新菅理人日記 -復讐編-

まあ時々、時々、暇を見て時々…

F.C.MARについて

2005年03月21日 13時35分55秒 | 日常生活
フットサルというスポーツそのものの“やる”スポーツとしての地位は年々向上し、
気軽に参加できるスポーツとしては、最上位に近いものがあるような、そんな気がします。
実際、個人参加のフットサルというものも多くなり、
少し前だったらレベルの高いものしかなかったですが、
気軽に参加できるレベルも少なくない状況にあると思います。
さて、そんな状況の中、わざわざティームを作り、そこでフットサルをする意味って有りますかね?
結論を言うと有ると思います。
でもね、ティームの誰かが試合を組んでくれて、その時間に合わせて参加する…
こんな状況では個人参加のフットサルと変わらないと思いますよ。
勿論、参加者が気心の知れた人ばかりで個人参加のフットサルと違うというのは間違いないのですが…

年度末にフットサルはしない方が良いと思います。
2時間くらいの時間を作れるのは間違いないでしょうが、
その作った時間で洗濯したり、睡眠時間にあてたりした方が良いと思います。
ただでさえ人数が少ないので、無理してやったら怪我をするかも知れないし…
みんなが30前後になった今、
家庭及び業務に於けるポジション、仕事量、今までよりも重みが大きくなって当然です。
勢い、フットサルの時間が作れなくなっても仕方のないことでしょう。

さて、個人でもフットサルが出来る状況の中、F.C.MARとして活動する意味って有るのでしょうか?
私は“有る”と思いますし、そういう状況下だからこそ、
ティームを作っている意味は有ると思うし、
それがたまたま一緒になった会社を中心としたティームということに、凄く意味があると思います。
年度末に活動が出来ない状況下の中、F.C.MARであることの意味が希薄になっている様な気がするのは私が考えすぎているだけでしょうか?
個人参加って言うのは能動的に動かなければ出来ないが、
ティームの誰かが試合を組んでくれるから楽…だからF.C.MARに参加する…
っていうのではあまりにも寂しすぎますね。
こういう時にこそ書き込みを増やしてF.C.MARの求心力を増しておくべきだと思います。
次の活動の時にその話題をするも良しですが…一番は顔を合わせていなくても会っているような感じがするっていうのが大きいと思います。
どんな状況であってもネットが出来る状況ならば、フットサルは出来なくても、書き込みは出来るはず。
MARとしての求心力だったり、絆が大事だと思いますよ。

とにかくね、F.C.MARとして活動することを最優先とするべきです。
平日活動廃止、試合数激減、サイト閉鎖…
こういう流れになりつつあり、確実に活動規模が縮小していっています。
このままいくと、私が何年か前に書いた、“MARの未来は暗い”の現実化どころか、
MARには未来はないってことになりますよ。
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竹島問題で感じること

2005年03月20日 17時53分05秒 | 日常生活
まあ、政治的なことは他に譲るとして、
見て単純に感じるのは滑稽だよなあってこと。
なんなんでしょうね。
ただね、この問題のニュースを見て感じて欲しいのは、
主張したい気持ちの激しさは、主張そのものの正しさと比例するわけではないってことね。
ここんとこは間違えないで欲しいもんです。
身近な話題については、結構、これを忘れていることって多いですよね。
身近に起きる、個人に対する会社の扱いとか。
むしろ正当性の足りない分を感情に訴えかけようとしているように見えてしまいます。
それってマイナスですよね。
色々、気持ちは分かるのですが、熱くなる前によ~く考えてみた方が良いよなあ。
このニュースを見て見苦しいと感じるならば、
何かを主張したいときは、自分の手をじっと見ることから始めて欲しいな。
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