ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

反戦の視点・その88

2009年09月26日 18時42分59秒 | 井上澄夫さんから
井上澄夫さんからのメールより転載させて頂きます。

_____以下転載___________________


反戦の視点・その88

代替案がなくても、反対は反対という重要な意見表明である
                               井上澄夫
 
 「反対、反対じゃだめ、対案を出さなければ」という言説が、さまざまな課題に取り組む市民運動の中で妖怪のように飛び交い始めたのは、70年安保闘争が内ゲバと爆弾の血の海に沈んでからしばらく経った頃ではなかったか。「オールターナティブ」(もう一つ別の考え方、あるいは代替案)という言葉が流行(はやり)になっていった。
 その風潮は政府と正面からぶつかっても得るものはないという、それまでの運動体験を踏まえた「教訓」から生まれた面があるだろう。意気消沈した後退局面から抜け出すための必死の努力が手がかりを求めた結果というとらえ方もできる。いうまでもなく、新しい「もう一つ」の社会のありようを展望することは積極的な意味をもっている。それは今も問われていることだ。
 しかしここで私は別の問題に思い至る。「代替案を出さなければ」という思考への傾斜は、市民運動に反政府性・反権力性を失わせる効果をもたらすことになった面がありはしないか。その結果、反対を反対と言い続けることなく、政府が打ち出す代替案にフワッと乗りやすい体質が生まれたのではなかったか。
 民主的な社会における市民のありようの基本は、何より〈国家・対・一市民〉という緊張関係を強く意識することであり、そういう市民が政府を監視し、政府のふるまいを徹底して批判することなくして民主的な政治は成り立たない。政治権力が成立した瞬間から利権構造と化し始め腐敗が始まることは法則のようなものだ。そのような「法則」の貫徹を許さない力は「国民の不断の努力」からしか生まれない。「国民の不断の努力」こそ民主的な政治の源泉である。
 イラク反戦が盛り上がっていた頃、反戦デモに参加した若者が「私たちは反政府じゃありません」と強い調子で語るのを聞いたが、米英軍によるイラク先制攻撃とそれを無条件に支持する小泉政権に抗議しながら反政府ではないと言うのは、自らの反戦の意思表示が反政府的と思われることを避けたいと思ってのことだっただろうか。

 1996年4月12日、橋本首相とモンデール駐日米国大使の会談が行なわれ、沖縄の米海兵隊普天間飛行場(基地)返還の合意が成った。会談後の共同記者会見での橋本首相の発言はこうだ。
 「普天間飛行場は、今後、5年ないし7年ぐらいに、全面返還されることになります。即ち、普天間飛行場が現に果たしている非常に重要なその能力と機能を維持していかなければならない。そのためには、沖縄に現在、既に存在している米軍基地の中に新たにヘリポートを建設する。同時に、嘉手納飛行場に追加的な施設を整備し、現在の普天間飛行場の一部の機能を移し替え、統合する。また、普天間飛行場に配備されている空中給油機10数機を岩国飛行場に移し替える。同時に、岩国飛行場からは、ほぼ同数のハリアーという戦闘機、垂直離着陸の戦闘機です。騒音で非常に問題の多いと言われています。このハリアー戦闘機をアメリカ本国に移す。」
 「沖縄に現在、既に存在している米軍基地の中に(!─引用者)新たにヘリポートを建設する。同時に、嘉手納飛行場に追加的な施設を整備し、現在の普天間飛行場の一部の機能を移し替え、統合する」という発言は、今となっては非常に〈新鮮に〉響くのではあるまいか。この在沖米軍基地内ヘリポート建設・一部機能嘉手納統合・ハリアー米本土移転が、いつのまにか、「普天間代替施設」という名の新基地建設に取って代わり、現在「米軍再編」問題で焦点になっているのは、「普天間代替施設」の県内移設か県外移設ないし国外移設かの選択である。
 だが沖縄の人びとが求めてきたのは普天間基地の即時閉鎖・全面返還である。橋本首相の公約を「海上施設」建設にすり替えたのは、1996年12月2日に日米安全保障協議委員会で合意されたSACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告である。同報告は海上施設案を「最善の選択」とした。普天間代替施設建設をめぐるその後の経過はここでは記さない。本稿の論旨との関連では、そもそも代替施設案は「沖縄の人びとが求めたものではない」ことを確認すれば十分だが、次のことは言っておきたい。
 岡田・クリントン会談(2009年9月22日・日本時間)で岡田外相は「今後30年、50年と、より深みのある持続可能な日米関係を構築したい」と語った。冗談ではない。現在の日米関係は安保条約を基軸とする軍事同盟関係である。そんな体制を「今後30年、50年」も維持することを許すわけにはいかない。岡田外相発言はまことに卑屈な「主体的対米従属」宣言である。これまでに民主党幹部が表明した「米軍再編」にかかわる公約は私たちの力を結集して守らせねばならない。それらの発言を念のため、いくつか再録しておく。
 鳩山由紀夫現首相 「(普天間の移設問題で)県民の気持ちが一つなら『最低でも県外』          の方向で行動したい」(09年7月20日、沖縄市の集会で)
 岡田克也現外相  「『普天間』の県外、国外への移設実現を目指し、政治生命を賭け          て交渉したい」(05年8月25日、日本外国特派員協会で講演) 前原誠司現沖縄担当相 「海兵隊はいろんなプロセスを踏んで最終的に国外に持ってい          く」(05年4月、沖縄タイムスのインタビューで)

 鳩山政権は来年1月で海上自衛隊によるインド洋での洋上給油活動を終了すると言明している。岡田外相が訪米した際、クリントン米国務長官は給油打ち切りについて「日米関係は、一つの問題で定義づけられるようなものではない」とのべて一定の理解を示したとされる。だが同時に岡田訪米の直前、米国政府は日本政府に給油をやめるならアフガン問題にどう対応するのかと代替案を求め、それに対し岡田外相は「お金」での人道支援をほのめかした。
 これもおかしな話だ。もともと海自の洋上給油はブッシュ前大統領にひたすらシッポを振る小泉元首相が強引に始めたことだ。それは米軍によるアフガン侵略を支援することであり、アフガンの民衆に敵対し、同国の復興を遅らせることに「貢献」している。だから、給油活動は今すぐにでもやめるべきであり、代替案など考える必要はない。
 アフガニスタンを「主戦場にする」と公約して大統領になったバラク・オバマはアフガンで早くものっぴきならない状況に追い込まれている。アフガンが「オバマのベトナム」であることはもはや多言を要しない。最近の世論調査では58%の米国民がアフガン介入に反対しているから、増派もままならない。しかし米国政府はベトナムで無惨に敗退した事実に向き合おうとしないから、軍事介入を強化することで敗北の条件を蓄積する愚を重ねる可能性は十分ある。
 しかしむろん解決策はある。ただちに撤兵すればいいのだ。アフガンはアフガンの人びとに任せるべきである。カルザイ傀儡(カイライ)政権の腐敗ぶりは同政権を操る米国政府自身が厳しく批判しているほどであり、日本を含む諸外国の復興支援資金は政権幹部のふところに転がり込んでいる。現在の国際的支援は傀儡政権の「復興利権構造」をうるおすのみである。その構造の転換は米軍とNATO主導のISAF(国際治安支援部隊)が全面撤退することによってしか実現しない。欧米諸国がアフガンへの政治的・軍事的介入をやめ、アフガンの人びとが民主的な政府を立ち上げたとき初めて、復興支援が活きてくる。そのとき、中村哲氏ら「ペシャワール会」の活動は、民衆の主体性に基づくアフガン社会再建の道筋を照らすものとなるにちがいない。

 政府の政策に反対であれば反対と主張し続ければいい。賛成できないことはどこまでも反対なのだ。「反対、反対じゃだめ」ということはない。「だめなものはだめ」なのだ。代替案を出せないと市民運動にならないということもない。原発建設に反対する住民運動が立地の代替案を考えねばならない理由があるだろうか。
 ベトナムでの米軍の敗北は何よりベトナム人民の奮闘によるが、それに連帯する国際的な反戦世論も大いに力になった。しかし世界の反戦世論は、米軍がベトナムから即時撤退することを要求したのであり、米国政府に「ベトナム問題」解決の代替策を示したのではない。




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