Facebookの方で閖上ネタが続いたので、こちらの方でもご紹介しておきます。

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以前からボランティアで遠方から駆けつけてくれていた団体の方々が閖上の側溝から見つけたものを展示するというものです。

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本日の河北新報の記事です。
<その先へ>試練を重ね古里描く/亡き母への思い胸に
雑貨店で絵を描く半沢さん。閖上地区への思いを作品に込める=仙台市青葉区宮町3丁目
拡大写真
◎名取・閖上出身アーティスト 半沢由紀さん(仙台市太白区)
失われた古里の風景を思い、心を込めて描いた。青い海に浮かぶ船、橋の上で羽を休めるカモメ…。東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上地区をモチーフにした絵やポストカードが並ぶ。
仙台市青葉区宮町3丁目の雑貨店「イハニア・レイキモッキ」。閖上出身のアーティスト半沢由紀さん(28)が営む。「ここは自分の頭の中。いるだけで幸せです」とほほ笑む。
閖上4丁目で生まれ育った。高校の美術科で学んだ後、専門学校を経て東京のアクセサリーを製造・販売する会社に勤めた。震災が起きたのは就職して2年目の春だった。
古里が津波にのまれていく様子がテレビに映し出された。父と兄は無事と分かったが、母優子さん=当時(49)=と連絡が付かない。数日後、優子さんは閖上中付近で、車の中から伯母=同(52)=と一緒に遺体で見つかった。
ショックで、現実を受け入れられなかった。笑うことができなくなり、会社では販売から事務の職場に異動になった。「自分は何をしたいのか。何ができるのか」と自問した。
葛藤の末、絵筆を取った。幼少期から絵が好きで、アーティストになりたかった。誰よりも応援してくれたのが優子さんだった。「母自身、童話作家にあこがれていた。いつか親子で絵本を作りたいね、と話し合っていた」。忘れかけていた夢を思い出した。
2013年夏、会社を依願退職。海外のアートを学ぶためフィンランドと英国を訪れ、約半年間滞在した。現地のアートスクールで日本人講師を務める傍ら、スケッチブック片手に歩き、感性を磨いた。念願の店を開いたのはことし4月8日。母の誕生日を再出発の日に選んだ。海外で購入した雑貨も多数並べた。
閖上で過ごした日々は、今も脳裏に焼き付いている。「遊ぶ場所がたくさんあった。私の記憶には、楽しかったころの閖上の風景しかない」と懐かしむ。
津波に耐えた日和山の桜の木を素材にした作品も手掛ける。来春には閖上と縁のある木工作家と一緒に作品展を開き、販売収益で日和山に桜の苗木を植えようと計画している。
雑貨店には閖上時代の友人・知人が訪ねてくれる。店を拠点に少しずつコミュニティーの輪を広げたい。アートの力で閖上の記憶をつなぎ、復興への願いを発信していきたい。
「愛する家族や友人を失った人は多い。心の傷はなかなか癒えないけれど、絵を見て少しでも温かい気持ちになってもらえたら」
作品の中に、太陽に向かって1本のはしごが伸びている不思議な絵がある。表現したのは「天国はそんなに遠くない」という思い。一緒に夢を語った母の存在を今も身近に感じている。(成田浩二)
URLは↓
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150609_13014.html

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以前からボランティアで遠方から駆けつけてくれていた団体の方々が閖上の側溝から見つけたものを展示するというものです。

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<その先へ>試練を重ね古里描く/亡き母への思い胸に
雑貨店で絵を描く半沢さん。閖上地区への思いを作品に込める=仙台市青葉区宮町3丁目
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◎名取・閖上出身アーティスト 半沢由紀さん(仙台市太白区)
失われた古里の風景を思い、心を込めて描いた。青い海に浮かぶ船、橋の上で羽を休めるカモメ…。東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上地区をモチーフにした絵やポストカードが並ぶ。
仙台市青葉区宮町3丁目の雑貨店「イハニア・レイキモッキ」。閖上出身のアーティスト半沢由紀さん(28)が営む。「ここは自分の頭の中。いるだけで幸せです」とほほ笑む。
閖上4丁目で生まれ育った。高校の美術科で学んだ後、専門学校を経て東京のアクセサリーを製造・販売する会社に勤めた。震災が起きたのは就職して2年目の春だった。
古里が津波にのまれていく様子がテレビに映し出された。父と兄は無事と分かったが、母優子さん=当時(49)=と連絡が付かない。数日後、優子さんは閖上中付近で、車の中から伯母=同(52)=と一緒に遺体で見つかった。
ショックで、現実を受け入れられなかった。笑うことができなくなり、会社では販売から事務の職場に異動になった。「自分は何をしたいのか。何ができるのか」と自問した。
葛藤の末、絵筆を取った。幼少期から絵が好きで、アーティストになりたかった。誰よりも応援してくれたのが優子さんだった。「母自身、童話作家にあこがれていた。いつか親子で絵本を作りたいね、と話し合っていた」。忘れかけていた夢を思い出した。
2013年夏、会社を依願退職。海外のアートを学ぶためフィンランドと英国を訪れ、約半年間滞在した。現地のアートスクールで日本人講師を務める傍ら、スケッチブック片手に歩き、感性を磨いた。念願の店を開いたのはことし4月8日。母の誕生日を再出発の日に選んだ。海外で購入した雑貨も多数並べた。
閖上で過ごした日々は、今も脳裏に焼き付いている。「遊ぶ場所がたくさんあった。私の記憶には、楽しかったころの閖上の風景しかない」と懐かしむ。
津波に耐えた日和山の桜の木を素材にした作品も手掛ける。来春には閖上と縁のある木工作家と一緒に作品展を開き、販売収益で日和山に桜の苗木を植えようと計画している。
雑貨店には閖上時代の友人・知人が訪ねてくれる。店を拠点に少しずつコミュニティーの輪を広げたい。アートの力で閖上の記憶をつなぎ、復興への願いを発信していきたい。
「愛する家族や友人を失った人は多い。心の傷はなかなか癒えないけれど、絵を見て少しでも温かい気持ちになってもらえたら」
作品の中に、太陽に向かって1本のはしごが伸びている不思議な絵がある。表現したのは「天国はそんなに遠くない」という思い。一緒に夢を語った母の存在を今も身近に感じている。(成田浩二)
URLは↓
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150609_13014.html