
冒険家
- <noscript></noscript>風間深志さん(加藤祐治撮影)
- <noscript></noscript>登山に打ち込んでいた高校2年生の頃の風間さん(左)=長野、山梨両県にまたがる八ヶ岳で
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キリマンジャロ、エベレスト、北極点、南極点。オートバイの冒険に挑んできた自分にとって、その基礎を築いてくれたのは、山梨県立日川高校で山岳部の練習に打ち込んだ日々だった。
詰め襟に下駄(げた)を履いたおっかない先輩たち。バンカラな校風が漂う中、部活に入らないなんてありえなかった。入学早々、水泳部に無理やり入部させられちゃったけれど、山岳部への転部を申し出た。当時からオフロードのバイクをやっていて、山岳部なら足腰や心肺機能を鍛えることができ、バイクに役立つと思ったから。
そこで出会ったのが、顧問の田中文人先生(78)と前島暁(さとる)先生(83)。2人とも経験豊富な登山家だった。毎日10キロ・メートルのランニングや、相手を肩車して山道を上り下りするなど、練習は厳しかった。南アルプスや奥秩父での月例登山では、雪の斜面をピッケルを使いながら登山靴で滑り降りる技術など、山のイロハをたたき込まれた。
だじゃれが好きな田中先生は、国語の先生らしく、よく俳句をそらんじていた。一方、地理の前島先生は、山で仲間を亡くしたことがあり、「ご本尊を忘れるな」が口癖。命を大切にするよう部員に言い聞かせていた。2人の指導のおかげで、2年生の時にはインターハイと国体に出場できた。
自然の怖さを身をもって体験し、危険に身をさらしながらも挑んでいく心を学んだ。そんな山岳部の3年間は、冒険家の必修科目を学んだ期間だった。
卒業してから、先生たちとは会っていない。それでも2人の顔を思い浮かべるだけで、温かなぬくもりを感じる。先生たちが両親で、僕たち部員が息子たち。山岳部は、一つの家族だったのだと思う。(聞き手・保井隆之)
プロフィル かざま・しんじ 1950年、山梨県生まれ。オートバイによるエベレスト登はん、南北両極点到達など数々の冒険を達成。自然体験イベントなどを行う「地球元気村」を主宰。(2015年1月15日付読売新聞朝刊掲載)