1984年7月18日発売、オフコース通産26枚目のシングル。もう30年も前のことだと思うと空恐ろしくなるけれど。 当時私が住んでいた家のお隣さんとは、両親もさほど親しくはなかったと思う。 . . . 本文を読む
89年のオフコース解散後、小田さんのソロ活動にはオフコースほどにはのめり込めなくて・・・。それでも新曲やニューアルバムが出るとやはり気になって、細々と聴いてはいました。そんな私が決定的に小田さんから離れてしまったのは、96年発売のオフコース曲のセルフカバーアルバム『LOOKING BACK』がきっかけでした。 . . . 本文を読む
このシリーズの前回の記事、「君住む街へ」と話は前後しますが・・・。
1987年の今日、7月22日。私は大阪城ホールに居ました。
この日は、4人になったオフコースの二度目のツアー、『as close as possible』の大阪公演初日。 前回のツアー『The Best Year of My Life』を終えた後、小田さんはアメリカへ行ってしまい、またしばし活動休止状態でしたので、久しぶりのオフコースです。夏休みが始まった解放感とあいまってウキウキだったのを覚えています。
今回はそんな高校2年の夏の思い出話を少々。
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久々の”オフコースと私”シリーズです(笑)
たぶん”The Best Year of My Life”の頃の思い出までは書いたはず。
ですので、次は”as close as possible”付近の予定でしたが、先日のイベントで聴いた『君住む街へ』が頭から離れません。
なので、今日はこの曲の思い出話を-。
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最近ふと、会いたいなぁと思う人がいます。それは、私が小学校5、6年生の時に、当時住んでいた兵庫県A市で通っていた子供英会話教室の先生。以前にも少し書いたかとは思いますが、私がオフコースを聴くようになったのはこの先生との出会いがきっかけでした 先生とはいっても、今思えば、おそらくはアルバイトの女子大生だったのでしょう。生徒は4、5名の小さなクラスで、皆仲が良く、しばしば授業を脱線して、近くの公園で遊 . . . 本文を読む
京セラドームの感想、ちゃんと書かなきゃと思いながら、まだちょっと夢うつつ状態で、整理できませんので、まずはこれから。
今回のドームで、『言葉にできない』のバックに流れたあの映像。
伝説の”ひまわり”にまつわる思い出話をさせて下さい。
私が初めてこの映像について知ったのは、ファンになって間もない頃、82年のOverツアーが終わった直後のことでした。
その年にテレビで放送された番組「NEXT」のライ . . . 本文を読む
久々の「オフコースと私」シリーズです。ってシリーズやったんかい?って感じですが、ええ、シリーズなんです。最近そう決めました
勝手気ままにウダウダとオフコースにまつわる思い出を綴るだけですが、あと数回は続く予定ですので・・・。
私がオフコースの音楽に出合ったのが1981~82年、5人のオフコースの終わり頃。それから84年に4人のオフコースが活動を再開するまで、長かったですね~。
その間は一生懸命、 . . . 本文を読む
先日、実家で荷物を整理した際に、ツアーパンフと並んで出てきたのがコレ↓↓
オフコース・シングルコレクション
LPは記憶にあったのですが、シングルもちゃんと取ってありました。
当時のシングル購入の基準は、「アルバムに入っていない曲」であること。
「じゃあなんで『緑の日々』があるんや?」とお思いでしょうが、
このシングルはB面が目当て。
B面の『City Nights』は『哀しいくらい』の . . . 本文を読む
実家にリフォーム話が持ち上がりました。
「そういや私、まだ色々置いてたなぁ」と思い、休みを利用して取りに行ってきました。映画パンフ、古い雑誌、そしてレコード・・・日常生活には必要ないけど捨てられないものが盛り沢山。
ということで、こんなものも
これは私が初めて参加した、記念すべきオフコースのコンサートツアーのパンフです。4人で活動再開した最初のツアー。小田さんも若い!チケットもこのデザインでした . . . 本文を読む
さて先の記事にも書いたように、私がオフコースと出会ったのは『YES-YES-YES』。この曲は5人のオフコース最後のツアー時にリリースされたものですので、必然的に私は「5人のオフコース」時代をリアルタイムでは知らないわけです。
ファンになったと思ったら活動休止中なんて!
それでもなんとか彼らの情報が手に入らないものかと、本屋をウロウロしていたときに目に入ったのがこの本です。
山際淳司著『Giv . . . 本文を読む