7月30日、奈良歴史地理の会講演会が、「さいたま市民会館うらわ」で行われました。
今回は、浅田 隆 奈良大学名誉教授による「映像でたどる 奈良の歴史と文学」です。
明治以後、奈良を訪れた作家や著名人作品をmとに、関連する地図や映像を通して
奈良がなぜ今日まで多くの人に愛されているかを解き明かしていく講演でした。
初めに、正岡子規の作品を例に、明治初期の奈良の様子や様子をスライドで映像や地図を映し説明していただきました。
明治初期の奈良は、廃仏毀釈の嵐により、多くの寺が荒廃をきわめていました。
しかし、岡倉天心やフェノロサによる「日本の美」の再発見や文化財を保存しようととする人々の努力により、
荒廃の嵐は止みました。そして、奈良は新たな観光都市としての歩みを始めたので。
その例が、浮御堂であることはじめて知りました。
正岡子規は、奈良の旅行が大変気に入ったらしくさまざまな作品に奈良の印象を語っています。
正岡子規の代表的な句に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」がありますが、実際は奈良の旅館に泊まった折、
御所柿を宿の者に所望し、食べているときどこからか響いた鐘の音の情景を詠んだものだそうです。
しかし、奈良では「柿」のイメージを十分つかむことができないと考え、法隆寺としたのだそうです。
また、和辻哲郎が「古寺巡礼」で述べている「聖林寺の十一面観音」について、廃仏毀釈のおり、
安置された神宮寺から押し出され聖林寺に移されたいきさつをスライドを示しながら説明していただきました。
噂では、路上にほおり出されていたという様ですが、実際には何らかの縁で聖林寺に引き取られたそうです。
それでも、聖林寺も維持管理が十分できなかったようで、痛みもはげしかったようです。
見かねた、岡倉天心がお金を与え、やっと安置するお堂がしつらえられたということです。
最後に、なぜ奈良が今日まで多くの人に愛されている理由とは、単に古い建物や伝統が残っているのではなく、
食事や衣服など日常生活の根底にあるものが今日の私たちの生活の中に根付いているからだということです。
私たちが奈良を訪れた時、何かしら共感を覚え、懐かしく感じるからだということです。
浅田先生の軽妙な話と数多くのスライドにより、とても楽しい講演会でした。
講演会のあと、奈良学友会主催による懇親会を行いました。
引地関東支部長のあいさつの後、和やかに会は行われました。
特に、浅田先生は、コップに注がれたビールの量を指し示しながら「これだけのビールの量を話しましょう」
とユーモアを交えながら、自分は奈良大学に着任するまで「プロレタリア文学」を専攻してきたこと、
奈良大学に着任語、会津八一など奈良にかかわる文学者の研究に取り組んだこと、
小林多喜二志賀直哉の関係を話してくださいました。また気さくにサインに応じて下さいました。
とにかく話し方が上手なのと、話題が豊富なので、時間のたつのも忘れるぐらい楽しい時間を過ごすことができました。
今回は、浅田 隆 奈良大学名誉教授による「映像でたどる 奈良の歴史と文学」です。
明治以後、奈良を訪れた作家や著名人作品をmとに、関連する地図や映像を通して
奈良がなぜ今日まで多くの人に愛されているかを解き明かしていく講演でした。
初めに、正岡子規の作品を例に、明治初期の奈良の様子や様子をスライドで映像や地図を映し説明していただきました。
明治初期の奈良は、廃仏毀釈の嵐により、多くの寺が荒廃をきわめていました。
しかし、岡倉天心やフェノロサによる「日本の美」の再発見や文化財を保存しようととする人々の努力により、
荒廃の嵐は止みました。そして、奈良は新たな観光都市としての歩みを始めたので。
その例が、浮御堂であることはじめて知りました。
正岡子規は、奈良の旅行が大変気に入ったらしくさまざまな作品に奈良の印象を語っています。
正岡子規の代表的な句に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」がありますが、実際は奈良の旅館に泊まった折、
御所柿を宿の者に所望し、食べているときどこからか響いた鐘の音の情景を詠んだものだそうです。
しかし、奈良では「柿」のイメージを十分つかむことができないと考え、法隆寺としたのだそうです。
また、和辻哲郎が「古寺巡礼」で述べている「聖林寺の十一面観音」について、廃仏毀釈のおり、
安置された神宮寺から押し出され聖林寺に移されたいきさつをスライドを示しながら説明していただきました。
噂では、路上にほおり出されていたという様ですが、実際には何らかの縁で聖林寺に引き取られたそうです。
それでも、聖林寺も維持管理が十分できなかったようで、痛みもはげしかったようです。
見かねた、岡倉天心がお金を与え、やっと安置するお堂がしつらえられたということです。
最後に、なぜ奈良が今日まで多くの人に愛されている理由とは、単に古い建物や伝統が残っているのではなく、
食事や衣服など日常生活の根底にあるものが今日の私たちの生活の中に根付いているからだということです。
私たちが奈良を訪れた時、何かしら共感を覚え、懐かしく感じるからだということです。
浅田先生の軽妙な話と数多くのスライドにより、とても楽しい講演会でした。
講演会のあと、奈良学友会主催による懇親会を行いました。
引地関東支部長のあいさつの後、和やかに会は行われました。
特に、浅田先生は、コップに注がれたビールの量を指し示しながら「これだけのビールの量を話しましょう」
とユーモアを交えながら、自分は奈良大学に着任するまで「プロレタリア文学」を専攻してきたこと、
奈良大学に着任語、会津八一など奈良にかかわる文学者の研究に取り組んだこと、
小林多喜二志賀直哉の関係を話してくださいました。また気さくにサインに応じて下さいました。
とにかく話し方が上手なのと、話題が豊富なので、時間のたつのも忘れるぐらい楽しい時間を過ごすことができました。