![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3e/6986fac849ac5347f4ebef96876008f1.jpg)
(3/7日の続きです。)
3/8日・京都駅前のホテルをバスで出発ー南禅寺ー京大総合博物館ー昼食(南禅寺湯豆腐)-桃山御陵ー宇治平等院と源氏物語ミュージアムー京都駅解散。
まずは、平安神宮参拝してから、南禅寺を見学。
(平安神宮)
南禅寺は文永元年(1264)亀山上皇により離宮禅林寺殿として建立され、京都五山の上に列せられた臨済宗南禅寺派の大本山である。
(南禅寺三門で説明に聞き入るメンバー。)
(南禅寺山門は三門とも書き、方丈と共に国宝である。)
(南禅寺方丈庭園は小堀遠州作の禅院式枯山水の名園である。)
境内を貫いている赤レンガの水道橋は1890年に竣工、琵琶湖の水を京都市内に引いている琵琶湖疎水として南禅寺に馴染んでいる。
(境内を貫く琵琶湖疎水の水道橋)
(琵琶湖疎水は現役で利用されている)
京都大学の博物館は、100年以上にわたって収集された学術標本資料を収蔵した、日本初の本格的ユニバーシティ・ミュージアムです。研修会を兼ねて見学しました。
(京大博物館入口)
昼食は南禅寺名物の湯豆腐をいただきました。
(南禅寺参道にある湯豆腐店入口)
伏見桃山では、近代の古墳・明治天皇陵に参拝しました。
明治45年(1912)7月30日、明治天皇が崩御。同年9月14日に埋葬された。
(桃山御陵への階段は2百数十段・・・、元気に登りました。)
案内のメンバー(朱雀さん)説明によれば、古式に範をとったとされる上円下方墳で、墳丘には さざれ石が葺かれている。敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地で、京都に墓地が営まれたのは明治天皇の遺言によるものという。
(明治天皇陵・伏見桃山陵ふしみももやまのみささぎ)
墳丘は、下段の方形63m、上円の高さ6,3m、方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中にお棺入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を、石蓋をしてコンクリートで固めた。上円下方墳の墳形は天智天皇陵(7世紀末~8世紀)がモデルにされたという。
(左が明治天皇陵・右は昭憲皇太后の東陵、共に上円下方墳である。)
大正天皇以降の天皇・皇后の陵は東京・八王子市に作られたため、近畿地方に作られた最後の天皇陵となった。
伏見桃山から宇治に廻り、「源氏物語ミュージアム」や修復中の「平等院」を見学して、京都駅で解散した。京都・奈良の幹事さん、いろいろとありがとうございました。
今回の京都大会の報告ありがとうございます。初日の宴会のハプニングは配慮していただいてありがとうございます。
伏見桃山御陵、近代の古墳にまで案内いただき参考になりました。
関東地区にある上円下方墳での発掘調査がはじまりました。(2013.3.2善さんのブログ)主体部の調査が出来るのかわかりませんが、興味のあることです。
私は去年参加していませんので、2年ぶり…3年?ぶりの皆様との再会で、大変懐かしく、また、全然変わらず元気で勉強熱心な仲間に、とても刺激をもらいました。
京都は久しぶりで、翌日の南禅寺など良かったですよ。
次回は、ゆっくりと参加してください。
「05Mの会」京都2日目をUPしました。
善さんの素早いフットワークにたじたじです。
トラバしましたので、よろしく!!です。
ボケない内に、記録しております。