南風おじさんの4畳半生活

世人悉く春南風を歓ぶ。肖りたく号すが及ぶや否やを知らず。茅屋より世を管見すること60有余、腹膨るる思い止み難く…

双子山親方の死

2005年05月30日 | Weblog
だれでも一度は死ぬ、生れてきた以上、それは避けられない真実、散るサクラ残るサクラも散るサクラ、、、、なるほど人生って無常ですね。

花田満さん、55歳。横綱二人を育てたといえば大事業を果たした男と言えるかも知れない。だが、まだまだやりたいことがあっただろう。人生ってそんなものだね。

埼玉県政の一代の梟雄・松永緑郎さんが先日亡くなった。埼玉県の副知事、畑さんのときに知事選に出馬して落選、以後不遇だった。有能な人材だった1人の男の満たされない人生。

人生ってそんなもんだよね。やることやり尽くして満足して終わる人はごくマレ。みんな遣り残したことに未練を残しながら去っていく。ああ、人生。

雨の中を

2005年05月30日 | Weblog
原付で出かけてきた。前日の予報によるとだいたい曇りということだったので、いささか甘く見て雨よけは上着だけで、下はふつうのズボンで出かけたためずぶ濡れになった。

寒い日でなくて良かった。原付は雨が一番堪える。びしょ濡れになって運転しているとだんだん惨めな気持になってくる。自分が情けない存在になってくる。このまま死んでも良い気持になってくる。

これが原付の辛いところだ。雨の日に原付に乗ると精神的に良くない。

昔の兵隊もこういう惨めな行軍をさせられ、敵の銃弾だけでなく飢餓とマラリアに攻められて、次第に自暴自棄になっていったのだろうなあ。悲しいなあ。フィリピンで見つかったという元日本兵はどうしたのかな。

こんなことを考えながら帰ってきました。自宅で温かいメシが食えることは有難いことなんだなあと、久しぶりに感じた一日でした。

最近読む本

2005年05月29日 | Weblog
どうも、最近はパソコン関連の本ばかり購入している。何%も理解できないで、放り出す本が多いのだが、それらを改めて見直すこともしないで、怠惰にもまた新しい本を手にしてしまう。

今日も、ホームページビルダーの本を買ってしまった。ビルダーの本はもう6、7冊になった。じっくり読んだのは一冊もない。これではいかんなあと我ながら情けなくなる。

昨夜、シーノ大宮のインターネットクラブで会った人に大久保の公民館でお会いした。先日の下落合に来れなかったことを詫びられた。次の予定を知らせておいたが、果たして来られるかどうか。

明日にも大久保のいきいき埼玉に行って、サークルの登録番号をもらってこよう。イヤホンから、久しぶりに吉田拓郎が聞こえている。

常盤公民館のパソコン講座

2005年05月27日 | Weblog
9月の講座のことだが、今のところ、5回のテーマは

①インターネット
②メール
③デジカメ
④画像(写真)入のハガキを作ろう
⑤ワードで簡単な文書やポスターを作ろう

と言うことにして公民館に提出しておいたが、館長さんには「6月4日にみんなで話し合うので、訂正もあるかも知れない」と伝えてある。

気になるのは④と⑤がワードを使う講座。ハガキとポスターの違いがあるだけで内容的には似通っていることだ。⑤をエクセルで住所録づくりや簡単な表計算にしたらどうかという気もする。

いずれにしても、会員諸兄のお話を聞いてみよう。

EUネット浦和

2005年05月26日 | Weblog
先に配った「パソコン通信」で書きましたが、北浦和西口のビル2階にあるパソコン教室「EUネット浦和」は我々が例会を開いている常盤公民館からすぐ近くにある。

ここの経営者・S氏は「パソコンをもっと広めたい」と仰っていた。志は我々同好会と共通する。経歴は聞かなかったが、最初はもう少し北の東京電力のあたりに事務所を持ったらしい。ちょうど小渕総理、森総理と続いてIT化推進を国を挙げて推進していた頃である。

お客はいくらでも来た。公的な補助もあった。だがやがて国を挙げてのIT化政策は沈静化し、公的な補助は学校法人の経営するパソコン教室に限られるようになってS氏の教室には現在公的な補助はないという。

お話を聞いて、行政のやることはチグハグだなあと思った。総理が鳴り物入りで宣伝し、たくさんの補助金を付ければ国民のIT化が急速に進むとでも思っていたのだろうか。パソコンと言うのは習得するまでに時間のかかるシロモノだ。根気強くパソコン熱を高めていく他はない。

一朝一夕の流行り物ではなく、社会のIT化は少しずつ少しずつ地味に進んでいく。個人個人は七転八倒しながらパソコンに挑戦しているのである。われわれの活動はそのへんのサポートを担っているのだろうと考えている。

このほど常盤公民館から「パソコン教室」の講師を依頼されたことを、同好会としては良いチャンスとして捕らえ協力したい。地味な努力であるが、そうすることで確実に我々の存在が大きくなっていくと思う。

いきいき埼玉

2005年05月25日 | Weblog
桜区大久保の県立常盤高校(前の常盤女子高)の隣に「いきいき埼玉」という施設がある。ここは以前、県の公害研究所だった所だ。大学のように広い敷地にいくつかの建物とグランドなどがあって、恵まれた施設である。

ここにOA室があり、サークル登録をするとOA室を利用できると聞き、本日登録の書類を提出してきた。サークルの番号をもらえると登録ができたと言うことになるらしい。その番号をもらいに近日中にまた行かなければならない。

ここのOA室は二つあり、一つはノートパソコン(Windows2000)が20台、もう一つのOA室はデスクトップが19台(WindowsXP)導入されている。昨日、平瀬氏と見学したときは一部屋が使用中だったが、今日は二部屋ともに使用中だった。OA室は人気があるらしい。

しかし、こういう素晴らしい施設があることが分かっただけでも収穫だ。原則として高齢者のサークル活動を支援するのが目的とのことだが、さいたまパソコン同好会の状況を説明した所、問題なく受け入れてもらえそうである。

ここをどのように有効活用していくか考えたい。

また、今日は中村常盤公民館長と、森山氏の3人で岸町公民館のOA室を見学に行った。常盤公民館が9月に主催するパソコン教室の指導員をさいたまパソコン同好会に依頼されたためである。

我々が地域社会に認められるチャンスにしたいと思っている。これについては、改めて詳しく書くことにしよう。(写真は常盤公民館に張り出されたさいたまパソコン同好会の会報)

バラの句歌

2005年05月15日 | Weblog
バラを詠んだ歌や句が少ない。バラは静寂なもの(わびさび)を好む日本人には詩心を沸かせないらしい。

だいたい日本での花の観賞は、生け花を愛でるところから始まったのだし、生け花はもともと仏前に供えた花だから、バラのような華やかな花(それに棘があるし、切ってしまうとすぐ萎んでしまう)は不向きだったのだろうなあ、などとと思いながら、

先日、我がささやかな書架を探していたら、歌人柴生田稔の歌に「庚申バラ くれない冴えて咲き次ぐを 悲しみて我に月日は早し」という、心沈む自分に華やかなバラを対比させた佳品が見つかりました。

庚申バラってどういうバラなのかな、と花に関する本をめくってみましたがよく分かりません。こういうときにNETは便利ですね。早速検索すると、いろいろなサイトがあり、どういう花かすぐに分かりました。

昔、万葉の講義を受けたときの先生が、植物に非常に詳しくて驚きましたが、かといって自分も詳しくなろうとは思わず、いまだに花の種類もロクに知りません。

娘には、植物に詳しくなっておくと楽しみが増えるよ、と言ったりしているのですが。

バラを咥えた女性

2005年05月14日 | Weblog
紅いバラを咥えた女性は何も恐れない、と言ったのはペローでしたか(失念しました)。たしかにその姿は、開き直って情熱に生きたカルメンを連想しますね。

欧米人はバラが好きですね。イギリスでは「バラ戦争」というヨーク家(白バラ)とランカスター家(赤バラ)の長い戦争まで起きています。

日本にも平安時代には中国の庚申バラ(四季咲きのバラ)が入っていたそうです。庚申バラ(長春花)って、中国では高貴な花なのですね。

梅(花槐)、牡丹(花王)、菊(高潔)、蘭(君子)に次ぐ、第五位の位置を占めるのが「皇后を象徴する月季」(庚申バラ)とあります。

この庚申バラが西洋のバラと交配して現在の各種バラの原種になったと書いてあります。

埼玉の俳人・遠藤重子さんの句に「バラ多き わが町 循環バス通る」とあります。たぶん与野の人なのでしょうね。

バラの撮影会

2005年05月14日 | Weblog
今日の午後、与野公園でさいたまパソコン同好会の18名が参加して、バラの撮影会が行われました。曇天でやや肌寒かったが、心配した雨は降らず、まずまずの日和でした。

私は、水を入れたプラスチックの小瓶を持参し、あまり大きくない中ぐらいの瑞々しい深紅のバラを狙いました。花びらに水をつけて(これがなかなかうまく着かなかった)、しっとりした、ややセクシーな花の雰囲気を捉えたかったのです。

バックに女性の足が入れば良いな、と思ったのですが、そういうシーンは捉えることが出来ませんでした。うまく撮れたかどうか、これからゆっくり見てみます。

市の補助金

2005年05月13日 | Weblog
国際交流や少子高齢化対策、地域のコミュニティづくりなどのために活動する団体に対して、市が補助金を出す制度があることが分かり、さいたまパソコン同好会も交付を申請していたが、交付が決まったと連絡があった(同好会の連絡先M氏に連絡があり、M氏からメールが来た)。

まことに嬉しい。良かった良かった。ようやくひと山(まだ小さい山だけど)越えた、というか同好会がビッグになるための弾みがついた感じがしている。NPOに向かって、これから大いに内容のある活動をしていきたい。

思えばちょうど一年前、平成16年の5月22日(土)、北浦和の喫茶店で馬場、溝井、吉田の3人が落ち合って話し合ったのが「さいたまパソコン同好会」のスタートだった。

何とか人を集めようと、チラシを撒き、ポスターを作り、あちこちに頭を下げて回った数ヶ月。多くの公設の掲示板では、ポスターを貼ってもすぐに剥がされた。

また、たくさんの大型マンションを訪問してポスターの掲示をお願いしたが、マンションというのは何度も頭を下げ、事情を説明して頼み込むという苦労のワリには効果がなかったようだ。

「そうだ、公民館に置かしてもらったら効果があるかも知れない」と思いつき、この周辺の公民館を片っ端から訪ねてチラシを置かせてもらった。これが効果があった。

夢中で行動していたら、優秀な人材が続々と集まってきてくれた。自分で会費を払い、ボランティアで初級者らの指導を買って出てくれている。何と言ってもこれが一番ありがたかった。

スタートして半年で30名を超えるようになった。平成17年1月からは会則を定め、きちんとしたサークルとして再出発した。振り返ると感慨無量のものがある。

市の補助金がもらえるようになったのは、発足一周年の記念になった。嬉しい限りである。

カタバミ

2005年05月10日 | Weblog
道端の取るに足らない(と言っては失礼かも知れないが)草に「かたばみ」がある。「酢漿草」という書き方もする。クローバに似ているようでもあるが、クローバほど子供たちに愛される草でもない。可憐な黄色い花を付ける。たぶん多くの人が見逃している。

そのカタバミという草は、なぜか家紋のデザインになっている。酒井家(姫路、若狭、鶴岡など)の家紋は「剣かたばみ」である。「剣」のないカタバミ紋も多い。

なぜこんな取るに足らない、道端に生えている弱弱しい小さな草が、武門錚錚たる大名の家紋になったのだろう。いまでも不思議だと思っている。

そのカタバミが与野駅の階段を降りたのところの、ほんの小さな地面に遠慮がちに生えていた。思わずカメラを向けました。可憐な可憐な草、カタバミ。

さいたまパソコン同好会の常盤例会

2005年05月07日 | Weblog
本日例会があり、23名の参加でした。常盤例会が皆さんに認められてきたことになります。これには森山さんのご尽力が大きいわけで、感謝に耐えません。

今日、気がついたのですが、常盤公民館の掲示板に「さいたまパソコン同好会通信」が張り出されていました(写真)。公民館のご好意によるもので、館長さんもわれわれの活動を評価してくれている証拠でしょう。嬉しかったですね。

森山さんや飯沼さんからも「通信はまだ出ないのか」と言われました。怠けていてはイカンなあと思った次第です。「通信」を作成して広く皆さんに知ってもらい、NPO設立に向かって進みたいと考えています。


薔薇を撮影する

2005年05月04日 | Weblog
同好会の撮影会が迫っているので、今日、与野公園に行っていくつか撮影してみた。薔薇を撮影するのは簡単だが、それを独自の写真に見せるのが案外難しいようだ。

書店に行ってカメラ雑誌をめくってみた。花びらを超アップに撮影して周辺をぼかすなど、どれもなかなか見事な写真に仕上がっている。だが私のカメラでは超アップは難しそうだ。周辺部をぼかすような撮影の仕方が出来そうにない。

何か工夫が必要だと思い、いろいろ考えてみたが名案が浮かばない。

帰りに鈴谷の天神社に回ってみた。稲垣田竜とか言う人の石碑が立っていた。ゆっくり研究してみたいものだ。天神らしく梅ノ木が数本あった。また小さなふるい石碑には、鈴谷村から日清日露の戦争に出征して手柄を立てた地元の軍人を顕彰する言葉が刻んであった。

ベルリン至宝展

2005年05月03日 | Weblog
今日3日は、友人と上野の博物館に行って来ました。上野は大変な人出でした。都内の人出は物凄いですね。

博物館では「ベルリン博物館至宝展」という催しをやっていました。ギリシャ、ローマ時代のものから、エジプト、メソポタミアあたりの石像など、あるいは中世のルネッサンス期の絵画や近代美術まで、たくさんありました。

その後、裏の寛永寺に回って将軍家の塋域や谷中霊園を回ってきました。一葉と交流のあった馬場孤蝶、兄の自由民権活動家・馬場辰猪の墓、高橋お伝の碑など多数のお墓を眺めてきました。

友人は最近「金子みすず」に凝っているとのことで、ベンチに座って彼が持参した矢崎氏(みすずの研究家)の本を読んできました。良い詩ですね。

帰りは日暮里駅から電車に乗ってきました。かなりの距離を歩いたことになります。浦和に着いたら、普段と変わらない人出だったのでしょうが、閑散とした街に見えました。