与野の本町通りの一番大宮寄りに「氷川神社」(写真)がある。今日は大宮からの帰りに、天気が良かったのでふと思いついて寄ってみた。
ここは大宮の氷川様の末社で、以前にも来たことがあるがたいした遺蹟は見つからず、つまらない神社だなあと思った記憶がある。改めてゆっくり眺めてみた。
すると、境内の何気ない石に、江戸中期の年号が彫られたものがたくさんあったので驚いた。写真に撮ってきたものだけでも「享保四年(1719年)」「元文二年(1737年)」「宝暦八年(1758年)」といった具合だ。
いずれも摩耗が激しく、このまま放っておけば遠からず判読不能になってしまうだろう。今のうちに雨風の当たらない場所に保存して欲しいモノだと思った。
神社の社殿は彫刻が凝っているわけでも、由緒ありそうな建物でもない。境内には土地の人々の歴史を思わせる遺蹟は伊勢参りの記念碑ぐらいしかなく、要するにガランとしている。
年代が刻まれた石は参道の脇にある石灯籠や、あまり意味のない目印のような石であり、歴史的に貴重なモノではないが、江戸中期のモノがこれだけ残っているというのも珍しい。
まずは地元関係者による保存の動きに期待したいモノだ。
ここは大宮の氷川様の末社で、以前にも来たことがあるがたいした遺蹟は見つからず、つまらない神社だなあと思った記憶がある。改めてゆっくり眺めてみた。
すると、境内の何気ない石に、江戸中期の年号が彫られたものがたくさんあったので驚いた。写真に撮ってきたものだけでも「享保四年(1719年)」「元文二年(1737年)」「宝暦八年(1758年)」といった具合だ。
いずれも摩耗が激しく、このまま放っておけば遠からず判読不能になってしまうだろう。今のうちに雨風の当たらない場所に保存して欲しいモノだと思った。
神社の社殿は彫刻が凝っているわけでも、由緒ありそうな建物でもない。境内には土地の人々の歴史を思わせる遺蹟は伊勢参りの記念碑ぐらいしかなく、要するにガランとしている。
年代が刻まれた石は参道の脇にある石灯籠や、あまり意味のない目印のような石であり、歴史的に貴重なモノではないが、江戸中期のモノがこれだけ残っているというのも珍しい。
まずは地元関係者による保存の動きに期待したいモノだ。