『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《玉断2》 謎の歴史的名言〜 「女人地獄使 …… 」

《玉断》とゆーと、無外流極意「玉簾不断」を思い出すが、これは単に《玉の断章》の略である

 

__本を読みはじめた10代、ラ・ロシュフコー『箴言』にしても、知識人に人気のある皮肉屋ショーペンハウエルにしても、女性とゆーものをこき下ろしているよーな印象を持った

なにかヨーロッパには伝統的な女性観が連綿と受け継がれているよーにも思う、日本でも芥川龍之介なんか『侏儒の言葉』では「女性は諸悪の根源」とまで言い切っている(梅毒に罹患したからでもなかろーが)

上記のお三方は、ある意味男性らしい鋭さ(知的な結晶めいた)を発揮した文人である、一方にゲーテの女性讃仰「永遠に女性なるもの」もあるが、一般に知識人たちは女性に恨みでもあるかのよーに、女性に冷淡である

 

つらつら読書をつづけてゆくと、ある仏教のフレーズ(偈・げ)が時々目に入って来るよーになった

引用している人はいずれも一廉の人物だったので、徐々にこのコトバが私の胸の内で大きくなっていった

 

女人地獄使、能断仏種子 外面似菩薩、内心如夜叉

読み下し「女人は地獄の使いであり、仏の種子を断つことが出来る。外見は菩薩に似ているが、内心は夜叉のようである」

 

‥‥ このフレーズが仏典の何処に載っているのか、典拠がまちまちなので面喰らう

ある人は『大乗起信論』だし、ある人は『大智度論』だし他にもあった気がする

[※ 『日本国語大辞典』より引用;出典について「成唯識論」「大智度論」「華厳経」「大宝積経」「涅槃経」などとするいろいろの説があるが不明。おそらく平安時代末頃日本で作られた語と思われる。

私は、このお経の一節のよーな漢文の偈にいたく共感していたので、どーしてもウラを取りたくなって、中之島図書館(大阪)にでかけて、『大乗起信論』の漢文版を眺めてみたが、残念ながらこの句はなかった、龍樹『大智度論』は大部なので泣く泣く引き下がった

ネットが普及してから、この句を検索してみたが、いまだに正確な典拠が判明していない(存知よりの方は教えて頂きたい)

つまり、誰のコトバなのか分からないのである

困ったことに、このコトバの裏を取ることなしに、引用している者がいるから堪らない

実は、日蓮さんも『女人成仏抄』において、華厳経に書いてあると引用なさっているとか、どなたかの孫引きなのか、案外イイ加減なインテリ度ですな

 

確か、原始仏教教団(サンガ)において、釈尊は女性の入門を禁じている

釈尊の女性親族の相談に乗っていた阿難尊者が、釈尊に切々と訴えて、やっと比丘尼として許しを得て、女性にもサンガの門を開いたと聞いている

なにか気にかかる、道元さんも晩年の出家主義に傾いたとき女性に手を差し伸べてはいない

 

C.G.ユングは、夢分析において男性の夢に出てくる女性像に注目していた

ユングの考え方でいくと、人間の心の中には自我というものがあるのですが、非常に深いところに人間の魂というものがあるとすると

魂はそのままでは自我には絶対にわかりません。

けれども、魂がどういうものかを自我が把握しようとすると、それは

【イメージとして把握される】のです。

たとえば男の人でしたら、その夢に出てくる女性のイメージが魂の像だというのです。

[※ 河合隼雄『こころの読書教室』新潮文庫ーより]

 

‥‥ 単なる心理学であり、夢分析なんて唱えはじめたのはユングだし、なんら信憑性のあるものではない

しかし、世界中にのこっている神話の分析から人間にとって最も基礎的な「母性(創造性)」とゆーものを探るのはあながち間違っていないよーに思える

ユングの場合、しかし最高度の教養の持ち主で、『易経』『黄金の華の秘密(道教の瞑想書)』にも、聖ラマナ・マハリシにも造詣が深い

東西の霊的知性をつなぐ世界会議「エラノス会議」は、ユングにその発祥を辿れるのである

それだけの知性にくわえて、ユングはよくモテた

カウンセリングした女性たちが軒並みユングに惚れてしまって、まるで教祖のよーだったと伝わる

サリン事件の「尊師」の周りにもハーレムが形成されたよーに、深い宗教性とゆーものは何故か女性を惹きつけてやまない

宗教的天才を「最初に」見つけるのは、常に女性であるとも云われている

極論を言うと、教祖であって、女性にモテない人は偽者であるとゆーことになる

 

知性が、宗教性や神話性を呑み込むほどに熟している場合、何らかの物質が揮発される感じがある

女性はそれをキャッチするアンテナを備えているのだろー

天行に照応する身体を持つ女性(月経など)は、肉体そのものであり、肉体の支配をうけるが故に、よけいに自らとまったく異なるものには敏感なのかも知れん

宗教性とは、肉体の支配をうけないものである

世間の欲望の埒外におかれている、たとえばヒンドゥーでは自分と肉体(身体)を同一視しないことが基礎となっている

 

ーこの「女人地獄使…… 」が、平安末期から連綿と引用されつづけている処に、抑圧された男性修行者の共鳴を感じ取る

翻訳の大家・鳩摩羅什が、こっそりと捏造した句を経典にひそませたよーに、この名文句も誰某の捏造したものらしい

少年ジャンプに連載された『魁!男塾』に、「民明書房」からの引用として詳細な説明文があったのだが、われわれ馬鹿な男たちは実在の出版社だとして信じて読んでいたものだ

だれが仕掛けた悪戯なのか、案外女にフラれた腹いせだったりして、男とゆー生き物は可愛い処があるものだ

              _________玉の海草

 

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