筑波峯(TUKUBANE)

奈良学友会(奈良大学文学部文化財歴史学科同窓会)関東支部報

ペ-ジを移動しました。

2015-03-17 21:18:20 | 日記
都合により、奈良学友会ブログをLiveDoor「筑波嶺(2)」に移動しました。より充実した紙面にしていきますので、これからもご覧いただけたら幸です。よろしくお願いいたします。

西山 要一先生の講演会

2014-10-25 14:53:27 | 日記
10月24日、さいたま市民会館うらわ で奈良歴史地理の会主催 西山 要一先生の講演会が行われました。



西山先生は、さいたまでの講演会は4回目ということで、今までと違った角度から「稲荷山古墳鉄剣」についてお話しくださいました。

稲荷山鉄剣が発見された年には、全国で古墳を中心とした遺跡を保存する活動が行われました。
埼玉古墳群も、このような公園整備の一環として保存作業が行が行われました。
公園整備を行うにあたり、埼玉古墳群の資料的価値を探るため、一部破壊されていた稲荷山古墳を発掘したそうです。
当初は石室が見つからず、作業は難航したようですが、調査のため後円墳部の縦にトレンチを入れたところ、盗掘に合わなかった石室が見つかり、その発掘の中で
鉄剣が発見されたそうです。
発掘から10年後、鉄剣のさびがひどくなり、より長期的保存をするために、当時西山先生が勤務されていた元興寺文化財研究所に持ちこまれました。
保存作業の下準備をしている時、どうも金で象嵌している部分があるようだということがわかりました。
そこで、当時ようやく使い始めたレントゲンで鉄剣を調べてみると、文字が刻まれていることがわかりました。
研究所では、文字の解析と読み下しを行いました。報道関係に発表する時間的猶予は約1週刊と考え、あわただしく準備をしたそうです。
しかし、手違いからか、ある新聞が夕刊で特ダネとして報道し、当初予定していた記者会見の一部は中止となってしまったそうです。
その後、西山先生は、当時最先端のアクリルによる鉄剣の固定作業、鉄剣から文字を読み取るためのさびの処理と細かい作業をされ、
今日われわれが目できるようにされたとのことです。



当初は数文字だけの作業を考えられていたようですが、学術的な価値があるということで、全文字復元をしたそうです。



その後、各地ですでに発掘されていた鉄剣、その後発見された鉄剣からも象嵌で細工された文字が見つかりましたが、稲荷山古墳の鉄剣ほど、
文字数や内容が豊かなものは少ないそうです。



また、鉄の成分を調べてみると、稲荷山古墳の鉄剣は中国で作られた鉄を用い、日本で象嵌細工されたことがわかりました。

稲荷山古墳鉄剣の保存作業は、その後の遺物保存技術の向上をの指針となり、遺物としても日本の古墳時代の地方勢力の在り方を知る有力な資料となったとのことでした。
実は、今回の西山先生の公園は、稲荷山古墳鉄剣の保存にかかわる裏話として、楽しく聞くことができました。
2時間あまりの講演がとても短く感じた楽しい講演会でした。


次回、奈良歴史地理の会の講演会は、
12月10日(水)
白市 太一郎先生
「前方後円墳終焉の意味するもの」
場所 さいたま市民会館うらわ 開場1時15分、開演2時の予定で行われます。
ぜひ、ご参加ください。



9月24日の講演会

2014-09-25 20:15:56 | 日記
9月24日、さいたま市民会館うらわで、水野正好先生の講演会が、奈良歴史地理の会主催で行われました。
今回の水の先生の演題は、「「華ひらく応神・仁徳天皇の時代」です。




今回の句円は、文献を中心に、邪馬台国の時代から神功皇后の新羅征伐、合わせて朝鮮の優れた技術を積極的に導入
し、国としての体裁を整えていった。さらに、応神・仁徳天皇の時代には、難波の地を外国との交易の窓として整備し、
強大な王権を樹立していったという内容です。
詳しいことは忘れてしまいましたが、印象的な話は沖ノ島の話です。翁島の沖津宮は海の正倉院といわれるように、
古代からの催事にかかわる土器や鏡など、足の踏み場もないほど供えられているとのことです。水野先生は、実際に沖ノ島に行かれた
体験を基に話されてのですから、一層真実味がありました。
講演会の後は、奈良学友会による懇親会です。




懇親会では、われわれの質問にも気楽にお答えくださり、和やかな雰囲気の中で行われました。
特に卑弥呼の鏡について質問が出された時、卑弥呼の鏡は中国の皇帝が他の諸侯と区別し、肉厚であるが小型の素晴らしい鏡を与えた。
20センチを超える三角縁神獣鏡は卑弥呼の使者が市井の鏡職人に大量に作らせたものだと、相変わらず独自の鋭い視点からお答えくださいました。
目の具合が悪いと言いながらも、小一時間ほど楽しい水野節を聞くことができました。
水野先生、これからもお体を大切にしてください。ありがとうございました。

次回の奈良歴史地理の会は10月24日(金)
西山 要一先生の「稲荷山古墳鉄剣の保存科学研究」です。
場所は、さいたま市民会館うらわ、時間は2時(開場は1時15分)からです。
お誘い合わせのうえ、ご参加ください。

奈良大学卒業式に参加して

2014-03-24 23:12:04 | 日記
3月20日、奈良大学の卒業式が不順な天候の行われました。
通信教育部の卒業生は、110名あまりで、今までで一番多い卒業生の数かと思います。
今回は、舞台の上から参列しました。なかなか舞台の上から式を見ることはできませんから、貴重な体験だったといえます。
舞台から卒業生の姿をみると、通学生の緊張した面持ちと希望に満ちた姿がみられ、自分もかつては希望を持って社会に巣立ったのだなと
感慨深く思えました。通信学部の卒業生は、一つの仕事をやり終えたという安堵感にあふれているように思えました。
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。これからが本当の自分の勉強の出発点だと思います。
そのためには、一人よりも数多くの仲間や友達の協力はかかせません。
一人でも多くの仲間や友達を持つには、やっぱり同窓会である「奈良学友会」に参加することではないでしょうか。
宣伝を兼ねて、卒業生の皆さん、ぜひ「奈良学友会」のご参加ください。よろしくお願いいたします。

 3.18 講演会を終えて

2014-03-24 22:26:24 | 日記
 3月18日、「さいたま市民会館うらわ」において奈良歴史地理の会主催の講演会が行われました。
今回は、桜井市纏向学研究センター所長 寺澤 薫先生による「纏向学」への招待ー日本国歌誕生のパースペクティヴーという講演です。
内容を簡単にまとめると、九州ぬに勢力をもっていた「イト倭国」が備前、丹後、美濃などの諸国と連合して「纏向」の地に連合国家として新たな計画都市を作った。
纏向は、今までの集落とは異なり、背後に農業などの生産地を持たない計画的に作られた都市であるということを、今までの考古学の成果を踏まえるとともに
中国を中心としたアジア史の変化の中で日本の国家の成立を考察したものです。


寺澤 薫先生

講演の中で印象的だったのは、卑弥呼が王となる前、国が乱れたとされていることについて、先生は、軍事的な争いではなく、「イト倭国」が後漢の衰退とともに、
後漢の権力を背景にした支配力が弱まり、イト倭国とは異なった墳墓を持った吉備等の他の勢力が台頭してきた。その台頭して来た他の勢力と「イト倭国」が連合国家として
集約していく過程であると説明されたことです。
今回の寺澤先生の講演は今までと異なった切り口で日本の成立を語っているだけに興味が一層わくお話でした。

講演会の阿多尾、本来では懇親会を設ける予定でしたが、寺澤先生の都合で懇親会ではなく、
(株)地研コンサルタンツ取締役事業部長 小山田吉孝氏による「三内丸山遺跡の復元について」のお話を聞きました。
小山田氏は急きょお願いしたにもかかわらず快く受けていただき感謝に堪えません。
お話の内容の中心は、遺跡にある建物をどのように復元していくかです。


小山田吉孝氏

建物を復元していく過程は、柱などが立てられた穴の地面の硬さと周りの地面の硬さを比較することで、おおよその建物の重さがわかるのだそうです。
そのあと、他の遺跡と比較し、屋根があるのか、高さは何階なのかを想定していくのだそうです。
言葉で書くと簡単なように思えますが、細かな作業や調査を通して復元されていることを知り、復元建物を作るにも多くの人の研究や調査を踏まえてということを痛感しました。
短い時間でしたが有益なお話を聞くことができよかったです。