このところ忙しかったせいか、久々にがっつりと書きたくなりました(笑)
『言葉にできない』は、小田さんの曲の中で一番多くカバーされているのではないでしょうか?今では『さよなら』より有名になっているようにも思われます。今日は、小田さん出演のイベントでも登場率の高いこの曲について、私の思うところをつらつらと・・・。
本当は随分とご無沙汰している”紙ジャケCDシリーズ”で、『OVER』を書けば良いのでしょうが、このアルバムについての記事はどうにも長くなりそうなので、これだけ単独で書くことにしました。
『OVER』発売当時、『言葉にできない』を初めて聴いた時は、正直なところ「良い曲なんだけれども地味な曲」という印象でした。1982年、武道館ライブでの”ひまわり”と”小田さんの涙”がなければ、私の中では「渋い名曲」で終わっていたかもしれません。
あの”ひまわり”と”涙”が偶然ではなく必然だったということ、そして、この曲の持っている本当の力に気がついたのは、ずっと後のことでした。
『OVER』からしばらくの時が流れた1999年。
この頃の私は仕事中心の毎日で、小田さんもオフコースもすっかり忘れ、音楽を楽しむこともテレビを観る余裕もなかった時期でした。そんな時、つけっぱなしになっていたテレビから、もう随分長い間聴くことのなかったこの曲が、唐突に流れてきたのです。言わずと知れた明治生命のCMでした。はっとして、思わず顔があがったのを覚えています。一瞬で気持ちをさらって行ってしまうメロディ、小田さんの声。圧倒的でした。あぁこんな凄い曲だったのか、と。地味だと思っていたけれど、これほど強い力を持っていたとは驚きでした。
日本の音楽シーンにおいて、『言葉に出来ない』が今のポジションにあるのは、間違いなくこのCMがきっかけでしょう。この曲の持つ真の力を理解していたCM制作者には、感嘆せざるをえません。このCM以降、『言葉にできない』と言えば、オフコースではなく、小田さんのセルフカバーバージョンの方を指すことの方が多くなりました。
ごく普通に、と考えてみます。
ごく普通にこの歌詞を、このメロディを「普遍的な愛の歌」と捉えるならば、ピアノで始まりストリングスが絡んで展開するセルフカバーVerこそが、この曲に相応しいアレンジのように思います。そういう意味では、今現在、巷で流れる多くがこちらのバージョンであることは当然なのでしょう。
対してのオリジナルバージョン。
あれはバスドラムの音でしょうか?冒頭からエンディングまで「トッ、トッ、トッ、トッ」という低音が一定のリズムで刻まれていますよね。
私にはこの音が、去りゆく人の「靴音」を表しているように思えるのです。
オフコースの、ヤスさんの去ってゆく靴音。
全編通じて刻まれるこの靴音が、「あなたに会えて 本当に良かった」の部分でピタッと止まります。
まるで小田さんの声にじっと耳を傾けているみたいに。
そして、「嬉しくて 言葉にできない」という台詞を聴き終えて、また再び「トッ、トッ、トッ」と歩き出してゆく・・・。そんな意図がこのアレンジにはあるような気がしてなりません。
・・・また私の深読みが過ぎてしまったでしょうか。
けれども、オリジナルの『言葉にできない』は、普遍的なものではなく、小田さんのオフコースへの、ヤスさんへの想いを歌ったものであることは間違いないでしょう。
ご存知の方も多いでしょうが、この曲のエンディング部分では、回転数を落とした男性の「We are over. Thank you」という声がかすかに聞き取れます。この台詞をここへ秘かに「仕込んだ」時点で、小田さんには、あの”ひまわり”の映像が、終わってゆくオフコースの姿と自身の涙が、きっと見えていたのだろうと思います。
オフコースのオリジナルバージョンとセルフカバー。ここで「どちらがどうだ」と良し悪しを比べるつもりはありません。
同じ『言葉にできない』とはいえ、曲の持つ意味から言えば、この2つは全く別の曲なのです。
私も仕事が中心になってしばらく、離れて…凄く外側から離れて見てました
中学生の時、生まれて初めてコンサートに行ったのがOverのツアーでした。
それも何となく気になっていた時に偶然チケットを一枚もらって、何となく行ったら
雷に撃たれたかの様な衝撃でした。
明るくなった会場にスモークが残りI LOVE YOU のエンディングがいつまでも流れてました。
『靴の音』素敵な解釈です気がつかなかった
昔、『昨日への手紙』で小田さんとヤスさんが苦労して曲の始めから終わりまで、ヤスさんの革靴を手にはめて、録音してましたよね
きっと、そうだと思いたい
小田さんは、あえて『オリジナルから離れて…』路線ですが…私は初めて出会った印象が好きでオリジナルから離れられません
私は『哀しいくらい』を聞いて以来~熱狂的なファンになりました
この曲が何故に好きなのか、って言われても答えられなかったんだよね。ずっと見つからなくて探してた。
でも、今日なんだか少しわかったような気がします。うん。なんだかね。
最後にバイオリンの音がス~っと入ってくるとこが大好き。背筋が伸びるんだよね。運転してても。
エンディングの「We are oer. Thank you」は知らなかったな~。ま、元々ファンの風上にも置けない奴なのでしょうがないだけどね(笑)
もう一言では言い尽くせないほどに・・・・・
まさに、"言葉にできない"って感じですね。
あの「1982.6.30」で涙で歌えなくなるハプニング、そして解散ライブの「The Night with Us」でも涙で歌えなくなるハプニングがありましたね。
小田さんは後に「この曲はやりたくなかった・・・・・」と語っておられます。
それ以来、小田さんは暫くこの曲を封印することになるのですが、今や小田さんのライブでは絶対に外せないレパートリーとなっていますね。
改めまして、この曲を世に広めてくださった明治安田生命さんに感謝です
そして何といっても、やはり相棒のヤスさんへの惜別への思いから生まれた曲ということを考えると、非常に感慨深いものがあります。
実は、今も小田さんはこの曲を歌うとき、ヤスさんを意識して歌っているかもしれません。
私はオフコースバージョンと小田さんバージョンどちらも好きです。
ただ、あえて苦言を言わせてもらうと、今この曲はあたかも小田さんのソロ曲であるかのようになっているのには違和感を覚えてしまうのです。
長文失礼しました。
オフコースの曲といえば、さよなら、YES NOであって、言葉にできないは小田さんの曲である。世間では小田ソロ>オフコースの小田さんであって、「言葉にできない」はその代表曲となった感じがします。どちらの言葉にできないも自分の中では知らないうちに気持ちの入れ具合を変えて聞き分けているいるように思います。変な表現ですが。どちらの場合も好きです。
当時の私はまだ子供でフィルムツアーにさえ行けませんでしたから、羨ましいです。
あのライブビデオで私の一番のお気に入りが『哀しいくらい』なんです。
アルバム収録とは違って、間奏がヤスさんのギター!そしてコーラス!最高です。
たしかに小田さんは敢えてオリジナルから遠ざかりますよね(苦笑)まぁそれもアリなのかな、と最近は思うようになりました。
でも一度でいいから、オリジナルのアレンジで『言葉にできない』を聴いてみたいものです。
なのになぜこんな熱い記事を書いてるんだか。
あまりに大きくなりすぎて、好き嫌いを超えた感があります。
ソロバージョンのエンディングのバイオリンはいいよねぇ♪うん、そうなのよ、バンドの音よりもピアノとストリングスが似合っちゃうのよね、この曲は。
『OVER』を持ってるなら、静かな部屋でちょっとヴォリュームあげて聴いてみて。「We are over」って入ってるから。小田さんの何とも言えない気持ちが詰まっているようです。
あの”ひまわり”が、私達ファンにとってこの曲を特別な曲にしました。
でも小田さんにとっては、制作している時から特別な曲だったのでしょうね。
だからこそ、オフコース解散後は封印していたのでしょう。
その封印を外した明治生命も凄いな、と。
私もどちらも好きですが、やはりオリジナルには感傷的になってしまいますね。
「そして今も小田さんは・・・」ですか?
だとしたら、ヤスさんファンとしても嬉しいことですね。
「違うやろ!」って、きっと私もツッコミます(笑)
そうなっちゃうのが現実なのでしょうね。ラジオDJのようなギョーカイの人でもそうなんですから、よぼどのファンで無い限り、オリジナルとソロバージョンの違いを意識することもないのかな、と。残念ですが。
「気持ちの入れ具合を変えて」というのはよくわかりますよ。
好き嫌いではなく、走る道が違うのだからとギアチェンジする感じ。
それにしても『言葉にできない』や『生まれ来る子供たちのために』が小田さんの代表曲になる日がくるなんて、なんだか不思議ですね。
きっとそうかもしれません!♪
私はYassさん脱退後は気にはしてましたが、必死で追いかけたり、脱退の敬意を追及差足りしませんでした。っていうか、当時は今みたいに情報が自由に共有出来る時代じゃなかった・・。アナログな感じ・・。
でもたまたま見たTVで、『Yassがやめて、それがすごく悲しくてこの詩を書いた。言葉に出来ない・・、これでいけると思った』っていってたので、やっぱりこの歌はYassさんのことがきっかけの歌なんだなぁと。
後半のストリングスの部分は、ライブではYassさんの12弦でやっていますね。
自分も好みの曲ではないんだけど、特別な曲ではありますね。
ソロバージョンはきちんと聴いたことはないんですが、当人は、この曲に限らず、ず~っとおんなじ感じで歌うのは単純に飽きてしまうし、ちょっと変えたり、工夫をしたくなるのは分かる気がします。
ケチャップをかけていた卵焼きに、ソースをかけてみたり、マヨネーズをかけてみたり、何もかけなかったり・・・。
変なたとえですみません(汗)
まぁこうやってあれこれ想像を巡らせるのも、音楽の楽しみ方のひとつか、と。
ヤスさん脱退当時は、私はまだまだ子供で、深くは考えませんでしたね。「なんで辞めちゃうの?人気あるのに?」と不思議に思ってはいましたが。
大人になるにつれて、自分の人生の経験値があがるにつれて、『OVER』に色々なメタファーを感じ取るようになりました。
今の小田さんは、オフコース時代のそういったメタファーからはすっかり離れて、いろんな味付けを楽しんでおられるのでしょうね、きっと。