南風おじさんの4畳半生活

世人悉く春南風を歓ぶ。肖りたく号すが及ぶや否やを知らず。茅屋より世を管見すること60有余、腹膨るる思い止み難く…

与野の氷川神社

2006年03月11日 | Weblog
与野の本町通りの一番大宮寄りに「氷川神社」(写真)がある。今日は大宮からの帰りに、天気が良かったのでふと思いついて寄ってみた。

ここは大宮の氷川様の末社で、以前にも来たことがあるがたいした遺蹟は見つからず、つまらない神社だなあと思った記憶がある。改めてゆっくり眺めてみた。

すると、境内の何気ない石に、江戸中期の年号が彫られたものがたくさんあったので驚いた。写真に撮ってきたものだけでも「享保四年(1719年)」「元文二年(1737年)」「宝暦八年(1758年)」といった具合だ。

いずれも摩耗が激しく、このまま放っておけば遠からず判読不能になってしまうだろう。今のうちに雨風の当たらない場所に保存して欲しいモノだと思った。

神社の社殿は彫刻が凝っているわけでも、由緒ありそうな建物でもない。境内には土地の人々の歴史を思わせる遺蹟は伊勢参りの記念碑ぐらいしかなく、要するにガランとしている。

年代が刻まれた石は参道の脇にある石灯籠や、あまり意味のない目印のような石であり、歴史的に貴重なモノではないが、江戸中期のモノがこれだけ残っているというのも珍しい。

まずは地元関係者による保存の動きに期待したいモノだ。

冷雨の中の散歩

2006年03月11日 | Weblog
昨日の10日(東京大空襲から61年目)、友人と2人で青山霊園を歩いてきました。予報では「にわか雨」でしたが、実際には終日冷雨で、散歩は途中で打ち切り、コーヒー店で休んで帰ってきました。

青山霊園は、自分は3、4回目。友人は初めてだったようです。例によって事務所で案内図を求めようとしたら、「プライバシー保護のため、もう名前入りの案内図は作っていない。閲覧用の図から書き写してくれ」とのことで驚きました。

やむを得ず記憶を頼りにブラブラ、大久保利通、斎藤茂吉(塋域に梅がひっそりと咲いていました)、吉田茂、牧野信顕、犬養毅、浜口雄幸、小村寿太郎、頭山満、山口多門、森恪、鍋島家(佐賀藩主)、黒田家(福岡藩主)、相馬家(相馬藩主)、大木喬任、三島通庸、高崎正風、緒方竹虎などなどの奥津城を見て回りました。

あまり寒いので、青山通りに戻り、喫茶店で四方山話に移り、夕方帰宅しました。自分は若い頃から寺社などを巡るのが大好きだったのですが、友人は最近面白さに目覚めたそうで、次ぎは多磨霊園(東郷平八郎、山本五十六、与謝野鉄幹・晶子、菊池寛、三島由紀夫らの奥津城がある)に行こうと言っていました。

冷雨の中の散歩、後になってみればこれもまた懐かしい思い出になるでしょう。
(写真は斎藤茂吉の塋域で。梅がひっそりと咲いていました)