ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

6・29(金)経産省前テントひろば293日目 「福島の女たち」写真あり

2012年07月02日 14時15分54秒 | その他いろいろ(原発)
6月29日金曜日は、官邸前に行く前に、経産省前テントに行きました。





























福島の女たちの話に、涙がこぼれました。とても暑い日でしたね。
きちんと書ければいいのですが、
以下のテント日誌からYTさんが書いてくれたものを転載させていただきます。
テントではYTさんにお会いできてよかったです。



以下転載(ブログで読みやすい様に行間をあけました)


<テント日誌6/29(金)――経産省前テントひろば293日目 稼働原発ゼロ55日目>
      再稼働反対!野田ヤメロ!の15万~20万人のコール轟く
      官邸前を埋め尽くし、国会周辺・霞ヶ関へと広がる人々の波
      昼間には国会正門前で、女たちのカンショ踊りとアピール


6月29日(金) 曇り時々晴れ
 いよいよこの日がやってきた。
10万人を超えようと誰もが意志を集めてきた超巨大行動の日。
 昼前からテントの前は賑わい、高揚感が溢れている。

今日は昼間に「原発いらない女たち」による「一票一揆で女が変える!政治も、暮らしも、原発も!」
という院内集会と正門前アピール行動がおこなわれる。
午後1時からのテント前での集会には、マイクロバスで駆けつけた福島の女たちをはじめ、
泊・東海・伊方・玄海各原発現地で闘う女たち、
そして東京・関西の女たちが一同に集まり、150人程の人々が結集した。
 
 3時からの、女性国会議員との院内集会は入りきれないほど溢れかえり、
民主党・社民党の女性議員の参加のもとで、厳しい意見のやりとりも含めて
熱気に満ちた真剣な議論がおこなわれた。

 この院内集会の後国会正門前へ。
記念撮影意外に立ち入りを許さない「不可侵な場所」とされてきた国会正門前で、
女たちは果敢にカンショ踊りを敢行。
怒りとなんとしても自分たちで変えてみせるという強い意志を
「国権の最高機関」に対してその身体でもって表現する。

 それに続いて横断幕を並べ、泊の泉さん、福島の女たちをはじめ全国の女たちがアピール。
福島瑞穂議員、三宅雪子議員も駆けつけた。
 このあと、女たちカンショ踊りをしながら首相官邸前行動へと移動・合流した。


 もうこの日の官邸前・国会周辺は早くから人・人・人で溢れかえっていた。
移動そのものが困難なのだ。そして人の列は、首都高のある六本木通りのところで、
3方向へと広がっていく。この通りを渡った霞ヶ関にも人々の列は続き、
テントがすぐ間近に見えるところにまで達していた。

 そして何時頃だったろうか。
暗くなった頃、国会通りの6車線の車道まで人々で埋め尽くされ、
車道と両側の歩道全体が500mほどにわたって一つの広場になったようだ。

タハリール広場、そのイメージが浮かんでくる。
人々が歩道を埋め尽くし車道へと溢れだしていくとき、
福島の女たちは歩道占拠!車道解放!と叫んだそうである。

 もう、どれほどの人々が集まっているのか見当もつかない。
10万人をはるかに上回っていることだけは確実である。15万人か、20万人か・・・。
 
 この広場全体で再稼働反対!野田ヤメロ!のコールが轟きわたる。
そこには、原発を推進する官僚やグローバル資本・メガバンクのための消費増税強行と、
人々の意志とは全く別のところにある民・自・公の
大連立陰謀政治に対する怒りも重なり合っているのだろう。

 その1%に対する<命>を基にした99%の人々のオキュパイ運動、
今日の官邸前行動はまさにそういうものであった。
その意味でテントの運動とも響き合っている。
官邸前の巨大な渦とテントの小さな渦は共鳴しあい、巨大な塊となった。

 官邸前行動の終わった後、人は次から次へとテント前へやってきた。
保安院前のアピール行動へと向かう人々、そしてテント前で語り合う人々、
交流はいつ果てるとも知れず、長く続いた。

この日の巨大な人々の意志の、
持続する磁場としてテントは明日からも存在し続ける。( Y・T )



 

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