6月は2度も笠間市でのゴルフボランティアがありました。今回早く終了できたので、予てから気にかけていた筑西市の国指定史跡(新治廃寺跡と新治郡衙跡)を探索して帰りました。
JR水戸線は(笠間市の友部駅~小山市の小山駅間)昔、東京からゴルフに行った時に友部駅まで乗車したことがありましたが、近年は乗車したことがありません。ホテル近くの駅にも寄り道をしました。
(笠間駅は笠間稲荷神社の玄関口です)
(特急が止まる終点友部駅、この駅の周辺をブラブラしています。中間にある宍戸駅は無人駅です)
帰り道、町の名前が笠間市をすぎて筑西市~桜川市と変わる市境(国道50線横)に新治郡衙跡があり、古代寺院の新治廃寺跡が国指定史跡として残っています。
(郡衙跡も廃寺跡も国道から目立った標識がなく、行き過ぎてしまいそうになります)
看板には、この丘は日本武尊の歌に見える新治国として上代常陸国新治郡の中心地域にあたるところである。ここに見る四基の土壇のうち前方三基が金堂跡と東西両塔跡で、後方の一基は講堂跡で回廊がある。平安初期弘仁八年(817)に焼失したものと考えられる。と記してありました(筑西市教育委員会)。
(新治廃寺跡の解説看板と伽藍の配置図)
金堂跡地に建つ記念碑は昭和17年の発掘終了時の碑、当地は草刈りはしてありましたが、礎石等の遺物もそこに残してありました。
(金堂跡の標識)
(礎石と思われる石も残されていました)
(多くの多弁丸瓦や文字瓦の出土に寄り、東国における古代寺院に大きな影響を与えたことが推察されています)
(長年の経過により、石も欅の大木に食い込んでいました)
(東西両塔跡の表示)
《新治郡衙跡》現在の茨城県は町村合併により市制を敷いたために、新治郡は所在していませんが、この辺一帯が平安期の新治郡の中心地でした。
国道から4~50m南東の農道横畑の中に、新治郡衙跡の標識と解説板がありました。
(車がやっと通れる農道際に解説板と標識がありました)
(一帯は数十年前に発掘調査された様子でした)
(ネギや麦などの農作物に覆われていました)
時間があればもっとゆっくり探索したかったのですが、又の機会にして帰宅しました。
素晴らしいですね。
私は、善さんブログから、色々な、古代史を知ることができ、嬉しいです。
これから、嫌いな夏がやってきますが、週2回のテニスは、インドアテニスなので、室内は、冷房能力いっぱいで、涼しいので、助かります。
ゴルフボランティアは今の健康維持の糧になっていますので楽しく続けていますが、途中での知られていない歴史地理的な風景も教えられることが多いです。
今回の新治郡衙も土地の人にも忘れられそうな場所でした。
先輩1週2回のテニスとは凄いですね、楽しくやれている光景が浮かびます。頑張ってください。