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恋愛・結婚

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山岳部は「冒険の必修科目」…風間深志さん

2015-02-09 09:41:50 | キャリア・教育
山岳部は「冒険の必修科目」…風間深志さん 

冒険家

 

  • <noscript></noscript>風間深志さん(加藤祐治撮影)
  • <noscript></noscript>登山に打ち込んでいた高校2年生の頃の風間さん(左)=長野、山梨両県にまたがる八ヶ岳で
  •   キリマンジャロ、エベレスト、北極点、南極点。オートバイの冒険に挑んできた自分にとって、その基礎を築いてくれたのは、山梨県立日川高校で山岳部の練習に打ち込んだ日々だった。

      詰め襟に下駄(げた)を履いたおっかない先輩たち。バンカラな校風が漂う中、部活に入らないなんてありえなかった。入学早々、水泳部に無理やり入部させられちゃったけれど、山岳部への転部を申し出た。当時からオフロードのバイクをやっていて、山岳部なら足腰や心肺機能を鍛えることができ、バイクに役立つと思ったから。

      そこで出会ったのが、顧問の田中文人先生(78)と前島暁(さとる)先生(83)。2人とも経験豊富な登山家だった。毎日10キロ・メートルのランニングや、相手を肩車して山道を上り下りするなど、練習は厳しかった。南アルプスや奥秩父での月例登山では、雪の斜面をピッケルを使いながら登山靴で滑り降りる技術など、山のイロハをたたき込まれた。

      だじゃれが好きな田中先生は、国語の先生らしく、よく俳句をそらんじていた。一方、地理の前島先生は、山で仲間を亡くしたことがあり、「ご本尊を忘れるな」が口癖。命を大切にするよう部員に言い聞かせていた。2人の指導のおかげで、2年生の時にはインターハイと国体に出場できた。

      自然の怖さを身をもって体験し、危険に身をさらしながらも挑んでいく心を学んだ。そんな山岳部の3年間は、冒険家の必修科目を学んだ期間だった。

      卒業してから、先生たちとは会っていない。それでも2人の顔を思い浮かべるだけで、温かなぬくもりを感じる。先生たちが両親で、僕たち部員が息子たち。山岳部は、一つの家族だったのだと思う。(聞き手・保井隆之)

    プロフィルかざま・しんじ 1950年、山梨県生まれ。オートバイによるエベレスト登はん、南北両極点到達など数々の冒険を達成。自然体験イベントなどを行う「地球元気村」を主宰。

     

      (2015年1月15日付読売新聞朝刊掲載)


俳句の面白さ教わる…有馬朗人さん

2015-02-09 09:41:50 | キャリア・教育
俳句の面白さ教わる…有馬朗人さん 

元東京大学長

 

  • <noscript></noscript>有馬朗人さん(池谷美帆撮影)
  • <noscript></noscript>模型作りに熱中する小学生の頃の有馬さん(左)。父親の丈二さんと自宅で
  •   恩師といえる人はたくさんいるけれど、静岡県の旧制浜松第一中学校(現・静岡県立浜松北高校)で指導を受けた、国語の三浦利三郎先生は特に思い出深い。

      当時、50歳代。まじめでやさしい先生でした。

      私は、俳人・高浜虚子(1874~1959年)の弟子だった両親に連れられ、小学生の頃は、頻繁に句会に出ていましたが、当時は俳句が面白いとは思わなかった。魅力を教えてくれたのが三浦先生です。教科書もノートも入手困難だった終戦直後の授業では、万葉集や奥の細道など、古典の一節を朗読する。難しい字や言い回しがあれば黒板に書く。私たち生徒は一生懸命聞いて書き取る。最後にもう一度、読み上げて全員で確かめる。1回の授業で数行しか進みませんが、とても身に着いた。

      「雨雲のい行(ゆ)き烈(はげ)しき田を植うる」

      中学4年生の時、万葉集の学習で出会った「い行き」という格調高い表現を使って詠んだ句が、俳句雑誌「ホトトギス」に掲載されました。私のデビュー作は三浦先生の授業から生まれたのです。

      先生が軍国主義をあおったという理由で教職を追放されそうになった時、追放を決める委員会に生徒が訴えて、免除してもらったこともありました。

      理科の方は、自学自習。小学生の頃は、雑誌「子供の科学」を読んで、モーター作りなどに熱中した。中学3年の時に父親を亡くし、それ以降ずっと、アルバイトに追われ、基礎基本を身に着けられなかったのはいまだに残念に思っています。先生方には、今の学習が将来役に立つと子どもたちに示す指導をお願いしたいですね。(聞き手・伊藤史彦)

    プロフィルありま・あきと 1930年、大阪府生まれ。原子核物理学者。参議院議員、文部相などを務めた。2010年に文化勲章。根津育英会武蔵学園長、国際俳句交流協会会長。

     

      (2015年2月5日付読売新聞朝刊掲載)


話すことで「人の心に花」…伊藤綾子さん

2015-02-09 09:41:50 | キャリア・教育
話すことで「人の心に花」…伊藤綾子さん 

フリーアナウンサー

 

  • <noscript></noscript>伊藤綾子さん(池谷美帆撮影)
  •   小学6年の時、秋田市の朗読大会に学校の代表で出場しました。

      別の学年の担任でしたが、朗読に精通している奥山正通先生が、大会までの約1~2か月間、授業前や放課後に、集中的に指導してくれました。

      読む姿勢、口の開け方、首の角度……。母の言いつけで、3年生の頃から、国語の教科書を毎朝朗読していたので、読むことには慣れていたつもりでしたが、大変勉強になりました。猛練習のかいもあり、大会では1位にあたる優秀賞を取ることができ、自分の中で自信になりました。

      「話すことは人の心に花をさかすこと」。小学校を卒業する時、先生はそう書いた色紙をくれました。あなたが話すと人の心に花が咲くという意味で、とてもうれしかった。バスケットボールなど運動も大好きで、活発な子どもだった私の明るい声で、みんなが元気になったと感じてくれていたみたいです。朗読大会に出て、「話すことを仕事にしたいな」という淡い希望を持つようになり、先生の言葉で、それが明確な目標に変わりました。

      大学生の時には、家庭教師をしていた生徒の父親を通じて知り合うことができた山形放送のアナウンサーに、「すごくいい声をしている」と褒められて、その気になりました。その方に、ニュースの読み方などを指導してもらい、秋田放送でアナウンサーになることができました。

      地方局から上京してフリーになった時は、気負っていたし、不安でした。そんな時、色紙の言葉を思い出すのです。やっぱり自分が温かな気持ちでいないと、人の心に花は咲かない。気負わず自然体でいること。先生の言葉が自分の原点になっています。(聞き手・名倉透浩)

    プロフィルいとう・あやこ 1980年、秋田県生まれ。山形大学教育学部卒。秋田放送のアナウンサーを経て2007年にフリーに。日本テレビの平日夕方の報道番組「news every.」でカルチャーなどのコーナーを担当。

     

      (2014年10月30日付読売新聞朝刊掲載)


開放的な両親の下 自由に…島田順子さん

2015-02-09 09:41:50 | キャリア・教育
開放的な両親の下 自由に…島田順子さん 

ファッションデザイナー

 

  • <noscript></noscript>島田順子さん(前田尚紀撮影)
  •   子どもの頃、絵は得意でしたが、勉強はあんまり。そんな私をおおらかに認めてくれた両親がいたから、今の私があるのでしょう。

      実家は、千葉・館山の商家でした。父はハイカラな人で、趣味でオートバイに乗ったり、猟をしたり。いつもさっそうとしていましたね。父のしっぽみたいに付いて回っていたのは、6人姉妹で私だけ。厳しいことを言わない父でしたが、「いつも学ぶ気持ちで人に接すると心を開いてくれる」と教えられました。

      地元の中学、高校に進みましたが、身につけるものにはこだわりました。皆は紺色のカバンなのに、「真っ赤なカバンがかわいい」と父にせがんで買ってもらって。紺の制服も、「黒の方がシックでは」と思い、洋服店で作ってもらいました。目立ちたいというより、自分が好きなスタイルを勝手にしてしまう。そんな私を母も注意せず、「すてきね」と笑っていました。

    • <noscript></noscript>10歳頃の島田さん。親族らと千葉県館山市の自宅で

        卒業後は絵の学校に行きたかったのですが、「何か手に職を」と母に勧められ、洋裁を学ぶ東京のドレスメーカー女学院(当時)へ。ただ、ここでも授業に熱が入らず、フランス映画ばかり見ていました。

        私が本当に勉強したのは20歳代半ばで渡仏し、ファッションの仕事に携わってから。デザイナー集団の事務所に所属し、「プロになりたい」と懸命に学んだ。そこが私の「学校」となりました。今も、パリを拠点に活動を続けています。

        進む道が定まらず、好きなものにこだわった学生時代は、その後の人生の「栄養」をつくる期間でした。開放的な両親が大きな心で見守ってくれたから、できたことだと思います。(聞き手・名倉透浩)

      プロフィルしまだ・じゅんこ 1941年、千葉県生まれ。パリコレクションに33年連続で参加。6月に「パリ、大人エレガンス」を刊行。

       

        (2014年5月8日付読売新聞朝刊掲載)


「キリスト教の祝祭」「祝勝会」「内祝い」

2015-02-09 09:41:50 | キャリア・教育
 「街のいたるところでイルミネーションが輝き」(The whole town is illuminated.)、クリスマス気分にあふれています。

  クリスマスは本来、「イエス・キリストの誕生を祝うためのキリスト教の祝祭」(a Christian feast commemorating the birth of Jesus Christ)です。feastは「お祝い」の意味です。

  お祝いと言えば、師走選挙となる衆院選では、現職も、新人も、前回選挙の落選組も、「候補者たちは皆、この1年を祝勝会で締めくくりたい」ことでしょう。括弧部分を英訳すると、Every candidate wants to wrap up the year with a party to celebrate his or her election.です。wrap upは「完成させる、締めくくる」の意味です。

  英語での説明が難しいのが「内祝い」です。「自家の祝い事に物品を贈って祝意をあらわすこと」(広辞苑)ですから、「内祝いの品を贈る」は、send presents in celebration of a family eventなどの表現が可能です。in celebration of...は「~を祝って」の意味です。「妹に娘が生まれ、内祝いにお菓子の詰め合わせをもらった」は、My sister gave me an assortment of sweets to celebrate her daughter's birth.と訳せます。

  ただ、最近では慶事にもらったお祝いへの返礼品を指して使われることも多いようです。Thank you for celebrating our marriage. Here is a little something in return.は「結婚のお祝いをありがとう。これ、ささやかな内祝いです」ということです。in returnは「返礼として」です。(田川理恵記者)

  ※今回は東京都豊島区の伊藤恵さんの質問にお答えしました。