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にこの庵

ひっそりと、にこ道をつづります。

唯識

2011-04-24 | にこ道
以前いただいた深谷ネギを、食べ切れないので庭のすみっこにさしこんでいたら、
いつの間にかねぎぼうずが…

もう少ししたら、小さなお花がたくさん咲くでしょう。
楽しみー

ところで先日、奈良県にある薬師寺さんから最勝会(さいしょうえ)のご案内が届きました。
お写経を納めてきた方には、このようにイベントのお知らせが届くようです。

そのご案内に、「唯識」という言葉の意味を記した紙が同封されていました。
これがピター!っときたので抜粋してご紹介します。


唯識(ゆいしき)

唯という言葉には大変重い意味がある。
私たちが日常生活の中で、外界を見て認識するのは、
全て自分の過去に認識した記憶が見ているものの上に乗るので、
識(心)が汚れていれば、外界にあるものすべてを、
識で汚したものを見ていることになる。
逆に識(心)が浄い認識をしていれば、全てのものが清浄のものとなる。


にこ

「おかげ」はめぐる

2009-10-09 | にこ道
5時30分。起床。
強い勢力の台風18号が本州を通過しているため、前夜から雨風。
この台風の影響が心配なので、少し早めに家をでようと準備をはじめる。

8時。
いつもより少しだけ早い時間の通勤電車に揺られる。

遅延を知らせるアナウンスが流れる。
ひとつ前を走っている電車のガラスが割れたとかで、定刻を10分ほど遅れる。

9時。始業。
三角巾をきゅっと頭に巻いて、さて、お仕事お仕事。

12時。ランチタイム。
いつものメンバーで、いつものランチタイム。

18時。終業。
前日は22時まで残業だったので、今日はさっさと家に帰って早く休もう!と意気込みながら母にメール。
「今日のご飯なに?」
「から揚げ」
わーーーーーい から揚げだ~~~うれしいなっっっ

18時30分。職場の最寄り駅に到着。
改札を抜けてホームに出ると、いつもと雰囲気が違うことに気づく。
2つほど先の駅付近で、自動車との接触事故が起きたため、運転を見合わせてるとのアナウンスが流れる。

19時。
まだしばらく動きそうにない。
仮に今動いたとしても、足止めをくらっていた乗客でかなりの混雑が予想される&腹も減った。
ということで、食事をすませることに。
ひとり、駅近くのご飯やさんに入り、ビールを飲む。プハ~ッ

20時30分。
適度のアルコールでいい気分になり、そろそろ電車も動き始めただろうと思い、店を後にする。

がしかし、予想に反して電車はとまったまま。
さらに膨れ上がった多くの人で駅が混雑しているのを目の当たりにし、うんざり

アナウンスでは、まだ事故処理作業に相当の時間がかかると思われ、復旧のめどがたたないとのこと。
こりゃ困った…

ということで、
どうにか家に帰るために、アルコールでややぼんやりした頭であれこれ考え始めた私。

1.振り替え輸送を使う
振り替え輸送、あるにはあるけどかなり面倒で、なが~い道のりであることが判明。
しかも、振り替え輸送を利用しても、地元の駅までたどり着けないらしい。
どうしよう…と悩む私の前を大勢の乗客たちがものすごい勢いで通り過ぎていく光景をみて、気力が失せる。

2.兄を頼る
普段から、車通勤している兄を頼るため、メールで接触をはかる。
しかし、タイミングが悪いことに、この日たまたま兄は飲み会。
お兄さん、飲んでる場合じゃないですよ…

3.友達を頼る
ご近所の友達に、「一緒にタクシーで帰ろう!」と持ちかけるため、メールで接触をはかる。
しかし、日々の当然の残業でまだしばらく帰れないとの返信が。むむぅ…

4.姉を頼る
最後の頼みの綱。
一宿一飯の恩義にあずかろうと、電話で接触をはかる。
〇〇駅まで来れば、そこからバスが出てるからそれを利用するよう言われるものの、
上下線ともほとんど機能していない状態なので、そこから3つ先のその駅まですらいけない。
バスがないか、おまわりさんに聞いたけど目的地まで行くバスはないとの悲しい返答。
しばし呆然と過ごす。

22時。
人の波はさらに膨れ上がり、改札もパンク状態。
熱気にやられ、意識朦朧。
思考がほぼ停止状態になったところで、再び携帯が鳴る。

「今からダンナが迎えに行くって言ってるから、そこで待ってて!」
はぁぁぁ…私、助かるのね。

普段は別の生活をしているためほとんど接点もなく、愛想がなくてぶっきらぼうな姉ですが、
この時ばかりは羽衣をまとった天女が、目の前に舞い降りてきたのかと錯覚しました

そして、ふと、我に返る。
「パンツ買わなきゃ!」

洋服の着替えは仕方がないとして、せめて下着だけは着替えたい…
Let's!パンツゲッツ!!!

ところが改札がものすごい人で、流れが止まっちゃってる状態。
出たくたって出られない。
こんなとこでぐずぐずしてたら、パンツ売り切れちゃうよ!

そんなヤキモキした思いで、どうにもできないでいる私の前を、
ひとりのおじさんが扉の閉まった改札をぶっちぎって、抜けて行く。
その後を追うように、ちらほら、同じようにぶっちぎって行く人が。

すでに、振り替え輸送を利用する人は、振り替え輸送券をもらって
定期券をかざさずに改札を通り抜けていたので、「ええい!パンツのため!」と思って
私もおじさんたちにならって改札ぶっちぎり。

普段はこういうことしちゃいけません。はい、分かってます。

で、駅前のコンビニでパンツと靴下などを購入して、しばらく待ったところで
姉のだんなさんと、姪っ子が乗った車が到着し、無事救助されたのでした。

とまぁ、こんなに大変だったんですよ。
こんなに長い間電車が動かなくなって困ったことって、今までに経験したことがなかったんで、
ほんとに参っちゃったんですよ。えぇ。
こんなに大変だったということが少しでも伝われば、アタシ満足。

で、今回のことで思ったことがいくつかあります。

① 携帯の充電は常に満たしておくこと
普段、携帯をヘビーに使うほうではないため、多少電池が減ってきてても「大丈夫~」って思ってたけど、
いつこのような不測の事態が発生するか分かったもんじゃありません。

② 最低限の化粧品は持ち歩くこと
昔みたいに、化粧品をあれこれポーチに入れて歩くこともなくなったのですが、
いつこのような不測の事態が…(以下同文)

③ 最低限のお金を持ち歩くこと
何も予定がないときは、お昼ごはん代だけ持っていれば事足りるので、
1,000円もあれば充分(私のお昼はだいたいおにぎり2個(300円弱))なのですが、
いつこのような…(以下同文)

とまぁ、いろいろ考えさせられた秋の夜の出来事だったのですが、
一番痛切に感じたのは、助けてくれる人が身近にいることのありがたさでした。

普段ほとんど接点のない姉兄が、無力な妹が肩を震わせながらミーミー泣いていたら、
見捨てることなく、手を差し伸べてくれました。

残業中の友達は、「しばらく待ってもダメなら、仕事早めに切り上げるから連絡して!」と言ってくれました。

ありがたいことだと、思いました

そして、翌朝、何事もなかったかのように動く電車に揺られながら、
当たり前のように電車が動くことも、ありがたいことなんだと思いました。

これが当たり前だと思っちゃいけない。
いや、もちろん、電車は当たり前に動いてくれなきゃ困るんだけど、そう、困るの。
電車が動かなかったら困るんです。アタシ困るの!

当たり前に電車が動いてくれること、ありがたいことなんです

最近、こういうことよく思うようになったのだけど、
自分の力だけで生きてると思うな、って言うけど、ほんとにその通りだなぁと。

私は仕事に通うために電車を利用します。
電車が動いてくれなかったら、私は仕事に通えないから、お金を稼ぐことができなくなります。
そうすると、生活するのに困ります。

だから私にとって電車は必要なもの。
その電車が毎日安全に私たちを運んでくれるためには、沢山の人の力が働いています。
運転手さんはもちろん、車両や線路の点検をしてくれる人や、駅にいる係員の人、
電車という乗り物を作ってくれた人、それらに携わる、顔は見えない多くの人。
そういった人たちの力があるおかげで、私の生活は成り立ちます。

電車だけではありません。
雨風をしのいでくれる家だって、実に多くの人の力がはたらいているおかげで存在します。
家の材料となる木や釘などを作る人、不動産会社の人、設計士さん、大工さんなどなど。

毎日食べるご飯も、農家や酪農家の人たちの苦労なしではいただくことはできないし、
調味料、料理道具一つをとっても、そこにはたくさんの人たちの力がはたらいています。

ふだん何気なく使っている文具や、パソコン、コップ、タオルなどなどだってそう。
それを作る人、流通させる人、販売する人の力があって、ようやく私の生活は成り立ちます。

それらが彼らの仕事であり、それをすることでお給料をもらっている。
私たちはそれに対してお金を払ってるのだから、当然のこと。
わざわざ感謝する必要なんてない、ふふん!って思ってしまうのは傲慢なのではないかと思うのです。

そりゃ、私たちがそれを利用するためにお金を払うことで、
彼らの仕事が成り立つのは事実ですが、お互い様というのかな。

「おかげ」はめぐってる。
世の中に、たくさんの「おかげ」が、ぐるぐるめぐってる。

多分、一生顔を合わせる事はないだろう人の力が、私の身の回りに沢山存在しています。
手元にあるものをじっと見つめて、これが私の手元に存在するために係わった多くの人たちの事をふと考えます。

その人たちのおかげで私の生活は成り立ち、生きていく事が出来る。
感謝すべき事です。

そして、普段から顔を見ることができる、身近にいる家族や友達の存在も、また然り。
私を心配したり、助けたり、一緒に楽しんだり、学ばせてくれたり、理解してくれたりする人たちの存在のおかげで、
色々ある人生、ここまでどうにかやってこれてる。

ほんとに、ありがたいことです

にこ

すべてがみな禅

2009-09-12 | にこ道
たしか、今年、年が明けてすぐのことだったと記憶しているのですが…

テレビで、曹洞宗大本山の永平寺78代貫首である、
宮崎奕保(えきほ)禅師のインタビューを交えたドキュメント番組を拝見しました。

インタビュー当時、すでに104歳という高齢だった禅師は、
106歳の天寿を全うするまで、座禅一筋の生涯をすごされたそうです。

このインタビューの中に、大変印象に残った部分があり、
それ以来、私は今まで以上にその部分を意識するようになりました。

一部抜粋。

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すべてがみな禅だ。

禅というたら、何か殊更にあるように思っておる。
そうではなくて、そのものと一つになっていくことが禅だから、
歩いたら歩いた禅、しゃべったらしゃべったで、しゃべることが禅だ。
スリッパを脱ぐのも、坐禅の姿や。
スリッパをそろえるのが、当たり前のこっちゃ。
例えばスリッパがいがんでおったら、ほうっておけないんだ。
スリッパがいがんでおるということは、自分がいがんでおるんだ。
自分がいがんでおるから、いがんだやつが直せないんだよ。
だから、物を置いても、ちぐはぐに置くのと、まっすぐに置くのと、すべて心が表れておるんだから、
心がまっすぐであったら、すべての物をまっすぐにする必要がある。
修行をしておるんじゃなくて、当たり前のことをやっておるんや。
それよりやることないんだ。
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これを聞いて、「そうだったのか」と目が覚める思いがし、すごく大事なことを教えてもらったと思いました。

私はこれができていなかった。
禅どうこうの話ではなく。

スリッパがいがんでいるのに、気づかないでいたのです。

今と一つになってない、そのものと一つになってない。
いつもそんな状態だったように思います。

朝起きて、顔を洗っていても、ご飯を食べていても、自転車をこいでいても、気持ちがそこにない。

いつも目の前のことに、意識がいっていない。

すっきりと気持ちよく顔を洗っていても、頭は仕事のことを考えてどんよりしたり、
おいしい朝ご飯を食べながら、今日のお昼はおにぎりにしようか、パンにしようか考えていたり、
さわやかに風をきりながら自転車をこいでいても、満員電車に揺られることを思って憂鬱になっている。

自分ではどうすることもできない気がかりなことに頭を悩ませたり、
過去の失敗などを悔やんでくよくよしたり、
将来起きるかもしれない不安なことに、心配をつのらせたり。

もちろん、過去の失敗を反省し、それを今後にどう活かすべきか考えたり、
将来に想定される不安要素と、それにどう対応していくかを考えるのは必要なことだと思います。

でも、それはそれ。

今、目の前にあることに意識を向ける。
今、自分がしていることに集中する。

そうやって「今」と一体となって、一歩一歩、前に進む。
それは確実に道となって、つながっていくはずです。

こうすることを、すごく意識するようになりました。

何かをしながら、心が他の物事にとらわれていることにハッと気づいたとき、
「戻ってこい!私!」って自分に言います。

しかし、これがなかなか難しい。
いつの間にか、また、ぼーっとほかの事を考えてしまう。

とてもシンプルなことだけど、実践するのは難しい。
頭で分かっていても、実践が伴わなければ意味がない。

日々、修業です。

にこ

にこの庵、最初のごあいさつ

2009-06-16 | にこ道
はい、ようこそいらっしゃいました。

ここは、にこの庵です。

「にこのいおり」、ですよ。
「にこのあん」とか言っちゃうと、「にこの乱」みたいに聞こえて戦さが始まっちゃいそうだから、
「にこのいおり」って覚えてくださいね。
ま、略して「にこあん」でもいいけど。

庵主のにこです。以後、お見知りおきを。

前に書いてたにこ日記とおんなじです。
ですが今回再開するにあたり、ほんのちょっとだけ形式を変えて庵主になってみました。

私、今までに2度ほど、真剣に仏門に入ろうと考えたことがありました。

なんだかね、世のすべてを切り離したかったんです。
いろんなことが煩わしくて、世の中のうるさいことを目にしたくない、
耳にしたくない、余計なことをすべてシャットダウンしたい、
そのためにはこんな普通の生活をしてたら叶わないから、
何もかも捨てて、隔絶された世界に入りたいと思ったのです。

だから仏門。
単純です。

で、そうとなったらどうすれば尼僧になれるかってことを調べなきゃと思って、
あれこれ調べてみたら、これがまた、なんかすごい大変そうなのよ、奥さん。
想像以上にね。

あー、無理だな、こりゃこりゃって、すぐに断念しました。てへっ

一般的レベルよりは、物欲もなく質素に生きているつもりの私ですが、
それでも仏の道を生きる人に比べたら煩悩のかたまりみたいなもんです。
所詮、俗物です。

さらにB型が災いしてか、しばられることがだいっきらいなので、
こんな私にそんな生活はとてもじゃないけど耐えられんだろうと、
これでも私を30数年もやってますから、多少は私というものを心得ております。

まぁ、そういう結論に達しまして、
結局仏門に入ることは断念してしまったという経験を持っています。

そんな叶わなかった思いを、ここで叶えるという意味も含めて、
にこの庵というものを作って、庵主になりました。

最初は寺でも建立しちゃおうかと思ったんだけど、
とりあえず、ちっちゃくひっそり庵でぽつぽつやっていきます。

にこの庵では、日常の小さなできごとから、旅の思い出、
私が楽しんでいる読書や三味線、大事にしている毬藻や盆栽、
家庭菜園の野菜の成長などなどを書いていきます。
時には写経会もあるし、お勤めだってしちゃいます。

ここでは、そんなにこワールド、言いかえれば「にこ道」なるものをつづって参ります。

そんな、にこの庵、
仕事の合間の息抜きにコーヒーをすすりながら、
1日の疲れを癒すひと時に、シャムネコを抱えてウイスキーを傾けながら、
気軽に立ち寄ってみてくださいまし。

以前のように毎日の更新ではなく、書きたい時に書いていくので、
更新がない日もばれば、1日に数十件も更新することもあるかも!(ないかも!!)

では。

にこ