武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

武道家であるならば

2019年02月12日 | 武道の心


・ 武道家であるならば、道着を着るべし。

夏の暑い日でも、真冬の寒い日でも、泰然とした面持ちで素肌に道着の袖をスッとを通し、キリッと帯を締めて、毅然とした気持ちで道場に立つべし。



・ 武道家であるならば、自分を磨くための稽古を続けるべし。

白帯の頃は技を習うことが中心になりますが、徐々に仲間と技を競い合い、互いに教えて教えられる関係の中で技を磨き、そうした稽古を通じて自己を高めるべし。黒帯を締めて段位が上がるにつれて道場の中では指導をする割合が増えてくるが、それでも指導の中で自己を高める努力をするべきである。指導をしてくれる人や自分よりも強い人、自分よりも上位の者がいなければ稽古ができないというのは単なる言い訳で、人の上に立つものは、稽古指導を通じて自分を高めていくものである。

強さを求めるための努力を続けるところにこそ、武道家の価値が認められるというもの。



・ 武道家であるならば、生活の基盤を整えよ。

自分の生活が安定していなければ、そもそも道場で稽古を続けることは不可能。体や心が健康であり、仕事や学業など自分のすべきことをしっかりとこなし、そのうえで家族の理解がなければ稽古なぞ継続して続けられるものではない。定期的に稽古に参加している方は、生活基盤を安定させるため、道場では見えなくとも普段から懸命な努力をされているもの。体の健康や心の健康もしっかりと守ること。これは武道の本質である護身の心にも繋がるものである。



・ 武道家であるならば、人にやさしくあれ。

弱い人間は、人を威嚇し、自分よりも弱い攻撃対象を見つけては、その相手を攻撃することで自分の強さを認めさせようとするもの。最近のニュースで頻繁に見かける、悪質なあおり運転然り、児童虐待やDV然り、パワハラやセクハラ、ヘイトスピーチや店員さんや駅員さんなどへの暴言や暴行、婦女子を狙った悪質な嫌がらせや暴力行為等々。
中には精神病院や老人介護施設での暴行や暴言、障害や殺人事件まで起こる有様。どんなに強がっては見ても、その加害者の心の弱さ、精神の貧弱さは隠しようがなく、実に情けなくお粗末な限りである。強さを求める武道家は、周りに優しさと安心感を与える人間であってもらいたい。



・ 武道家であるならば、心に誇りを持て。

人によって、武道家というものに対する定義は異なるかもしれないが、皆さん自分の持つ定義の中だけでも結構、武道家としての誇りを常に持ってもらいたい。いくら定義が違っても、弱いものへの嫌がらせや暴力、卑怯なふるまい、弱腰で卑屈な態度、嘘つきや根性がない態度は武道家らしくないと感じる事は、誰にも共通の価値観だと思われる。

稽古中は常に毅然としていても、日々の生活の中では、色々な場面で人間としての弱さがもたげてくるのが人の常。それでも、いつ何時でも、武道家らしい毅然とした態度で物事に望みたいもの。

自分の心が弱っていても、決して人の悪口や陰口は言うべきではない。人の名誉は傷つけてはいけない。自分の思う通りに物事が進まなくとも、決して拗ねてや不貞腐れてはいけない。思わぬ大きな出来事が起こった時こそ、その人の心持が試されるときだと思われる。うまくいっても決して威張らず、失敗しても悔やまず、前を向いて進んでいきたい。



最近のニュースではとても考えさせられる出来事がよく話題に上がってくる。



そんな中、時に思い出すのが、私が若い頃、母から私の元へ送られてきた手紙の最後にしたためてあった言葉。

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<人生五訓>

・あせるな

・おこるな

・いばるな

・くさるな

・おこたるな

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というもの。



その昔に、どなたか著名な方が書いた言葉なのかもしれません。



18歳で実家を出て暮らしていた、私の元へ届いた言葉です。



何分にも不器用で、とても苦労を重ねてきた私の母。

何かにつけて私と衝突ばかりして、いつも怒っていた私の母。

気が強く、とても我慢強く、それでいてとても繊細でか細い心を持つ私の母。



そんな私の母親自身が生きてきた自分の人生の中で、自分に言い聞かせてきた言葉なのかもしれません。


実に震えたような丁寧な文字で、母が私を気遣って一生懸命したためたと思われる様子が、その力強い筆跡の、その手紙の文字から読み取れる。



またそんな母に似て、生き方が不器用な次男坊だと言っていた母が、私を気遣い送ってくれた30年以上前のこの手紙。



母の日に私が送ったハンカチへのお礼が書かれているこの手紙。

読み返すと今でも涙が出そうになる。


私が世の中の荒波にもまれ、、、上手く自己表現ができずに、、うまく立ち回れず、、一人必死にもがいて生きていた時期にもらったこの手紙です。




今でも大切にとってあります。






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