2013年5月18日、19日の両日にわたり、奈良学友会総会、悠歩の買い(奈良県立馬見丘陵公園)が行われました。
今年の総会は、川野会長が病気のため、急きょ退任されたことや、役員の方々の辞任などがあり、緊急的な総会となりました。
総会の開催にあたり、寺崎 保広奈良大学教授による「関野 貞と平城京研究」の講演が行われました。
講演の内容を簡単にまとめると、関野 貞博士は、わずか3年ほどの奈良県庁勤務の間に、神社仏閣の建築物を
丹念に調査し、破損の様子を調べ、補修する順番を細かく定めました。これは、今日の奈良の文化財の保存、維持を進める上で
大きな功績がありました。さらに、関野 貞は、大極殿跡の発見、平城京の範囲の確定など、今日の平城京研究に大きな足跡を
残した先駆者でもあります。
私は、関野 貞という人の名前を始めて聞きました。
しかし、彼の功績をみると、明治初期という時代にかかわらず、現代に通じる文化財の調査や保存の考え方を持っていたことに改めて感心しました。
そして、私たち自身が、後世に文化財をどのように調査しr2
、保存していくか改めて課題を突き付けられた思いがしました。
とても内容の濃い講演でした。
講演のあと、総会に移りました。
総会では、以前から懸案となっていた「総会 定足数」の問題が出されましたが、今回の総会では見送り、新会長専任の上で改めて検討することとなりました。
また次回の総会までに新会長を選出すること、当分の間、横地・岡本両副会長が会長代行として運営していくことを了承されました。
そこで、怪異の皆様にお願いですが、本部役員としてぜひとも奈良学友会の活動に参加していただきたく、お願い申しあげます。
翌日19日、悠歩の会が奈良県立馬見丘陵公園で行われました。この公園は、河合町を始め4市町にまたがる広範囲の公園です。
その中には、ナガレ山古墳をはじめ多くの古墳が含まれています。
総勢、30名ほどの参加者でしたが、西川 寿勝先生の鋭い話を織り交ぜた楽しい説明を聞きながら、長い道のりも心地よく歩くことができました。
西川先生の説明では、馬見丘陵を中心にした古墳群は、大和朝廷と豪族の勢力関係を如実に示しているとのことでした。
特に、中期に数多く見られる「帆立貝式古墳」は、大和朝廷から古墳の造作にも制限がかけられたのではという西川先生の説明でした。
公園の中には、ナガレ山古墳のように整備された古墳があります。
また、公園や宅地開発のため移築された石室もあります。
よく見ないと丘陵に見える古墳のあります。実際、この公園が整備されたきっかけも、多くの古墳が開発という名目で破壊されている実態を
うれいた地元の人々の要請で実現したものです。
公園以外にも随所に古墳が点在しています。
特に、広陵町の牧野古墳の石室は高さ3メートル以上ある立派な石室です。今日まで現状をよく保っていることがわかります。
午後から雨が降る天候となりましたが、参加者、私を除いてみなさん元気に歩きとおしておられました。
また西川先生の、発掘者でなければ話せない公園の裏話も聞けて、とても楽しい一日を過ごすことができました。
西川先生、参加者の皆さん、ご苦労様でした。
今年の総会は、川野会長が病気のため、急きょ退任されたことや、役員の方々の辞任などがあり、緊急的な総会となりました。
総会の開催にあたり、寺崎 保広奈良大学教授による「関野 貞と平城京研究」の講演が行われました。
講演の内容を簡単にまとめると、関野 貞博士は、わずか3年ほどの奈良県庁勤務の間に、神社仏閣の建築物を
丹念に調査し、破損の様子を調べ、補修する順番を細かく定めました。これは、今日の奈良の文化財の保存、維持を進める上で
大きな功績がありました。さらに、関野 貞は、大極殿跡の発見、平城京の範囲の確定など、今日の平城京研究に大きな足跡を
残した先駆者でもあります。
私は、関野 貞という人の名前を始めて聞きました。
しかし、彼の功績をみると、明治初期という時代にかかわらず、現代に通じる文化財の調査や保存の考え方を持っていたことに改めて感心しました。
そして、私たち自身が、後世に文化財をどのように調査しr2
、保存していくか改めて課題を突き付けられた思いがしました。
とても内容の濃い講演でした。
講演のあと、総会に移りました。
総会では、以前から懸案となっていた「総会 定足数」の問題が出されましたが、今回の総会では見送り、新会長専任の上で改めて検討することとなりました。
また次回の総会までに新会長を選出すること、当分の間、横地・岡本両副会長が会長代行として運営していくことを了承されました。
そこで、怪異の皆様にお願いですが、本部役員としてぜひとも奈良学友会の活動に参加していただきたく、お願い申しあげます。
翌日19日、悠歩の会が奈良県立馬見丘陵公園で行われました。この公園は、河合町を始め4市町にまたがる広範囲の公園です。
その中には、ナガレ山古墳をはじめ多くの古墳が含まれています。
総勢、30名ほどの参加者でしたが、西川 寿勝先生の鋭い話を織り交ぜた楽しい説明を聞きながら、長い道のりも心地よく歩くことができました。
西川先生の説明では、馬見丘陵を中心にした古墳群は、大和朝廷と豪族の勢力関係を如実に示しているとのことでした。
特に、中期に数多く見られる「帆立貝式古墳」は、大和朝廷から古墳の造作にも制限がかけられたのではという西川先生の説明でした。
公園の中には、ナガレ山古墳のように整備された古墳があります。
また、公園や宅地開発のため移築された石室もあります。
よく見ないと丘陵に見える古墳のあります。実際、この公園が整備されたきっかけも、多くの古墳が開発という名目で破壊されている実態を
うれいた地元の人々の要請で実現したものです。
公園以外にも随所に古墳が点在しています。
特に、広陵町の牧野古墳の石室は高さ3メートル以上ある立派な石室です。今日まで現状をよく保っていることがわかります。
午後から雨が降る天候となりましたが、参加者、私を除いてみなさん元気に歩きとおしておられました。
また西川先生の、発掘者でなければ話せない公園の裏話も聞けて、とても楽しい一日を過ごすことができました。
西川先生、参加者の皆さん、ご苦労様でした。