① 年に4,5回、私のエッセイが、
土曜日の室蘭民報文化欄に載る。
同じページに、『北の岬』と題する
小さな投稿エッセイ欄があった。
先週、その欄に伊達市在住の方が
想いを寄せていた。
全文を転記する。
* * * * *
伊達への思い
山口 悟巳
伊達に引っ越して早10年になる。
あの日銀行は混んでいてATMも並んでいた。
やっと自分の番がくると前の人がお釣りを取り忘れていた。
急いで外まで追いかけて渡した。
また並ぶのかとあきらめてゆっくり歩いて戻ると、
列はそのままでどうぞと手招きしている。
えっどうも頭をさげ手続きを終えた。
こりゃずい分道徳観の高いところに来たと思った。
忘れられない出来事である。
街はいたって穏やかで気取った感じがない。
一両列車、近所からの差し入れ、
星座がわかる、以前の生活にはなかったことだ。
近年は雪が増え、カラスが逃げなくなり、
デコが広くなった。
仕事の方は運よく当直員になり
今は営繕をしている。
働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに、
毎日出勤できるのはたいへんありがたいことだ。
階段をモップでふきながら登っていく。
顔見知りの人には「暖かくなりましたね。」と
たわいないあいさつ。
どうでもいい話ができる人は
どうでもいい人ではないのだ。
職場の悩みのほとんどは人間関係だろう。
いろんな人がいると割り切り、
都合の悪い事には鈍感になる。
ミスしてまわりに笑われたら
自分も一緒に笑えたらいい。
上の階に行く程景色が広がり
思わず見入ってしまう。
山が笑っている。
また春を迎えられた。
ありがとう。
* * * * *
先の市長選挙で、6期24年勤めた市長から
後継指名を受けた候補者が大差で落選した。
市民の審判である。
特段の感想はない。
しかし、落選した候補者が選挙期間中に演説した内容を
新聞記事で読んだ。
いつまでも心に残っているフレーズがある。
彼は、20数年前に伊達で暮らし始めた。
そのような人を『風の人』と称した。
そして、この地で生まれ暮らし続けている人を『土の人』と。
『風の人』と『土の人』が一緒になって、
風土はできると力説したのだ。
すると『伊達への思い』の筆者・山口さんも私も「風の人」だ。
「風の人」同士だからか、
山口さんのひと言ひと言が私の想いと重り、浸みた。
『ずい分道徳観の高いところに来た』
『街はいたって穏やかで気取った感じがない』
と、人と環境に好印象を抱いた。
日々の暮らしについては、
『運よく‥働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに‥』
と、幸運に恵まれていることを感謝している。
『どうでもいい話ができる人はどうでもいい人ではない』、
『ミスしてまわりに笑われたら自分も一緒に笑えたらいい』
と、日常にある宝物を拾う日々が続く。
山口さんは、『上の階に行く程景色が広がり思わず見入ってしまう』と言う。
私は今、次々と春を知らせる草木の開花と若葉の緑に見入っている。
そして、『山が笑っている』と私も春を迎えた。
② 1月末までの約1年半もの間、
長きにわたって歯科医院通いをしていた。
通院の頻度は、その時々によって違ったが、
月1回から3回だったから、相当の回数になった。
市内には、10数軒の歯科医院がある。
どこも駐車場があった。
だから、それが医院選びの決め手にはならなかった。
ネットで検索をした。
私が選んだ医院のホームページには、
『安心して治療を受けていただくために
ワンランク上の診断と治療』とあった。
そのうたい文句に惹かれた。
初診の時、医師は私の願いに、
熱心に耳を傾けてくれた。
その後、レントゲンやCT、写真撮影などの予定を立て、
2,3回の通院に分け、念入りに口腔内検査をした。
そして、難しい治療になりそうなのでと注釈を入れて、
「今月、札幌で学会があります。
その時、いつも指導頂いている大学の専門医に、
治療プランのアドバイスをもらってきます」
と告げた。
1ヶ月後、医師から時間をかけて、
治療方法と治療費の説明を受けた。
「この治療のやり方がベストです」と言い切られ、
承諾するしかなかった。
毎回、言われるままに治療台に上った。
言われるままに口を開け、口をゆすいだ。
それが終わったら会計をし、
次の予約をして、帰宅した。
ほとんどの日、医師は患者の掛け持ちをしていた。
私の治療が一区切りすると、もう1人の治療に行った。
それが終わると再び私の治療を始めた。
治療台に横になったまま、かなり待たされる日もあった。
50代と思われる医師は、丁寧な口調の方で腰も低かった。
それでいて、あっちの治療台、
こっちの私の台と忙しく動き回り。
その都度、サンダルで小走りする足音が行ったり来たり。
私の台に来ると「お待たせしました」と、
柔らかい声で決めぜりふを言う。
若干の怒りも、あのパタパタパタの足音と声で、
つい飲み込んでしまった。
治療の最終段階は、医師のこだわりもあったようで、
微調整のくり返しが、数回続いた。
「先生、何度同じ事をするんですか。
もうその辺でいいですよ」を、
2度3度と我慢した。
そして、ついに最後の治療日だった。
ほっと胸を撫で下ろし、治療台から降りようとした私に、
医師が遠慮がちに言った。
「もしよければ、私とのツーショット写真を撮らせて下さい」。
「エッ、先生との写真ですか」。
「はい、記念にお願いできませんか。
よろしいですか?」。
ノーとは言えなかった。
「時々、患者さんと一緒にこうして写真を撮るんです」。
いつもより明るい声だった
治療台の背もたれを起こした私と、
その横で腰掛けに座る医師。
2人の笑顔は、どんな写真だったか知らない。
でも、カメラに向かい嬉しそうな医師の横顔を一瞬盗み見た。
いい医師に出会ったんだと実感した。
私もとびっきりの笑顔でカメラを見た。
路傍に増える ムスカリ
※次回のブログ更新予定は5月20日(土)です
土曜日の室蘭民報文化欄に載る。
同じページに、『北の岬』と題する
小さな投稿エッセイ欄があった。
先週、その欄に伊達市在住の方が
想いを寄せていた。
全文を転記する。
* * * * *
伊達への思い
山口 悟巳
伊達に引っ越して早10年になる。
あの日銀行は混んでいてATMも並んでいた。
やっと自分の番がくると前の人がお釣りを取り忘れていた。
急いで外まで追いかけて渡した。
また並ぶのかとあきらめてゆっくり歩いて戻ると、
列はそのままでどうぞと手招きしている。
えっどうも頭をさげ手続きを終えた。
こりゃずい分道徳観の高いところに来たと思った。
忘れられない出来事である。
街はいたって穏やかで気取った感じがない。
一両列車、近所からの差し入れ、
星座がわかる、以前の生活にはなかったことだ。
近年は雪が増え、カラスが逃げなくなり、
デコが広くなった。
仕事の方は運よく当直員になり
今は営繕をしている。
働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに、
毎日出勤できるのはたいへんありがたいことだ。
階段をモップでふきながら登っていく。
顔見知りの人には「暖かくなりましたね。」と
たわいないあいさつ。
どうでもいい話ができる人は
どうでもいい人ではないのだ。
職場の悩みのほとんどは人間関係だろう。
いろんな人がいると割り切り、
都合の悪い事には鈍感になる。
ミスしてまわりに笑われたら
自分も一緒に笑えたらいい。
上の階に行く程景色が広がり
思わず見入ってしまう。
山が笑っている。
また春を迎えられた。
ありがとう。
* * * * *
先の市長選挙で、6期24年勤めた市長から
後継指名を受けた候補者が大差で落選した。
市民の審判である。
特段の感想はない。
しかし、落選した候補者が選挙期間中に演説した内容を
新聞記事で読んだ。
いつまでも心に残っているフレーズがある。
彼は、20数年前に伊達で暮らし始めた。
そのような人を『風の人』と称した。
そして、この地で生まれ暮らし続けている人を『土の人』と。
『風の人』と『土の人』が一緒になって、
風土はできると力説したのだ。
すると『伊達への思い』の筆者・山口さんも私も「風の人」だ。
「風の人」同士だからか、
山口さんのひと言ひと言が私の想いと重り、浸みた。
『ずい分道徳観の高いところに来た』
『街はいたって穏やかで気取った感じがない』
と、人と環境に好印象を抱いた。
日々の暮らしについては、
『運よく‥働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに‥』
と、幸運に恵まれていることを感謝している。
『どうでもいい話ができる人はどうでもいい人ではない』、
『ミスしてまわりに笑われたら自分も一緒に笑えたらいい』
と、日常にある宝物を拾う日々が続く。
山口さんは、『上の階に行く程景色が広がり思わず見入ってしまう』と言う。
私は今、次々と春を知らせる草木の開花と若葉の緑に見入っている。
そして、『山が笑っている』と私も春を迎えた。
② 1月末までの約1年半もの間、
長きにわたって歯科医院通いをしていた。
通院の頻度は、その時々によって違ったが、
月1回から3回だったから、相当の回数になった。
市内には、10数軒の歯科医院がある。
どこも駐車場があった。
だから、それが医院選びの決め手にはならなかった。
ネットで検索をした。
私が選んだ医院のホームページには、
『安心して治療を受けていただくために
ワンランク上の診断と治療』とあった。
そのうたい文句に惹かれた。
初診の時、医師は私の願いに、
熱心に耳を傾けてくれた。
その後、レントゲンやCT、写真撮影などの予定を立て、
2,3回の通院に分け、念入りに口腔内検査をした。
そして、難しい治療になりそうなのでと注釈を入れて、
「今月、札幌で学会があります。
その時、いつも指導頂いている大学の専門医に、
治療プランのアドバイスをもらってきます」
と告げた。
1ヶ月後、医師から時間をかけて、
治療方法と治療費の説明を受けた。
「この治療のやり方がベストです」と言い切られ、
承諾するしかなかった。
毎回、言われるままに治療台に上った。
言われるままに口を開け、口をゆすいだ。
それが終わったら会計をし、
次の予約をして、帰宅した。
ほとんどの日、医師は患者の掛け持ちをしていた。
私の治療が一区切りすると、もう1人の治療に行った。
それが終わると再び私の治療を始めた。
治療台に横になったまま、かなり待たされる日もあった。
50代と思われる医師は、丁寧な口調の方で腰も低かった。
それでいて、あっちの治療台、
こっちの私の台と忙しく動き回り。
その都度、サンダルで小走りする足音が行ったり来たり。
私の台に来ると「お待たせしました」と、
柔らかい声で決めぜりふを言う。
若干の怒りも、あのパタパタパタの足音と声で、
つい飲み込んでしまった。
治療の最終段階は、医師のこだわりもあったようで、
微調整のくり返しが、数回続いた。
「先生、何度同じ事をするんですか。
もうその辺でいいですよ」を、
2度3度と我慢した。
そして、ついに最後の治療日だった。
ほっと胸を撫で下ろし、治療台から降りようとした私に、
医師が遠慮がちに言った。
「もしよければ、私とのツーショット写真を撮らせて下さい」。
「エッ、先生との写真ですか」。
「はい、記念にお願いできませんか。
よろしいですか?」。
ノーとは言えなかった。
「時々、患者さんと一緒にこうして写真を撮るんです」。
いつもより明るい声だった
治療台の背もたれを起こした私と、
その横で腰掛けに座る医師。
2人の笑顔は、どんな写真だったか知らない。
でも、カメラに向かい嬉しそうな医師の横顔を一瞬盗み見た。
いい医師に出会ったんだと実感した。
私もとびっきりの笑顔でカメラを見た。
路傍に増える ムスカリ
※次回のブログ更新予定は5月20日(土)です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます