なかなかブログ

無計画で気まぐれなドライブが趣味です。音楽、写真も好きです。

御巣鷹の尾根へはじめて登ります

2010-12-07 23:53:32 | インポート

5月に群馬の御巣鷹の尾根に登ってきました。

25年前に日航機123便が墜落した場所です。当時の事故は9歳でしたがよく覚えています。
その晩くらいから各テレビ局は番組を変更してその話題に切り替え、次の日はその話題ばかりだったような気がします。
新聞に犠牲者の写真付きで記事があったことも覚えています。
社会人になってから時間に追われすっかり忘れていた事故だったのですが、
今年になってから自分自身の心の変化に違和感を感じ、考えさせられることも多くなり不安や焦りが襲ってくるようになりました。
その後、当時のことを題材にした映画やドラマを何本か見ています。
人が突然突きつけられた「死」というものが痛ましく思えて、いてもたってもいられない気持ちになったことが登るきっかけです。
実際に墜落したところは御巣鷹山から少し離れた高天原山(たかまがはら)という山の無名の尾根のようです。
御巣鷹山に墜落したと特定されるまで、マスコミ中でもいろいろな説があり、長野か群馬か埼玉か・・など墜落現場の特定をするのも困難な険しい山中です。
三国山を境に3県の県境があり、そのわずか群馬寄りの上野村山中です。
群馬に墜落したと特定されたのは日が明けてからだったと思います。
上野村村長さんが、墜落現場を御巣鷹の尾根と言ったことがきっかけで、マスコミも連呼するようになったようです。
こういった例は、昭和40年代のあさま山荘事件の「あさま」は漢字でかかれていません。
実際の山荘の名前はとある会社の保養所で「浅間山荘」でしたが、マスコミが「あさま山荘」と表現したことが発端です。
上野村まで自宅から車で下道約2時間半、上野村の国道、御巣鷹の尾根の入口から現場まで約40分、
道は途中まで広くきれいでトンネルも7本くらい整備されていました。
近年上野ダムが近くにできたようです。駐車場までの数キロは落石や落木があります。
所々道が狭くすれ違いには少々速度を落とさなくてはなりません。
何年か前まで駐車場は現場から2キロありましたが、今は村道を使用でき、800mの場所に駐車場があります。
平日の夕方前に行ったので、車は自分のを合わせて2台のみです。駐車場には尾根の登山用に杖が用意されていて、
すでに25年が経ち遺族の高齢化の考慮されてのことかと思います。



一人で登りましたが怖くはありませんでした。
登山道の脇には沢が流れていて、それも少しではなく多くの水が流れています。
途中に尾根付近のアルファベット入りの地図があり、遺族が慰霊登山をするための場所案内のものかと思います。
後から知ったのですが、その地図は遺体のあった場所の目安になるものと知りました。
そのアルファベットはかなり広い範囲だったように思えます。
事故機体のおおまかな状況も知っていますが今回略します。
地図より機体の残骸は広範囲に及ぶものだったと感じます。
はじめは緩やかな道も中頃になると徐々に急になり、最後は急で木製の階段がありました。
とても休みなしではいけなかったです。はじめて登るのでほんとうに行けるのかなと感じました。



先が見えませんが戻ろうとはおもいませんでした。
どのくらい登っただろう。聞こえるのは鳥の声と沢の流れる音だけです。
おそらく30~40分くらいはかかったような気がします。
最後の急な階段を上ると、墜落現場に到着します。
当時のように山肌が見え、多くの木が倒れた様子は感じません。
いくらか倒れた木と、焼けたような木跡はありました。
現場に到着。見晴らしがよく、空は青く、雲は穏やかで、遠くの山は鮮明で、
西日がそよ風で揺れた新緑に隠されこんなに景色が良いところで世界最悪の事故があったようには思えませんでした。



墜落の直前に離れた山へ機体が接触してできた、U字溝は見つけられませんでした。
園には多くの碑がありました。犠牲者の遺品がある小屋や520名の名前がかかれた碑もありました。


手を合わせ何を伝えればよいのか、亡くなられた方たちのために何ができるのか、正直思いつきませんでした。
でも人間生を受けているうちは最後の瞬間まで、犠牲者が最後の瞬間まで生を全うしたように直接の遺族ではない自分には、生を全うすることを誓う場所だったような気がします。




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