名取のパソコン教室から

みちのく仙台に隣接した名取市に在る「ゆっくりたのしくパソコン教室」から日々の話題をお伝えします

今日も理容店のまえでUターン

2011年04月28日 | 習い事
よくパソコン教室の敷居は高いとか言われますが、自分も今
同じように理容店の前でうろうろと迷って、
なかなか敷居を跨ぐ決心がつきません。

震災前は20数年通った近所の理容店があったので、
その気になればそっと入って、黙って椅子に座るだけで
自動的に用は済みました。
極端な話、何も考え無くても頭は刈れたといわけです。

教室の周りにもいくつも理容店が有って、最近は
カットだけなら1000円とかの激安の店もあります。

まあ激安の店でもいいんですが、変にされたらいやだなあとか
優しくしてくれるかなあとか、やっぱり料金は少し高めの店の
方がいいかなあとか、店の人が若者じゃない方がいいかなあとか
迷いに迷っています。

さっきも思い切って入ろうと思って店の前まで行ったのですが、すでに
待合に一人いて待たされそうだったので止めてしまいました。

こんなイジイジした気分って、ほんとにパソコン教室選びと
同じなのかなあと思っています。

どうする自分。どうなる理容店選び。


地域SNS「ふらっと」

何とかなるさ!?

2011年04月26日 | 震災関連
今日は用事があって名取市役所に行ってきました。
来月には仙台市に住民票を移す予定なので、これからは
あまり行く機会はなくなるだろうと思います。

そんなこともあって佐々木一十郎市長にも挨拶して来ました。
市長とは長年の先代、先々代からの付き合いで、ある意味親戚以上の付き合いがありました。

家も近いので今回の津波では家や家業の作り酒屋、幼稚園も壊滅的打撃を
受けています。話を聞いたら車5台にバイクは4台と、ボク以上の被害を受けたそうです。

市長室には寝袋がいくつも並べられ、部屋で寝泊りしている様子でした。
そんなこともあり、表情には疲れが見え、いつもの市長とはかなり違う印象でした。

実は母親の罹災届を発行してもらうために、母親が実家に居住していたという証明が
必要なのですが、津波であらゆるものが無くなってそれが出来ずに四苦八苦しました。

肝心の住民票が実家ではなく、ボクの方の家にあったことが原因でした。
地区の民生委員もしくは区長さんに一筆いただければそれでも良しということに
なったのですが、民生委員の方は津波で死亡、区長は避難していて連絡先が分からず
結局諦める事にしました。
我が家の実態をよく知る市長が一筆書くと言ってくれたのですが、担当の役人と
気まずい雰囲気になったのでこちらから辞退しました。

そんな役所仕事を見せられて、昨日はエキサイトして大きな声を上げてしまいましたが、
今日は静かに諦めてちょっと沈んだ気分で帰ってきました。

でも、、、教室へ来たら明るい気分の生徒さんたちに元気をもらっています。
TさんもYさんもKさんもHさんも生徒さんみんな最高!!


地域SNS「ふらっと」

被災された方への有益な情報

2011年04月22日 | 震災関連
本来3月14日に予約していた歯医者さんへ久しぶりに行ってきました。
家が全壊の被災者は今のところお医者さんに行っても窓口でのお支払いはありません。
厚生労働省からのお知らせ

それから、入り口に張り紙がありました。「地震で被災者になった方の歯の
クリーニングを無料で行います」とのこと。気になっている方は是非行ってみて。
優歯科医院

名取市からも重要なお知らせがありますよ
被災者災害給付金申請説明会のおしらせ
期日が限られていますから気をつけて!
被災者生活支援給付窓口開設のお知らせおよび申請についてのお願い

ついでに内閣府からパンフレット(PDFファイル)が出ていますから参考にしてください
被災者支援に関する各種制度の概要

さらについでに名取市の災害関連ホームページは
東日本大震災 関連情報
ともう一つ
市民の広場

以上思いつくまま並べてみました。

地域SNS「ふらっと」

運転免許証ふっかーつ

2011年04月20日 | 震災関連
今度は念願の運転免許証が復活です。
今月7日?の余震でまたまた待たされた運転免許証の再交付でしたが、
昨日めでたく入手できました。
なんというか、今は震災で無くしたものを一つ一つ取り戻す作業の積み重ねを
やっている気分です。

PS:顔写真の批評は受けかねます。



地域SNS「ふらっと」

さらばドゥカティ マイクヘイルウッドレプリカ(MHR900R1)

2011年04月18日 | 震災関連
今回の事でいろんなことにけじめをつけなければなりません。
個人的なことの一つにコイツとの別れがあります。

1984年は東京から郷里に戻って再就職をした年です。
自分に活を入れ、仕事に邁進するために高価な買い物をしました。
3年ローンだったかな、稼ぐのはコイツの為と思って頑張りました。
そんなちょっと遅い青春時代でした。

図体はでかく、車重は重く、ハンドルは切れず、乗車姿勢はつらく、
足は届かないというとんでもないバイクでしたが、走り出すと天国でした。
とにかく気持ちのいいエンジンで今でも最高だと信じています。

あの時代のイタリア製だからでしょうか、すぐにグズってあまり乗ってやることは
できませんでした。
でもいつの日か復活させてやろうと考えてずっと手元に置いていました。

でも今回あの忌まわしい出来事のせいでついに手放すことにしました。
チャオ クッチョロ!いつかどこかでまた会おう。




地域SNS「ふらっと」

ブロック塀注意報解除

2011年04月16日 | 震災関連
先日の本震に加え、余震でもグラグラになっていた駐車場のブロック塀を直しました。
すっかり上の方が無くなって、この低さは防犯の役目は果たしませんね(笑)



見積書が回ってきたので、業者さんに電話をしました。
「自宅が流されて現金の手持ちも少ないのでちょっとはまけてね」と言ったら
むこうも
「うちもすっかり流されて何もかも無いんですよ」だって
痛み分けってことですか。

被災者の数知れず。みんなで作ろう被災者の輪!


地域SNS「ふらっと」

サクラサク

2011年04月15日 | 習い事
この地にも桜が咲きました。
子どもらが無邪気に広場で遊んでいます。
まるであの大災害が夢であったかのように。



遠くの友人から届いたメールを紹介しましょう。


本日、ハガキいただきました。
ありがとうございます。

仙台もサクラが咲いたと妹から連絡がありました。
3月11日は寒い日でした。
あれから1ヵ月が過ぎ、サクラの咲くあたたかい春がやってきたと思うと、
遠く離れていて何もできない私ですが、
勝手に少し安心していました。

まだまだこれでもか!というほどの余震が続き、
落ち着かぬ日々をお過ごしのことと思います。
どうかお体だけは、気を付けてください。

ご案内ありがとうございました。


一通のメールで心がほっこりしました。



地域SNS「ふらっと」

Facebookで繋がりませんか

2011年04月14日 | 習い事
今回の震災で電話や携帯、自治体のホームページが役に立たなかったのに比べ、
TwitterやFacebookがとても力を発揮してくれたことは、大きく報道されました。
つまり即時性や機動力といった部分それからインターネットは比較的繋がっていた
ことから、自分もそうですが、大変使いやすく役に立ちました。

生徒さんにも勧めているところですが、こちらのMisa SugaiさんもFacebook初心者で
まずは遊びながら使ってみて、いろいろと楽しいことが分かってきたところです。
  ↓   ↓    ↓


実名主義といった部分でこれまでのネットの使い方と大きく違う部分もありますが、
あなたもFacebookどうです?
教室でももちろんご指導いたします。

地域SNS「ふらっと」

日本全国のパソコン教室から応援メッセージが届いています

2011年04月12日 | 震災関連
北は北海道から南は九州まで、全国のパソコン教室が生徒様たちに声がけをしてくれました。
いまでもどんどん増え続けています。
一通一通の応援メッセージをプリントアウトする度、涙が溢れてきます。
こんなにも、熱く応援されていると分かれば下を向いてなんかいられません。

今日も生徒さんたちが続々と教室へ戻ってきていただいています。
自分たちが頑張らないと、生徒の皆さんを応援することも出来ません。
明るく、明るく、笑顔の似合う教室にまた一歩近づいているような気がします。

余震なんかに負けないで、みんなで前を向いて歩き続けます。





実際は写真からはみ出る程になってます。
今回幹事役を引き受けてくださった、ホエールの東野専務に御礼申し上げます。

地域SNS「ふらっと」

普段の生活へ、徐々に

2011年04月11日 | 震災関連
元通りの生活パターンに戻れれば、もっと前向きになれると思います。
今回はそんなことのために良い事がありました。

じゃじゃ~ん。
津波で流された「iPhone」が復活!!



寄付金100億円の孫さんが、新しいのをタダでくれました。
ちょっと発表のタイミングが遅くて既に解約済みだったけれど、何とかなりました。

番号も元のままの090-6229-××××です。
何度電話しても繋がらす、管理人はすでにこの世に居ないと思ったあなた、
お電話待ってまーす。

現場検証しました

2011年04月09日 | 震災関連
一昨日の夜の大きな地震も怖かったですが、もう壊れる家のない管理人は平気!?
といった冗談まで言えるように回復傾向にあります。

4月3日に初めて自宅のあった場所へ行ってみました。
下の写真がそうです。

家へ向かう途中の道路脇には漁船やトラックや家の残骸などありえない光景が


ここが宮城県名取市閖上5丁目(ゆりあげと読みます)だった場所


ここが我が家のあった場所


ここが実家のあった場所


実家のあった場所を堤防側から見た様子
手前の土地が数メートルえぐれて水道管だか排水管だかが露出しています


家のお墓があった場所、一番手前に見えます。管理人が図面を引いて中国へ
特注の御影石で作ったのだったが、、、


とまあ、ご覧のようにきれいさっぱり流されてしまいました。
まだまだ心の整理がつかない状態ではありますが、現実の把握と
動揺の収まりと未来への展望を模索しております。
今後とも皆々様の温かいご支援とご協力をお願いするばかりです。

何故津波に飲み込まれたのか

2011年04月07日 | 震災関連
下の記事のように震災当時教室に居た管理人が何故津波に飲み込まれたのかを
書きましょう。

震災直後はとにかく建物がグラグラと何回も揺れるので、教室の中を片付けたくても
それはできませんでした。外に出て、ご近所の方々と無事を確認しました。そして、
お隣の敷地で車のエンジンを掛けっぱなしで、ラジオをみんなで聴いていました。

そうすると、「今、女川(おながわ)に4メートルから5メートルの津波が来ました。」と
アナウンサーが叫んでしました。もし、その高さの津波だったら我が家もお終い、そう思いました。

家には、妻と長男が実家には母親が居るはずでした。そこで、とにかく状況を確認せねばと
思い、バイクに飛び乗って家へ向かいました。
すると、道には脱出する車が数珠繋ぎとなって大渋滞していました。しかし、海岸方面へ
向かうものはほとんど無く、スイスイと走れ、途中の橋に段差があったり、地面が液状化で
真っ黒になったりしていたものの家まで辿りつけました。

家には鍵が掛かっており、家人はおらず車も無いということで既に脱出したことを確認しました。
ただ、少し離れたところに実家があり、そちらも回って見なければと実家へ向かいました。
が、すでに魚市場の海面は数メートルも盛り上がり、実家への道にも海水は流れていました。
仕方なく自分だけでも逃れようとバイクで逃げ道を探しました。
途中、町並が流され、火事は発生し、瓦礫は押し寄せてきました。しかし、不思議と恐怖は
無かったと思います。あまりの非現実的な様子にまるで映画かCGでも見ているかのようでした。

脱出できるルートを探しながら走り回ったのですが、ついに行き場を失い、津波がやってきました。
それは水の壁ではなく、瓦礫の壁でした。家や船や自動車、何かの残骸が塊となって
押し寄せてきました。一番手前の車のルーフバーに飛びついて、そこからは何度も死地を
乗り越えて直線距離で約2キロメートル流されました。

ふと気が付くと立ち木が見えて、そこに捉れば助かるのでは、と必死で掴まえました。
そこは水の高さが低くなっていて、立っていられる深さでした。

そこからも必死の脱出と膝の高さの津波に入って来てくれた人達のおかげで、津波からは
逃れることが出来ました。

その後も、色んな幸運が有って、病院へすぐに担ぎ込まれ一命を取り留めたのです。
写真はその際のトリアージの札の現物です。





震災当日に撮影

2011年04月06日 | 震災関連
地震のあった時間には、教室に居ました。
管理人はちょうど教室の説明会にいらした方とお話をしていました。
突然の揺れで教室内は大パニック、しかし、生徒の皆さんは大変冷静で
ちゃんと机の下に隠れて揺れが収まるのを待ちました。
台上のプリンターが落ち、コーヒーの機械が横倒しになりお湯が全部
こぼれました。食器の棚からガラスコップなどが落ち、本棚からは本や
PCソフトなどが大量に床に散らばりました。
管理人は教室の外の様子を確認しに出ました。一応安全であると判断し、
速やかに避難経路を確保して、生徒の皆さんと講師のみなさんを見送り
ました。
その後、通りを挟んだ向かい側の店を写したのが下の写真です。

店のガラスが全部割れています


引きで撮った写真では柱が折れて傾いているのが分かります。

もうこの建物は建て替えるしかないでしょう。

それに引き換え、教室の建物には内外とも目立ったダメージが無いことは、
直後にぐるっと回って点検した事によって確認できたのでした。

教室再開しました

2011年04月05日 | 震災関連
今日から午後の時間限定ですが、教室を開くことが出来ました。
これもひとえにご支援して下さった皆様方のお陰です。
この場を借りて深く御礼申し上げます。

初日から沢山の生徒様がお見えになり、いろいろなお話をいただきました。
ボランティアでN江講師も駆けつけてくれました。

皆さんのお元気そうなお顔を拝見し、安堵すると共に、安心感からか
どっと疲れも出てきました。

やはり、生徒様の精神的、肉体的なダメージに負けず劣らず自分のダメージも
相当残っているようです。この傷がいえるまではお互いに時間が掛かりそうです。

予定通り、4月は午後のみ教室を明けて、通常授業は5月からを目指します。

今日はそれからホエールさんの呼びかけで全国のパソコン教室から応援メッセージが
届きました。本当に励みになります。ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いします。

PS:震災当日津波に飲み込まれた時に来ていたジャケットとヘルメットを
一応元気な管理人の姿と共にご紹介しましょう。


明日、教室を再開します!

2011年04月04日 | 震災関連
余震が続く中、生徒の皆さんもパソコン授業どころではない
かもしれませんが、お約束通り、明日教室を再開します。
壊れていた教室内のPC1台も無事復旧しました。

4月中は教室は無料開放です。一般の方も受け入れます。
生徒様には多少ご不便をお掛けするとは思います。
これも地域への恩返しのつもりなので、少しだけ我慢ください。
駐車場も地震で使えなくなった福祉施設「みのり園」の方々に
お貸ししているので、混み合っていて済みません。

開放時間は午後1時から5時までです。
予約も取りません。時間中ならどなたでも
教室の施設を使えるようにします。
講師は教室まで来られる方で、ボランティアになります。

以下はプライベート部分です。
自分の周りでは未だに色々な事が同時に起こっていて、
なかなか収拾が付きません。

おとといの晩には、秋葉原に自社ビルを持つIT企業社長の○谷さんが
借家を訪れて自分たちを励ましてくれました。
東京から、しかも徒歩や高速バスや電車を乗り継いで来てくれました。
まさに驚天動地の出来事でした。

次の日には、引越しのご挨拶に伺った地元の有名企業○イ○ス○ー○マ
の○山社長が直々にお話を聞いてくれた。15年も前に離職した自分の
ことを覚えていて、津波に被災したことまで気に掛けてくれていたとのこと。
帰りには、高級フルーツや電気製品まで頂いてしまった。恐縮の限りです。

借家には、まだ足りないものも色々あって買いに行けば
手に入るのだが、教室の準備とかもあってなかなか手が付けられない。
子どものもで必要なものがあるが、買いにいってやれない。
そういえば、今日は娘の誕生日だ。もう帰らなきゃ。

それでは、皆さん、明日元気にお会いししましょう!!