直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

ライバルがいない気楽さと孤独

2008年03月12日 | Weblog
 昨日、社長を大阪綿業会館まで送っていく車中で「君、直木三十五記念館の館長やねんてなあ」と言われる。館長ではなく事務局長であることや、日常業務は委託していることなどを簡単に説明する。「すごいなあ」と言っていただくが話しはここまでで、社長は「寄付したろう」とは言われなかったし、私も気が引けて厚かましくお願いはできなかった。
 先日、オダサク倶楽部の第一回読書会が開かれたので参加した。参加されていた宮川康さんからのメ―ルを読むとなんと厳しく自らを戒めている。オダサク研究は大谷晃一さんをはじめ多くの方がなされていて、宮川さんのホームページを見てもかなり真剣に熱心に研究されている様がよく見て取れる。また氏は初版本の収集や資料の収集にも力を注がれている。
 この世に直木三十五などという時代錯誤で変な作家のことを追いかけている人が織田作之助に比べて圧倒的に少ないことにどこかほっとする。私の稚拙な研究など本格派の方が現れれば木っ端微塵に吹き飛ぶであろう。しかしながら世にそんな酔狂な人はそれ程多くいないのである。オダサク研究の活発さを横目で見ながら直木研究は気楽でいいが切磋琢磨する部分がないのは少し寂しく感じた。

やはり原典に勝るものはない

2008年03月11日 | Weblog
 二十一日会の同人誌であった「大衆文藝」の1巻5月号と6月号を入手した。「去来三代記」を入手して読むことが目的である。「去来三代記」は直木三十五が「大衆文藝」に連載していた作品で、代表作「南国太平記」の元になった作品だといわれている。直木自身が「大衆文藝作法」で「去来三代記」が思いの他うまく書けなかったのであるが題材をこのままにしておくのが惜しくて「南国太平記」に至った書いているのである。
 ところが実際に「大衆文藝」を入手して読んでいると「雑音」という表題のコラム欄で
三代記を真面目に真剣に取り組むとしているがどうも身が入らないと書いている。そしてその理由として映画製作というのもに手を染めると、小説という方法論自体に不自由さと表現の限界や手法としての古さを感じるという内容のことを挙げている。つまりは聯合映画芸術家協会での仕事が「去来三代記」の質を下げてしまう要因であったようだ。編集後記に池内祥三が「直木三十五氏が本号からいよいよ「去来三代記」の連載をはじめたが締め切りが間に合わないといけないからと奈良から急行列車に乗って原稿を持ってきた」とある。いかに映画と創作の間で苦闘していたかが窺える。
 しかしこれも原典の「大衆文藝」を入手したからこそわかることである。いかに原典が大切かということの表れである。

小島政二郎「場末風流」

2008年03月10日 | Weblog
 土曜日に古書会館で月例の即売会があったので久し振りに覗く。顔見知りの店主何人かに会い挨拶を交わす。
 さて肝心の本棚の方にはびっくりするほどのものはなかったが、文庫の棚に小島政二郎の旺文社文庫の作品があった。「円朝」の(上)(下)の揃いと「場末風流」である。「円朝」も買おうかと思ったが、以前に神田で単行本も上下を買っているので思い留まり、「場末風流」を購入する。
 この「場末風流」には直木三十五についての随筆があり、以前から読んでみたいと思い続けていたので念願かなったというわけである。田端の天然自笑軒で行われた芥川の一周忌に直木が現れ、受付をしていた小島が「直木三十五」と記すが、本人は会費が払えずに小島と五分程会話を交わして帰っていくという記述がある。直木らしいとも言える話である。昨年に私が田端を訪れたときにこのことを知っていたら天然自笑軒址を見る感じが変わっていたのにと思う。
 小島の記述によると直木は声が低いようである。これも知らなかった。あと面白いと思ったのは聯合映画芸術家協会の株を小島は直木から貰ったとある。配当など期待もできないが記念に取っておくとある。昭和9年に直木が死んだ際に書いた文章なので、恐らく戦災で焼けて今はないだろうが、小島政二郎さんのご遺族がもしもお持ちであればと思う。

「南国忌」

2008年03月05日 | Weblog
 毎年のことであるが、年に一回の南国忌に運営委員会のメンバーで訪問する。今年は2月24日という祥月命日の日にあたる。
 富岡の町はあんまり変化がない。存続が危ぶまれている直木三十五の終の棲家である橋本さんの御宅もまだ健在である。しかしながら南国忌の会のメンバーの方々のお話ではあjんまり安心はできないようである。横浜市長の中田さんもどこかの知事みたいに文化や芸術に対する理解は低いそうである。
 仮に橋本さん(現在直木の旧邸を所有されている方)が建物を無料で持って行ってもいいよとなったら、これを大阪に移築したらどのくらいの費用になるのだろうか。空堀のどこかに移築して建物を改修して記念館をそちらに移す。2億円くらいはいるだろうか。しかし、物があるのであれば、その程度の金額は集まらないだろうか。取らぬ狸の皮算用だけが頭の中を巡る。

山盛りの24日

2008年02月22日 | Weblog
 毎年のことながら南国忌が24日に富岡の長昌寺である。当然のことながら参加しないわけにはいかないことである。実は24日には美章園温泉の見学会がある。これも行きたいのであるが、俄か銭湯ファンではしょうがないので、たまたま先週中を見せていただいたのであっさりと参加は諦める。
 それともう一つ諦めきれないものがある。フェスティバルホールでの忌野清志郎の完全復活ライヴである。これは正直すごく行きたかった。山本さんの癌と清志郎の癌は僕の中ではすごく大きく重なって思えた。「悪い予感」ではないが何か見ておかないといけないことのように思えた。これも次週京都での公演があるのでこちらに行くことで折り合いをつけることにする。

 そうそう、昨日「報道ステーション」で山本さんのこと取り上げていたなあ。偶然見たのだが早瀬さんやゆきさんがインタビューに答えていて、随分古い写真や一回目の選挙、薬害エイズのことなど僕が関わった頃の映像も映っていた。
 山本さんが昔、どこかの帰りに二人で酒を飲んで「僕がいなくなってからはじめて国会議員としての僕のありがたみがわかるんや」とぼやいていたことをふと思い出した。
 本人は自分がバッチを外した時にはじめて自分の値打ちを選挙区の人がわかるという意味で言ったのであるが、皮肉なことにこの言葉は今違うかたちで現実のものとなってしまった。

美章園温泉の顛末

2008年02月19日 | Weblog
 結論的に申し上げれば例の美章園温泉であるが、解体で姿を消す事が決定した。前出の建築家Uさんは話をしてみると銭湯文化を云々とおっしゃるが生活様式が大きく変化しているので単純にはいかないと考える。
 建物は残す、銭湯は続けるではますます困難な課題を積み上げるようなものである。所有者が賛同できる代替案を持って交渉にいくべきであると主張したのはR紙であるが、確かに数々の事例から考えての発言かと思う。しかしながら代替案をすぐに考え付くはずもないであろうし、ましてやUさんはなんもかもそのまま存続することを第一に考えておられる様子。
 かくしてなす術もなく解体当日を迎えたのである。前日に大阪市教育委員会の方が所有者に了解をとって実測に入ると聞いたのでこの機会でしか中を見ることは難しいと考え厚かましいながら同行させていただく。一階もさることながら閉鎖されていた二階も素晴らしい。加えてベランダや屋上まで含めて中々の建築物である。二階部分は充分にギャラリーや高級レストランにコンバージョン可能であるように思った。
 同時にこれだけの建物を個人で所有することの難しさも感じた。今後繰り返されるこの手の建物の解体や町並みの保存を目的にして公益信託を作ることはできないであろうか。個人の限界は多くの人の思いで乗り越えていけはしないであろうか。

またかと思う

2008年02月12日 | Weblog
 2月9日は大阪市立住まい情報センターでのタイアップ事業の報告会とシンポでパネラーという事で参加する。予め用意された設問に対してフリップで答えるという方式。ここはどうやったら目立つかにだけ重点をおいて言葉を選んで書く。こういうNPOとか市民団体ってサービス精神が足らないから、ちょっとだけいちびったことをするだけでウケるのであるが、一歩間違えはキワモノ扱いされる。まあ今回はぎりぎりのところであった。
 さて休み明けにメールチェックしていると建築士のUさんからメールでついに美章園温泉が解体工事に入るがなんとかしたいのでサポーター募集だという。そういえば9日の交流会でUさんの旦那のYさんが美章園温泉の話ししておられた。しかしまたもかと思う。練の隣の木造建築、大東市の平野屋新田会所となんでこうも解体するのかと思う。それと同時に反対するというか抵抗する人間の何たる無策なことか。
 資本主義社会においてのどう利害を調整していくかということは大変な課題である。その経済的な見地を持たずして持続発展可能な循環社会を構築はできない。常に先手先手で考えなければいつまでも同じ轍を踏むだけである。
 ここらで真剣に公益信託で木造建築物保存基金でも検討しなければならないのではないか。
 そういえば富岡の直木三十五の終の家も存続が危ぶまれている。どうだろう橋下知事、平松市長あの直木の家を買って上町台地のどこかに移築しないか。いい買い物だと思うが。

会報のミーティング

2008年02月07日 | Weblog
 昨日は直木倶楽部の第2号の会報の打ち合わせを行う。巻頭の文章とこの一年の出来事はまとめた部分はできているので、あとは「可能性のまち上町台地」とタイアップ事業の報告部分を仕上げるだけ。なんとか今月中には会員の皆様にお届けしたいと考える。
 ついでに中央区から依頼の「中央区史跡文化事典」の校正をする。大きくは間違っていないがなんか微妙にピントがずれているように思う。直しようがないのでちょっとだけしか筆を入れず。
 直木賞研究家の川口さんがPHPの文蔵という雑誌に少しだけ記念館のことを書いてくれている。ありがたい限りである。

大阪ブランド情報局

2008年02月04日 | Weblog
 何気なく「大阪ブランド情報局」のホームページを見ていたら「文学」の紹介でかなりの尺で直木三十五記念館が出ていた。確かにケーブルテレビが来て取材して帰った記憶はあるが、びっくりである。
 大阪の文学者と言うて「直木三十五」が普通にいや普通以上に扱われているのは記念館あってのことかと自画自賛したい気分である。
 是非ともこの映像データを拝借できないものかと思う。いよいよ記念館にどなたか大型の液晶かプラズマのテレビモニターを寄付いただけないかと思う。結構見ごたえある映像を御見せできるのではないかと思う。

邱永漢「香港」

2008年01月29日 | Weblog
 邱永漢さんの直木賞受賞作「香港」をアマゾンで見つけて購入した。実業之日本社からの再録本で受賞前年に候補になりながら落選した「濁水流」と2つの小説が収録されている。
 邱永漢さんといえばお金儲けの神様として有名で数々のお金儲けに関する書籍があるが実は長谷川伸門下で小説家として研鑚を積んでいたのだ。いずれの作品も「大衆文藝」に掲載されて世に出ている。大衆文学作家としてはど真ん中というか保守本流その中核である。
 川口さんのアンソロジーで「香港」は読むことができ、既に読んでいるのだが、今回はアマゾンで廉価で中古本が出ていたので記念館の展示にもいいので購入した。
 金儲けは下手くそな直木三十五であるが、直木賞の受賞者には金設けが得意な人が少なからずいるのだ。