7月 某日 ①
20日に『12年! 心の変容が・・?』と題して、
ブログの更新をした。
次が、その書き出しである。
* * * * *
『S区退職校長会から会誌への原稿募集が来た。
例年のことである。
2012年に当地へ移り住む時に、
多少でも縁つなぎになればと入会した。
以来、毎年会誌への寄稿だけは続けてきた。
ブログや地元紙に書いたことに加筆したものが多いが、
その時々、思いついた近況報告のようなものである。
それでも、「毎年楽しみに待ってます」と、
便りをいただいたことも・・・。
300字程度のものだが、列記すると、
この12年間の心の変容が見えるかも・・・。
「試してみる!」。』
* * * * *
ブログは、上記に続いて2012年から23年の「駄文?」を、
列記して終えた。
それから数日後だ。
本ブログの『アクセス分析』にある
6時間以内のアクセスページの記録を見た。
すると、なんと21年11月23日に更新した
『その時々 ~某会誌より』にアクセスがあった。
急に記憶が蘇った。
急ぎそのページを開いてみた。
書き出しは、こうだ。
* * * * *
10年前になる。
当地へ転居する時に、
それまでの縁を多少なりとも繋いでおこうと、
某OBの会へ籍を置くことにした。
年数回の集まりは、当然東京都内が会場のため出席できず、
唯一参加できるのは、年1回発行される会誌への執筆だった。
先日、今年の会誌が届いた。
会員各位の近況を知ることができ、
小誌の隅々まで目を懲らした。
ふと、暇に任せ、今までの会誌を取り出し、
私自身の一筆を読んでみた。
どんな想いで書き記したのか、その時々が蘇った。
会誌を通して振り返ると、
あっと言う間だと思っていた歳月を、
1つ1つ私らしく歩んでいたように思えた。
貴重な『証』と言えそうだ。
* * * * *
このブログも、上記の後に2013年から21年の「駄文?」を
列記して終わっている。
つまりは、3年前に同様の記事をブログ掲載していたことになる。
それに全く思い当たらず、
「同じような書き出しで、まったく同じもの!」を記したのだ。
きっと、それに気づき、確かめた方がいたのだ。
ついに、私もボケが始まったか。
まったく、情けない!!!
7月 某日 ②
夏休みになり、小4の孫が二男と一緒に、
5泊6日の予定で遊びに来た。
昨年は、往復新幹線だったが、
今年は勇気を出して羽田から新千歳まで空路。
いくつかやりたいことや、行きたい所のリクエストがあった。
その1つが、温泉だった。
色々と宿泊先に迷ったが、
今年は、北湯沢温泉の『森のソラニワ』にした。
ここには「山の中のアスレチックパーク」があり、
子供に人気だと聞いたからだ。
かなり本格的なコースのようで、
利用には身長と体重の制約があった。
数年前に家族ずれを対象にリニューアルしたリゾートホテルには、
館内にもいくつか遊技施設があった。
そして、北海道らしい広い大浴場と屋外プールも。
食事処も広く、夕食も朝食もバイキングで、
賑やかな子供の声が飛び交っていた。
さて、翌日はいよいよアスレチックに挑戦だった。
「ジイジもいっしょにやろう」
何度も誘われたが、その都度「無理!」と強く断った。
受付を済ますと、
係員が孫と二男にヘルメットと命綱のついた装備を着せた。
その装着なしでは、チャレンジできないのだとか・・。
2人は次第に緊張した表情になっていった。
そして、いよいよ森の木立ちに造られたアスレチックへ。
私と家内も一緒に森に入り、その様子を見ることに・・・。
命綱を付けた2人が梯子で登ったスタート位置は、
1本の杉の中間点にあった。
見上げると平屋の屋根上より高い場所に2人はいた。
私はドキドキしていた。
「あんな高い所の空中散歩!」
命綱とヘルメットがあっても、落下が心配になった。
スタート順が来た。
「ゆっくりでいいからね!」
回りの人々は固唾を飲み、静かなのに、
私だけ一人、大声を張り上げていた。
1つまた1つ、
孫も二男も真剣な表情で進んでいった。
「ヨウシ! うまいよ、うまいよ。
その調子! 一歩一歩慎重にね!」
首が痛くなるほど高い所を見上げ、
ずっと大声で励まし続けた。
声を出しながら、こんな危険な所へ誘ったことを
後悔していた。
もう途中で止めることができない。
無事、ゴールするまで声援を続けるしかなかった。
所要時間はどれ位だったか。
途中で進めなくなっていた子がいたりで、
渋滞があった。
なので、40分余りだったろうか・・・。
2人は、笑顔で生還してきた。
「面白かった。もう1回やってもいいなぁ」
とまで言った。
「もうやらなくていい。それより、じいじの声、聞こえた?」
思わず尋ねた。
「全然、聞こえなかった。だって、夢中だったもん!」
そして、もう一つ訊いた。
「高くて、怖くなかったの?」
「あまり! ずうっと足元ばかり見てるから、
どれだけ高いかなんて、わからなかった」だって。
私のドキドキは、すべて空振りだったようだ。
7月 某日 ③
小中学校が夏休みになった。
自治会が声をかけ、
恒例の「ラジオ体操」が始まった。
時間になると、ラジオ体操の出席カードを首に下げ、
自治会会館横の広場に、子供たちが集まってくる。
昔も今も変わらない夏の光景である。
昨年より参加者が多く、活気がある。
しかし、気になることが・・・。
「友達同士で誘い合って」の参加が減っている。
代わって、親子での姿が年々増えているのだ。
さて、この変化をどう理解すればいいのだろう。
子供の友達関係が希薄になっているのではないだろうか・・。
だから、友達を誘うよりも親を頼りにする。
そう推測し、気が重くなるのは私だけだろうか。
『ガクアジサイ』盛り ~色がいい
※次回ブログの更新予定は8月17日(土)です。
20日に『12年! 心の変容が・・?』と題して、
ブログの更新をした。
次が、その書き出しである。
* * * * *
『S区退職校長会から会誌への原稿募集が来た。
例年のことである。
2012年に当地へ移り住む時に、
多少でも縁つなぎになればと入会した。
以来、毎年会誌への寄稿だけは続けてきた。
ブログや地元紙に書いたことに加筆したものが多いが、
その時々、思いついた近況報告のようなものである。
それでも、「毎年楽しみに待ってます」と、
便りをいただいたことも・・・。
300字程度のものだが、列記すると、
この12年間の心の変容が見えるかも・・・。
「試してみる!」。』
* * * * *
ブログは、上記に続いて2012年から23年の「駄文?」を、
列記して終えた。
それから数日後だ。
本ブログの『アクセス分析』にある
6時間以内のアクセスページの記録を見た。
すると、なんと21年11月23日に更新した
『その時々 ~某会誌より』にアクセスがあった。
急に記憶が蘇った。
急ぎそのページを開いてみた。
書き出しは、こうだ。
* * * * *
10年前になる。
当地へ転居する時に、
それまでの縁を多少なりとも繋いでおこうと、
某OBの会へ籍を置くことにした。
年数回の集まりは、当然東京都内が会場のため出席できず、
唯一参加できるのは、年1回発行される会誌への執筆だった。
先日、今年の会誌が届いた。
会員各位の近況を知ることができ、
小誌の隅々まで目を懲らした。
ふと、暇に任せ、今までの会誌を取り出し、
私自身の一筆を読んでみた。
どんな想いで書き記したのか、その時々が蘇った。
会誌を通して振り返ると、
あっと言う間だと思っていた歳月を、
1つ1つ私らしく歩んでいたように思えた。
貴重な『証』と言えそうだ。
* * * * *
このブログも、上記の後に2013年から21年の「駄文?」を
列記して終わっている。
つまりは、3年前に同様の記事をブログ掲載していたことになる。
それに全く思い当たらず、
「同じような書き出しで、まったく同じもの!」を記したのだ。
きっと、それに気づき、確かめた方がいたのだ。
ついに、私もボケが始まったか。
まったく、情けない!!!
7月 某日 ②
夏休みになり、小4の孫が二男と一緒に、
5泊6日の予定で遊びに来た。
昨年は、往復新幹線だったが、
今年は勇気を出して羽田から新千歳まで空路。
いくつかやりたいことや、行きたい所のリクエストがあった。
その1つが、温泉だった。
色々と宿泊先に迷ったが、
今年は、北湯沢温泉の『森のソラニワ』にした。
ここには「山の中のアスレチックパーク」があり、
子供に人気だと聞いたからだ。
かなり本格的なコースのようで、
利用には身長と体重の制約があった。
数年前に家族ずれを対象にリニューアルしたリゾートホテルには、
館内にもいくつか遊技施設があった。
そして、北海道らしい広い大浴場と屋外プールも。
食事処も広く、夕食も朝食もバイキングで、
賑やかな子供の声が飛び交っていた。
さて、翌日はいよいよアスレチックに挑戦だった。
「ジイジもいっしょにやろう」
何度も誘われたが、その都度「無理!」と強く断った。
受付を済ますと、
係員が孫と二男にヘルメットと命綱のついた装備を着せた。
その装着なしでは、チャレンジできないのだとか・・。
2人は次第に緊張した表情になっていった。
そして、いよいよ森の木立ちに造られたアスレチックへ。
私と家内も一緒に森に入り、その様子を見ることに・・・。
命綱を付けた2人が梯子で登ったスタート位置は、
1本の杉の中間点にあった。
見上げると平屋の屋根上より高い場所に2人はいた。
私はドキドキしていた。
「あんな高い所の空中散歩!」
命綱とヘルメットがあっても、落下が心配になった。
スタート順が来た。
「ゆっくりでいいからね!」
回りの人々は固唾を飲み、静かなのに、
私だけ一人、大声を張り上げていた。
1つまた1つ、
孫も二男も真剣な表情で進んでいった。
「ヨウシ! うまいよ、うまいよ。
その調子! 一歩一歩慎重にね!」
首が痛くなるほど高い所を見上げ、
ずっと大声で励まし続けた。
声を出しながら、こんな危険な所へ誘ったことを
後悔していた。
もう途中で止めることができない。
無事、ゴールするまで声援を続けるしかなかった。
所要時間はどれ位だったか。
途中で進めなくなっていた子がいたりで、
渋滞があった。
なので、40分余りだったろうか・・・。
2人は、笑顔で生還してきた。
「面白かった。もう1回やってもいいなぁ」
とまで言った。
「もうやらなくていい。それより、じいじの声、聞こえた?」
思わず尋ねた。
「全然、聞こえなかった。だって、夢中だったもん!」
そして、もう一つ訊いた。
「高くて、怖くなかったの?」
「あまり! ずうっと足元ばかり見てるから、
どれだけ高いかなんて、わからなかった」だって。
私のドキドキは、すべて空振りだったようだ。
7月 某日 ③
小中学校が夏休みになった。
自治会が声をかけ、
恒例の「ラジオ体操」が始まった。
時間になると、ラジオ体操の出席カードを首に下げ、
自治会会館横の広場に、子供たちが集まってくる。
昔も今も変わらない夏の光景である。
昨年より参加者が多く、活気がある。
しかし、気になることが・・・。
「友達同士で誘い合って」の参加が減っている。
代わって、親子での姿が年々増えているのだ。
さて、この変化をどう理解すればいいのだろう。
子供の友達関係が希薄になっているのではないだろうか・・。
だから、友達を誘うよりも親を頼りにする。
そう推測し、気が重くなるのは私だけだろうか。
『ガクアジサイ』盛り ~色がいい
※次回ブログの更新予定は8月17日(土)です。
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