南風おじさんの4畳半生活

世人悉く春南風を歓ぶ。肖りたく号すが及ぶや否やを知らず。茅屋より世を管見すること60有余、腹膨るる思い止み難く…

吉田茂という人

2006年03月12日 | Weblog
墓石を眺める楽しさは、その人物が深層心理でどうだったかを推測することが、ある程度可能なことだ。

例えば、青山霊園でいえば、三島通庸(福島、栃木県令時代に自由民権運動を弾圧、後警視総監)の周囲を圧してそびえ立つような墓石と石碑をみると、この人の居丈高な風貌と権力志向の人柄がモロに伝わってくる。

一方で「緒方家の墓」とだけある緒方竹虎の墓石には、この人の品格と権力に阿らない人間的な人柄が現れている。

そういう目で吉田茂の墓を見ると意外な一面が伺われる。われわれの年代の者には、カメラマンに水を掛けたりバカヤロー解散をしたり、ワンマン道路を造ったりした「傲慢な人」というイメージがあるが、墓石は予想外に慎ましい。

しかも、本人の両脇の家族の墓石は十字架のクリスチャン墓で、吉田茂の墓石が淋しそうに見える。傲慢に見えて、案外優しく品のある慎ましい人だったのではないかと思われてならない。

掃苔(石碑などを見て回ること)にはそういう楽しみもある。