろうか。これをあたりまえと思ってはよくないと思う。

今の日本のこどもたちは、日本地図全体の範囲で考えると、プロ野球をテレビでしか見られない人が圧倒的に多い。テレビはほとんど望遠レンズで撮っているから肉眼の距離感がないし、カメラはボールの飛ぶ範囲しか撮らない。あれに慣れっこなっては困る。特にこどもには、実際にスタジアムに行って、自分の眼がとらえるままの遠近感と視野で、野球のダイナミックなひろがりを体験してほしいものだ。

地方の都市でも、地元にプロ野球クラブができるならぜひ一肌脱ぎたいという人に何人も出会った。その人たちは私利私欲からではなく、おらがくにのプロ野球の誕生は地方活性化の呼び水にもなり、こどもたちに励みを与えたい心情から言っている。
多くのプロ野球ファンは、自分の生活圏を遠く離れた首都圏や京阪神のいづれかのチームに声援を送るが、地元出身の選手には特に関心が深い。

高校野球は地元から中央に出て行ってまた地元に帰ってくる。しかし地元の誇る逸材がプロ野球に入ると、遠く離れた大都市にあるチームに入ったまま帰ってこない。つまり出稼ぎ型だ。
ファンはテレビを通した虚像だけだけでプロ野球を知る。スタジアムの一隅で自分の眼と心で野球の実像をつかむという体験をまったくしないまま、複製像と情報だけでファンに育った人は実に多い。

--- 『球は転々宇宙間』その5の2 ---

こういう構造がもし変わって、北海道、東北、或いは四国、九州といった単位でプロ野球クラブが生まれれば、地元の逸材の動向にも変化が生じ、そしてそのためにチームの人気も出、そしてすでに野球についてはあり余るほどの知識を持っているファンが、地元チームの実像を見に球場に足を運ぶだろう。
そうなればプロ野球新時代の到来だ。

「もし、今の体制から吹田コミッショナーのおっしゃる姿に移行するとすれば、どんな方法が考えられるでしょうね」と浦山コミッショナー事務局スタッフが、冷静な面持ちを変えずに聞いた。

理想としては、新しい都市が一斉に立候補して、それを適切な数に絞り、それによって今のチームや選手を含めた全国的再編成をやることだと思う。当然、既成の十二チームは一旦すべて解体する。最大の目的は、地元選手を中心にしたチームを全国的に平均的につくることだからね。

--- 『球は転々宇宙間』その5の3 ---

地方小都市出身者のおまけのひと言。

初めてプロ野球を観戦したのは、小学生の頃、地方巡業(?)の春先のオープン戦で、パ・リーグどうしの試合だったような記憶がある。
その頃の地方でのテレビ中継は巨人戦以外なくて(今でもか)、殆どの選手は知らない人ばっかりで、でも外野席で興奮して見ていた記憶がある。今はもう既になくなった球場で、日本三大名園のひとつの名園の程近くにあり、両翼が90m程度の外野席は席でなくて芝生だった(?)ような・・・。

まぁその当時の地方では標準だったかもしれません。球場があれば、まだましだったかも。

初めてプロ野球を見た感想は、「とにかく球が追っかけられない」でした。
「カーン」とバット音の後、ボールの行方が解らない。内野ゴロは解る眼で追える。外野に飛んだら、最初は本当に解らない。辛うじて外野手の動きで、解るようになる。

そのうち1試合の途中から目が付いて行く様になる。でも平凡なフライが全部ホームランになるような錯覚に陥る。外野フライとホームランの違いが解るには、一試合では無理かも知れない。

吹田コミッショナーの言う「ファンはテレビを通した虚像だけだけでプロ野球を知る。スタジアムの一隅で自分の眼と心で野球の実像をつかむという体験をまったくしないまま、複製像と情報だけでファンに育った人は実に多い。」と言う言葉は、本当に実感として解る。

--- 『球は転々宇宙間』その6 ---

吹田コミッショナーは少しずつ、しかし確実に改革を進めていった。次はコミッショナーの実行委員会が終わった場面。

議事がとどこおりなく終わり、ひとまず散会になったあと、一人の委員が吹田に水を向けた。

「コミッショナーはアメリカ大リーグのカードはほとんどごらんになったとか」

そこで吹田の見聞談が始まった。

アメリカには大リーグ4リーグ26チーム。マイナーリーグは3Aが3リーグで26チーム、2Aが3リーグ24チーム、1Aが7リーグ56チーム、さらにその下のルーキーリーグが2リーグ29チームある。以上合計すると20リーグ182チームがある。さすがベースボール発祥の国だけあってやはり裾野は広い。
これだけのチームがどういう都市にかたまっているかをというと、大リーグは少数の例外を除き、一都市一チーム24都市に26チーム。マイナー以下も156チームが149の都市に散在している。
かりにそのまま日本に移して考えると各都道府県に3、4のプロ野球クラブがある事となる。

そして当然と言えるが、マイナーリーグのクラスが下になるほど選手は地元選手で占められる。こういうチームは広域のマスコミでは採り上げられない地味な存在だが、地元のでは人気があり、ファンも多い。

つまりアメリカのプロ野球チームは都市の発展とともに各都市のシンボルとして育ってきたといえる。

これに対し日本は、有力な企業の下でプロ野球が育ってきた。だから12チームはほとんどが二大経済圏に集中したのでしょうね。
もっともプロ野球誕生のきっかけが、アメリカ大リーグのオールスターを迎え撃つために日本中のトップレベルの野球の力を結集したからだともいえる。

ところでみなさん、これは私の素人っぽい夢として聞いていただきたいんですが、日本のプロ野球のフランチャイズも、将来は全国主要都市に分散してもっと数が増え、各都市のシンボルとして定着するのが望ましいとは思いになりませんか
そして、できるだけ地元の選手を中心にしたチームをつくる。地元で育った逸材はそのチームに入るのが自然だというようになる。そうすれば、もっとファンも増えますよ。

委員すなわち既成球団代表たちは、吹田の話から、一般論としては常識的かつ健康な響きを感じつつ、現実の利害関係者としてはそうにこにことしているわけにはいかない気持ちにさせられていたに違いない。
委員たちの無言の態度は、明らかに驚きと戸惑いを示していた。

--- 『球は転々宇宙間』その6の2 ---

実行委員会では軽いジャブを放ちつつ、これ以上の話は警戒されると言うことで、委員会はお開きとなる。

吹田の構想は

この「プロ野球、地方の時代」構想は、一挙全体的に実行しなければならない。既成球団がそのまま移動するのでは、いつまでたっても「おらがくに」のチームは生まれない。方法はただ一つ、既成球団構成の一時総解体と即時再編成しかない。それをシーズンオフの間にやりとげる。

日本シリーズ終了後を待って全体構想を発表する。
12月中旬、プロ野球クラブ設立都市立候補締め切り。
12月末、都市選考結果の発表。直ちに現登録選手約700名の新所属チームの話し合い。同時に各地で新人募集。
1~2月、旧球団の解散と新球団の設立。
3~4月、スプリングキャンプ
5月開幕、翌年からは4月スタート。

ドラフト制度の廃止とそれに代わる制度の設置、新人育成体制、寒冷地の球場設置対策、新球団設立の母体、発起人の資格、出資者の資格と条件・・・・その他まだまだある。こういうことを一挙にやらねばならない。

新しいリーグ編成は、一挙倍増は難しいから20以内とすると、3リーグが適当か。

この計画のひとつの鍵は、選手たちの心を地元に向かわせることだ。有力選手とともに、数の上でははるかにおおいファームの選手の動向で、下積みの選手を地元で新天地を与えることである。

--- 『球は転々宇宙間』シリーズ中断 ---

人の文章引用して・・・って簡単に思ってたけど・・・。

辛い・・・し、時間掛かるわ、降参です。
無謀でした。

えっーと文春文庫『球は転々宇宙間』赤瀬川隼さんを宜しく。面白そうだと思ってくれたら幸いです。後は本買って読んでね。


ちょっと無理してる

2003-12-01 | 
とあるCafe住人の影響なんだけど、泉鏡花の作品を読み始めた。
たまたま休みの日に大阪第4ビルで年末ジャンボ宝くじ買って、地下2階の古本屋覗いたら目に飛び込んできた。
岩波文庫で奥付き(で、いいのかな?)を見ると’91年だからまだ新しくて300円(定価520円、星幾つってやつじゃない)。

義血侠血、夜行巡査、外科室、琵琶伝、海城発電、化銀杏、凱旋祭

明治27年~明治30年までの作品なんだけど、も~古文に思える。教養ない自分が恥ずかしい、苦労して読んでます。
全部読み終えたら、感想書くね。

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2003年12月03日 泉鏡花

例えばhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ant/へ行くと膨大な資料が。いながらにしてこれだけの情報が入る環境に感謝。m(__)m

例えば『渠』(かれ)

ルビも振ってあるし『かれ』と読めるのだけど、文脈から言うと、現在で言う『彼氏』『彼女』にも使っているし、『これ』にも使ってあるようだ。

と言うの上記のサイトの『鏡花作品の語彙検索』で、一発で解る。特に義血侠血に多用されてるって。いやー便利だわ。こんな情報を無料で提供して頂いてありがとうございます。

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2003年12月04日 泉鏡花

はっきり言って文庫本読みきりましたが、解りません。

兎に角、読み詰まります。

例えば、

『かうはなりてはてられ候ひき』

読めん! (ーー;) どこで切るんだ。

解説を読むとこの人死んだらしいから、その事なのかな?

こうはなりて、果てられ・・・?そうろうはともかく、その後の『ひき』って何?

あんまり細かいとこ気にせずに、江戸戯作者の流れを汲んでるらしいから、声を出して(電車の中だから本当には、声ださないけど)、韻と言うか、調子というか、それを楽しみながら(苦しみながら)、読むことは読んだ.。

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2003年12月10日 椿姫の心境って・・・困りますやん、教養なしで。

日記に映画の話とか読書の話を書くけど、はっきり言って底浅いです。
世界文学全集とか日本文学全集ってとんと無縁です。
初めて自分の小遣いで買った文庫本が、中2で『遠山の金さん』シリーズ(山手樹一郎だったのかな?)でした。
(当時、中村梅之助がやってたんだよね、テレビで。)
でさ、これが結構色っぽいの(本の話だよ)。お姐さん(名前忘れた)が金さんに迫るシーンが。緋色の長襦袢とか・・・。お世話になりました。(><)

押して知るべしで、軽い本しか読んでないんだよね(^_^;)

で、椿姫の心境って言われても。慌ててネットで検索しました。(仕事は・・・)

真実の恋に生きようとする高級娼婦マルグリットと純情な青年アルマンの悲恋の物語(デュマ・フィス作)
これがベルディのオペラになって高級娼婦ヴィオレッタとアルフレードと名前が変わり、筋も少し変わる。
同じなのは真実の愛に生きるためにマルグリットは身を引く悲恋の話らしい。

でもさ、あなたのために身を引きます、ってよく聞く話だけど胡散臭くてヤダ。
あなたと一緒にボロボロになるまで、って言われたいものだ。

泉鏡花に椿姫、おいらにとっては新たな展開だな。これだからCafeはやめれない。


なぜだか唐突にシリーズその4

2003-09-05 | 
高村薫の『李謳』って小説。
映画化されたから知ってる人もいると思うけど、大阪の下町(?)が舞台で、『姫里教会』の隣にある町工場の桜の木が(メインテーマとは言わないけど)重要な舞台背景になってる。

で、(多少縁がある)姫里に、そんな教会があるのかなって仕事終わってから行ってきましたよ。暗くなってだから、かんじんの隣の工場の桜の木とか、教会の塔とかはさっぱり、見えなかったんだけど。
でも、姫里に教会があるってのは確かめてきました。
今度は、明るい時に行ってこようと思ってる。

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で、高村薫

この人の小説のテーマといい、文章の生硬さといい、何の疑いも無く男の人だって長いこと思ってた。ここまで読んで、えっ違うのって思ったひとがいると思うけど、女性です、高村薫。

ねじなんか一度新聞の夕刊の対談(写真入)見て、へー高村薫ってこんな人って思ったけど、女性って気がつかなかったもんね。

決して男女差別の話してる訳じゃんくて、ホント男みたいもん。小説の内容は船戸与一とか逢坂剛とかのジャンルだし。文体も男やん。(新聞の写真入対談見ても男なんだし)

何べんも言うけど差別してる訳チャウねんで。

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で、(再度)薫って名前

薫って名前、男女区別がない、いい名前やん。

でも、友人の小学校の同級生に男の子で薫って子がいて、その子はちょっとシャイな子で、小学校時代の文部省唱歌(?)の『鯉のぼり』の歌を歌う音楽の時間が辛かったって話聞いたことがある。
やっぱ薫って名前、どっちか言うと女の子の名前だし、大分恥ずかしかったんとちゃうかな。

甍の波と雲の波、
重なる波の中空を、
橘かをる朝風に、
高く泳ぐや、鯉のぼり。

の、かおるをクラスの男の子が妙に力を込めて歌うんだって『たちばなかおる~』って、そうそうその子の苗字、橘っていうんだ。さらに名前が薫。男の子で。

今ならカッコいい~で済むけど、やっぱり30数年前までは、小学生としては恥ずかしかったかもね。


で、さらに庄司薫

って小説家知ってる?

ピアニストの中村紘子の旦那さん、・・・えっ、なおさら解らない。かもね。

でも、ねじの青春時代(?)のバイブルよ、「赤頭巾ちゃん気をつけて」「さよなら怪傑黒頭巾」「白鳥の歌なんか聞こえない」「ぼくの大好きな青髭」って

さらに『ぼくが猫語を話せるわけ』なんて、いいと思うけど。売れないよな、芥川賞作家といえども。