花田凌鑑

火気利用生産公社新館

食に関して思いのまま書き綴る

2009-01-31 19:17:03 | Weblog
危機を乗り切るための予言と超予測 井村宏次・著


肉を食べて体調を崩して以来、ここ数カ月ほぼ菜食・素食にしていた。

その間、はたして菜食・素食だけというのはいいのだろうか?と疑問を抱きながら。

なんとなくその疑問の答えは出ていて、別に肉食べてもいいと思ったのだが、いざ、肉を食べようとしても出来なかった。

最近ある消息筋の東洋医学の専門家から、アドバイスを受けた。
自分の体質は肉を食べないと、体のバランスが崩れて、その体質特有の病気になりやすいということだった。

東洋の伝統的世界観という、知恵が多く含まれた体系によるものなので、とても無視できるものではなく、目の覚める思いだった。

食べるということはどういうことなのだろうか?

生命を健康に維持するために栄養を摂取する。
生命を健康に維持するために他の生物に犠牲になってもらう。

東洋の伝統的世界観でいえば、
生命を健康に維持するために、生命の「気」を摂取する、という面も持ち合わせていると思う。

肉は死骸である。
しかし、新鮮な刺身や肉は生で食べれるほどいきいきしている。

かといって、動植物すべて生きた状態で摂取するのは無理だ。

動物ー植物を分けるものは何だろう?

納豆の菌は?

動物はかわいそうというが、植物はかわいそうだと思わないのか?
植物にも感情があると主張する研究者、人もいる。
可愛そうか、そうでないかと思うのも、人間様の勝手な都合なのかもしれない。

食べられる側からみれば、より多くの子孫を繁栄させたいのに、食べられてしまうのだから、納得いかないだろう。


菜食・素食の店で食事をしている人をみていると、どこかバランスを欠いたような印象を受ける人を多くみかけた。

優し過ぎのような
きれいなものを過度に好み
なにかを過度に排除するような
自分は特別だという感じ

自分もわりとそういった傾向が見え隠れするもんだから、心地よかったのかもしれないが、実にお粗末だ。

東洋の伝統的世界観のひとつに、肉は不浄なるものとして避けてきたということもある。

食の安全に対して敏感な事はいいことだ。

点滴で生きていけばいいのか?ー気がない。

気を入れた点滴を摂取すればいいのか?ー理想的にみえるが、気を入れる生物(人間)がいなければ成立しない。



とりあえずは・・・


人間はさまざまなものを体内に入れ、栄養を吸収し、排出して生きている。

進化の過程においては、肉食だった時期もあっただろう。

日本人の身体内部に関して言えば、歯や消化器系統にみられる限りにおいては、穀物を中心にした食生活であって、肉食にはあまり向かない身体になっている。

しかし、自分の東洋的世界観からみた体質は、肉を食べないとその体質特有の病気になりやすい。おそらく西洋的な体質がみられるからであろう。

現時点では、にわかベジタリアンは卒業し、肉をほどほどに摂取して生きたい。


犠牲になる動物や植物さん、水やミネラルなどの地球さんたちから、いのちをつなげることを意識しながら。


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