ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

60年安保闘争

2007年04月20日 19時12分06秒 | 星が丘ビンボー物語
このときわたしは、どこにいたのでしょう。60年安保闘争は、父の世代ですね。

http://www.youtube.com/watch?v=aVP2YKywBx8&mode=related&search=

わたしは7才か8才で記憶にありません。読書好きだったから、シートン動物記とかファーブル昆虫記、怪盗ルパン、シャーロック・ホームズなんか、夢中で読んでいました。はっきり覚えているのは、担任の花子先生が死んでしまったこと。あとから来た先生になじめなかったこと。

小学2年で登校拒否だった。いつも、友だちが迎えに来ていた。図書室の本は、ほとんど読んでしまった。小学4年生になると、図書委員に立候補して、先生に連れられて本を買いに行く係だった。椋鳩十の動物シリーズ、わたしの動物好きはここから来ているのかも知れない。

先生は、近所のおばさんでもあったから、街へ買い物に行く、という気楽な感じだったけれど、大きな本屋さんには緊張した。世界は広く、こどもには知らないことが多いのだということを知った。あのときついでに買った本が、自分のおこづかいで買った最初の本だった。母も本好きだったから、雑誌や月刊誌は、配達されていた。貧乏なのに、貧乏故にお金の使い方を知らない家だった。

母の妹、つまりわたしのおばさんも本好きだった。独身で母の母、つまりわたしのおばあさんと暮らしていた。小学生のわたしに、哲学や、なにやら暗くなるような本を薦めた。サルトルだったか、全然記憶にない。レ・ミゼラブルが記憶にある。小学6年の卒業アルバムに、将来の夢として、「日本を出て、世界1周旅行がしたい」と書いた。

もうひとつは、学校の先生になる、だったと思うけれど、6年の担任とはうまくいかず、その部分は消されていた。作文に悪口を書いたのが原因だった。もっとも、書かれたことは、事実だったし、直すべきことだったから、他の先生と一緒に抗議してなおさせた。それからしばらくして、飲酒運転で事故を起こして、後遺症が残ったためか、校長になる前に、早めに死んでしまった。

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