花田凌鑑

火気利用生産公社新館

昨日本屋でどうしようかと・・・

2009-01-09 00:48:02 | その他
昨日、ある本が目に入り、手にとって読んでいたら閉店時間になってしまい、買おうかどうしようか迷って、結局後でネットで調べていくつか買おうと思って買うのをやめた。

そして、さっき調べてみたらいきなり・・・
葉室頼昭氏(はむろ・よりあき=春日大社前宮司)3日、肺炎で死去。82歳。告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、頼由(よりよし)氏

葉室 頼昭  はむろ よりあき
昭和2年 東京に生まれる
昭和28年 学習院初・中・高等科をへて、大阪大学医学部卒業
昭和30年 大阪大学医学部助手
昭和33年 医学博士
昭和38年 大阪市大野外科病院長
昭和43年 葉室形成外科病院を開業
平成3年 神職階位・明階を取得
平成4年 牧岡神社宮司
平成6年 春日大社宮司
平成11年 階位・浄階、神職身分一級を授けられる
平成20年 春日大社長老

「僕は、なぜだか知らないけれど小学生の頃から、誰かが後ろで導いてくれていると感じていたんです。いつも母は口癖のように『神様のお導き、神様のお導き』という人でした。だから僕は、そのことに逆らわないで、今までずっと神さまのお導きに順応して人生を歩んできました」 


公家の家に生まれ、学習院の初等科から中等、高等科に進学した葉室さんは、植物が好きで、東大の農学部を受験する予定で猛勉強をしていた。ところが大阪市で一番大きい大野外科病院の院長に嫁いだ姉が、友達や知人がまったくなく寂しいので「大阪に来て、医者になり、病院を手伝ってほしい」といってきた。

当時は新幹線はもちろん、特急さえない時代で、東京と大阪は非常に遠かった。葉室さんも生まれてから一度も大阪に行ったことはなかった。「これは神さまのお導きです」という母の勧めもあって、葉室さんは医師になる決心をした。

しかし、突然の進路変更だったので当然のことながら不合格となった。そこで一年間死に物狂いで勉強したあげく、入学した大阪大学医学部だったが、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり肺結核になった。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、両親の待つ東京に帰ることになる。まだ寝台車というものがなく、席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰った。「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡した。この本が葉室さんに神秘体験をもたらすことなった。「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかった。そうして汽車の中でずっと泣き続け、東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのにホームに一人で立ち上がっていた。

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読んだ。すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、奇跡のように重度の結核が消えうせてしまった。「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」死ぬとばかり思っていたところを神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、何か人様のお役に立ちたいと思った。

当時日本にはまだ、体や顔の変形を治す医師がいなかった。その患者たちはわらをもすがる思いで阪大病院へ来ていたが、医師たちも診察するだけで手の施しようがなかった。力を落として帰る悲しげなその人々を見て、葉室さんは「形成外科医」の道を選ぶことを決心した。

「人の顔は、目、鼻、口の形など、まさに神の神秘の姿そのものです。人々は当たり前のように考えているかもしれませんが、とても人間の医学の力で形作ることは不可能です。いくら頑張って手術してみても不自然さが残ります。

人間の意志の力ではなく、神さまのお導きによって手術しなければ、自然の人間の姿に回復することは不可能だと考えました。私は手術をする前には、必ずまず祈りということから始めました。いつも神さまのお導きによる無我の手術ができるように念じて手術室に入りました」そして四十年後、還暦が過ぎたころ、ようやく無我の手術ができるようになったとき、なぜか葉室さんは神主になってしまった。

神職最高位の「明階」に

葉室家はもともと朝廷の宗教的なことを受け持つ藤原家の家柄だという。葉室さんは藤原氏の公家の代表として毎年春日大社のお祭りに、装束を着て参加していた。そのころたまたま神職の資格を取る通信教育の学校があることを聞き、神主の作法を学びたくて願書を取り寄せた。

努力家の葉室さんは、医師の仕事のかたわら院長室に神道の分厚い教科書を持ち込んだ。家でも必死で勉強し、異例のスピードで神職の最高位、明階(めいかい)の検定試験に受かってしまった。そのとたん神社庁から呼び出され、病院を止めて、大阪の枚岡神社の宮司になってほしいという話がきた。そして「これは神さまのお導きだ」といわれたという。

そして二年後の平成六年、春日大社の宮司に就任した。
「僕が神さまのお導きでこの春日社にきたのは、この日本という国を、よみがえらせる仕事をさせるためだという気がします」とにこやかに語った


http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/iihanasihamuro.htm



昨年10月、関西へ行ったときに春日大社に参拝した。
前日に井村さんのところで天殊というものに出会い、左手首につけていたのだが、参拝したときにその天殊にちょっとしたことが感じられた。
これはたとえるのは難しいし言いたくない。

そして、昨日、1年に1度行くか行かないかという本屋で見つけた。

何年か前、鹿島神宮に初めて参拝したときに、よく参拝する奈良のないしょ神社とゆかりの深いものが出てきたときには鳥肌がたったが、大祓のCDという珍しいものがあって、それを井村さんにあげていた。
鹿島神宮は春日大社との関係はよく知られているところだ。
9月に関西に行ったときは、鹿男のロケ隊が宿泊したというホテルに偶然泊まった。鹿男は数年来ほとんどテレビさえみていなかったのにハマったドラマだった。
鹿男の話しにも鹿島神宮が出てくるし、鯰様を鎮める話しを中心に展開されていた。
鹿島神宮には要石という地震を鎮める石がある。

葉室さんの存在を昨日知ったのに葉室さんが亡くなられていた。
報道されたのは今日だ。
本の紹介などを見る限りでは、失われた、もしくは失われつつある、日本人の徳しむこころとはなにか?を広く世に伝え、崩壊をくい止めようとされていた方だったろうと思う。

日本人として生まれたからには、たとえ日本という国がどうにかなろうとも、海外で住むことになろうとも、葉室さんの遺志をしっかり継いでいかなければならない。

ご冥福をお祈り致します。




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