ブーゲンビリアのきちきち日記

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<パラオ 忘れられた戦場>(上) 洞窟の悪夢 

2015年04月06日 21時26分31秒 | 政治・選挙・憲法・平和
<パラオ 忘れられた戦場>(上) 洞窟の悪夢 

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015040602000080.html

一九四四年九月、パラオ・ペリリュー島。地雷を抱え、敵の戦車に突っ込む肉弾作戦の命令だった。二人が志願したが、もう一人が現れない。海軍上等兵だった土田喜代一(きよかず)(95)=福岡県筑後市=は迷った。死ぬのはいつでも死ねる。でも、あまりにも早すぎる。

 直前にサイパン島とグアム島が陥落し、日本の敗色が濃厚だった。ペリリュー島の守備隊約一万人は山中に洞窟陣地を築き、徹底抗戦に備えた。

 「死ぬ時は潔く死ねと両親に言われました」。そばにいた小寺という一等兵が名乗り出た。銃の撃ち方も知らず、装填(そうてん)方法を教えたばかり。「お寺さん」とからかわれていた弱々しい男が…。

 土田が後ろ姿を見送るとしばらくして爆音が響いた。小寺は戻らなかった。

 ペリリュー島で本隊とはぐれ、ゲリラ戦を続けた土田には四五年八月の終戦を知る術(すべ)はなかった。三十三人の仲間と洞窟を渡り歩いた。

 「戦争は終わった。命は保証する」。米軍は拡声器でたびたび投降を呼び掛けた。だが、日本軍の戦陣訓は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず」。捕虜になることは絶対に許されない。

 日本は本当に負けたのか。仲間は「だまされるな。出たら殺される」と言う。でも…。「家庭も持てないまま死ぬのか」。渦巻くのは葛藤ばかり。

 意を決し、「現況を見てくる」と書き置きを残して洞窟を後にした。「脱走は最高の罪」。軍紀を思い起こし、汗が噴き出る。

 ジャングルを抜けた道路脇で米軍の車両を待った。一台目。勇気が出ない。二台目。開き直って大きく両手を上げた。「ストップ、ストップ!」。車を降りた米兵に身を委ねる。終戦から一年八カ月後の四七年四月。土田の戦争が終わった瞬間だ。土田の案内で、仲間も洞窟を出た。

 「今も三日に一度は夢を見るんですよ。洞窟のことを」。日本に戻って家庭を得た土田だが、多くの戦友が犠牲になったパラオを忘れることはない。「戦争のない国がどうしたらできるだろうと、考えさせられるんです」

 今月、慰霊のためパラオを訪れる。十四回目だ。洞窟の仲間三十三人のほとんどが鬼籍に入り、残るわずかな者も体が弱っている。「現地へ行けるのは、私以外にいない。最後の一兵です」 

 =文中敬称略

(土門哲雄、水谷孝司)

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以上転載


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