スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

高齢でプロ野球入りした選手ランキング(101~122位)

2020-04-30 08:47:25 | 高齢でプロ入りした野球選手一覧
今回からは新たなシリーズとして、
「高齢でプロ野球入りした選手ランキング」をお送りいたします。


※★は現役選手を表します。

以前から、高年齢でプロ入りする選手「オールドルーキー」に興味を持っておりました。

一リーグ時代、まだ社会人野球の方がレベルが高いとされていた時代では、
プロを敬遠したり、ピークを過ぎてからプロの世界に飛び込む選手も少なくありませんでした。
八幡製鉄で強打者として活躍、37歳でプロ入りした大岡虎雄(大映→松竹)、
35歳でデビューした戸倉勝城(毎日→阪急)らが該当します。

ただ、日本のプロ野球が成熟し、レベルがはっきりとプロ>アマとなると、
素材がよく、なおかつ伸びしろのある10代~20歳前後の選手が重宝され、
下り坂となる20代半ば以降の選手は、どうしても避けられがちとなります。

アマチュアの選手にとっても、大学や社会人でよほどの実績を残して「即戦力」という評価を得られなければ、
一軍で活躍するチャンスは少なくなり、早期に「戦力外」となるリスクを負うことになります。

そこで、26歳以上でプロ野球界入りした選手を調査したのが、上記の表です。
ちなみに、この表は20年以上前に趣味で作ったものについて、データを更新したもの。

まだネット環境ではない時代に、雑誌や新聞などでコツコツと調べて、
ワープロで作成してプリントアウトしておいたものをPDF化し、
それを10年ほど前にエクセルに打ち直しました。

遠い昔に作ったため、どうやってデータを調べたか、記憶が定かではありません。
そのため選手の漏れなどの不備があるかもしれませんが、ご了承ください。

さて、26歳以上でドラフトの指名を受けてプロ入りした選手は、総勢で122名に上ります。
25歳とあるのは、ドラフトに指名された年に26歳の選手と同学年となる早生まれの選手です。

今回は101位から122位まで。
こうして見てみると、短期間でプロの世界から去っている人ばかりであることが分かります。
入った時点で若手ではなく、いわゆるモラトリアムな期間が許されないわけです。
すぐに結果が求められ、活躍できなければすぐに戦力外となります。
20代半ばでプロの世界に飛び込んでいるのですから、覚悟のうえでしょうが…。

独立リーグや、複数の社会人チームを経た選手も見られます。
流浪の野球人生の果てに、憧れのプロにたどり着いたという人も多いでしょう。

さて、この表ではドラフト指名を4度拒否した藤沢公也や、
西武、中日などで貴重な控え捕手を担った大石友好
当時としては珍しく、海外でのプレー経験がある小川邦和などが結果を残しています。

現役では、今季よりメジャーから復帰した牧田和久が出色です。
貴重なアンダースローですから、もう一花咲かせてほしいですね。

阿部寿樹は昨年、レギュラーの座を奪いました。そのまま定着できるかは、今季の頑張りがカギを握ります。
遠藤一星も貴重な守備固め、代走要員として積極的に起用されています。
中日はベテランに優しいチームですので、今季も安泰でしょうか。

有吉優樹は1年目に16ホールドをマークしたものの、その後はもう一つ。
そろそろ奮起が求められます。

次回は76位~100位です。

2020年千葉県の高校出身プロ野球選手一覧

2020-04-29 09:04:30 |  2020年千葉県出身プロ野球選手一覧
以前、2020年度の千葉県出身プロ野球選手一覧を掲載しました。

セ・リーグ編
パ・リーグ編

千葉県の市町村出身者、という基準で一覧にまとめています。

※その後の調査で楽天の山下斐紹が千葉県の中学出身であることが判明したため、
一覧に加えたうえで修正しています。

しかし、ここ10数年の千葉県の高校野球のレベルを図るためには、
千葉の高校を出て、プロ入りした選手をまとめるべきと考え、
今回は「千葉県の高校出身」のプロ選手一覧として紹介します。




総勢34名(高卒から直でプロ入りしたのは16名)となります。
しかし、セ・リーグが少ないですね。ヤクルトが頑張っていますが。

ちなみに、2020年度に登録されている(外国人、育成含む)プロ野球先週は930名。
割合としては全体の3.65%。多いのか、少ないのか。
これは改めて、全都道府県に広げて調査する必要がありそうです。

さて、千葉県の市町村出身のプロ野球選手は43名でしたので、
他県の高校に流出した選手が多いことが分かります。
逆に、他県から流入してきた選手はわずか5名。いずれも隣県ですね。

個人的には、野球留学には肯定的な考えですので
(千葉に限らず、高校野球ファンは地元至上主義者だらけっぽい感じですが…)、
大阪、神奈川などのレベルの高い地域から
「千葉で野球をやろう」と思わせるような高校が出てこないものかな、と思わずにはいられません。

大阪桐蔭のような野球エリートを集めた圧倒的なチームが現れ、
そこを倒すために他校がしのぎを削り、レベルアップしていく。
そうしないと、千葉県勢の甲子園での優勝は難しいように思います。

さて、高校別にみると最も多いのは専大松戸で5名。続いて成田、八千代松陰が3名。
千葉経大付、木更津総合、千葉英和、横芝敬愛、市船橋、習志野、市柏が2名です。
甲子園には1回しか出ていない専大松戸も
「プロ選手養成機関」という点では、県内トップクラスということが分かります。

また、ドラフト1位での入団は唐川侑己と山下斐紹だけ。
高校の時点でプロから大きな注目を集める選手も、千葉からは最近現れていませんね。

近年、千葉代表として甲子園で結果を残している習志野や木更津総合などは、
野球がまとまり過ぎていて線が細く、豪快さやスケールさに欠けるという印象があります。
しっかりと守りを固めて、相手のミスをついて最少失点差で勝つ、というスタイルですね。
スモールベースボール、というか。

逆にそういう野球でなければ、激戦区の千葉は勝ち抜けないということでしょう。
ただ、この戦い方だと甲子園では勝ちきれないんですよね…。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1976年~1980年)

2020-04-28 08:48:21 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第5弾。
今回は1976年~1980年となります。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。黄色は優勝、銅色はベスト4を表します。

甲子園2連覇の栄光から一転、77年から86年までの10年間、千葉県勢は夏の甲子園で
わずか3勝しか挙げられませんでした。

79年には、68年から78年まで11年続いていた、
センバツの連続出場記録も途絶えてしまいます。

同時期、68年から78年までの関東勢のセンバツ出場回数を数えると、
茨城4、栃木5、群馬2、埼玉2、神奈川5、山梨はゼロ。
関東の中で、千葉県勢の実力が突出していたかが分かりますね。
それだけに、寂しが感じられます。

そんな「暗黒時代」を招いた理由を考えてみます。
まず、参加校が激増したこと。
77年に103校と3ケタに乗りましたが、79年は124校、80年には132校、
81年には140校、83年には151校…とすさまじい勢いで増えていきます。

また、もともと野球が盛んな地域です。
公立、私立に関係なく、さまざまな高校が野球に力を入れたことにより、
有力な中学生が分散してしまったこともあるでしょう。

春の関東大会だけを見ても、76年から80年についてだけでも
四街道、我孫子、東海大浦安、君津商と初出場のチームが続出。
特に東海大浦安は76年に初参加したばかりで、急激に力をつけたことが分かります。

さて、76年から78年までは1勝が最高だった千葉県勢ですが、
79年は銚子商が優勝、80年は習志野が準優勝と古豪が奮起。

銚子商は準決勝で高橋一彦(日本石油→大洋→西武)、
小川博(青学大→ロッテ)と、のちにプロに進んだ選手を擁した前橋工、
決勝では好投手・仁村徹(東洋大→中日→ロッテ)有する上尾に快勝。

習志野も5年ぶりの出場で、エース・小林徹(現・習志野監督)の好投もありベスト4進出。
この年の夏の甲子園出場へと弾みをつけています。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1972年~1975年)

2020-04-27 08:53:34 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第4弾。
今回は1972年~1975年となります。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。
黄色は優勝、鼠色は準優勝、銅色はベスト4を表します。

74年に銚子商が、75年には習志野が全国制覇。
2年連続で千葉県代表チームが夏の甲子園で優勝を勝ち取るなど、
千葉県が一気に「野球どころ」として認知された、まさしく黄金時代。

甲子園とは無関係の春の関東大会でも、すべての年でベスト4以上に進出するなど、
いかに当時の千葉県勢のレベルが高かったかが分かります。

72年は記念大会でもないのに、なぜか1県2代表。
春の県大会優勝・成東は毎年のように上位に進出しながら、
銚子商の厚い壁の前に甲子園に届かず「悲運の成東」と呼ばれたほどのチームでした。

しかし、春の県大会準決勝でセンバツベスト4・銚子商を撃破すると、
関東の舞台でもその実力をいかんなく発揮。
準決勝ではセンバツ準優勝(前年は優勝)の強豪・日大三を相手にエース・鈴木孝政が好投して撃破。
初出場ながら見事準優勝に輝きます。

2位の千葉商も、エース・布施弥守男が準々決勝で当時2年生の怪物・江川卓を相手に
延長13回の投手戦で投げ勝つ健闘で、ベスト4に進出しています。

センバツで「ベスト4以上」のチームが推薦で出場できるようになった73年は、銚子商が準決勝に進出。
しかし、前年秋の関東大会で20奪三振の屈辱を味わった、江川卓の作新学院に返り討ち。
この悔しさが、夏の甲子園での作新戦での雪辱につながることになります。

74年は、のちにプロで活躍する石毛宏典が1番に座る市銚子が
初出場ながら、ベスト4と大健闘しました。
ちなみにこの年の夏は全国制覇した銚子商の前に、決勝で敗れています。

75年は地元開催のため、4校が出場。
また、この年から各県2校、地元4校が出場するスタイルとなります。

この年の夏に甲子園で優勝する習志野は、センバツでは初戦敗退も
春の県大会では危なげなく勝ち進み、1位通過。
準決勝ではライバル・銚子商に敗れたものの、実力を見せつけています。

その銚子商は前年の夏の甲子園覇者の貫禄で、
2回戦ではスラッガー・原辰徳、津末英明、エース・村中秀人らを擁する
センバツ準V・東海大相模に競り勝ち、
その勢いで決勝も快勝。17年ぶりの春の関東王者に輝いています。

春の県大会準優勝・勝浦、3位決定戦で銚子商に勝った横芝敬愛は、
初の関東大会というプレッシャーか、ともに初戦で惜敗しました。

次回は1976年~1980年です。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1964年~1971年)

2020-04-26 08:46:19 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第3弾。
今回は1964年~1971年となります。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。
銀色は準優勝、銅色はベスト4を表します。

65年には銚子商が夏の甲子園で準優勝、
67年には習志野が県勢初の全国制覇を達成しますが、
春の関東大会では64年から67年まで、4年連続で初戦敗退と今一つ。

それでも、ホスト県となった68年の第20回では意地を見せます。
記念大会のため、1県から2校、地元千葉からは4校が出場。
県営(千葉寺)と市営(千葉公園)を会場に行われました。

4年ぶりに出場した1位校で、県勢としても15年ぶりにセンバツ出場を果たした銚子商、
初出場の新鋭・木更津中央(現・木更津総合)はベスト4進出と、
地元開催としては最低限の結果を残しています。

2年連続の千葉商は初戦敗退。
関東大会進出となった市川工は善戦を見せるも、1回戦で涙を呑んでいます。

69年の習志野は初戦敗退。
70年の銚子商は12年ぶりの決勝進出を果たし、夏の甲子園へ弾みをつけました。

71年はセンバツベスト4進出の木更津中央が、その勢いをかって関東へ。
しかしエース・鈴木徳義を故障で欠いた影響で初戦で敗れています。

次回は72年~75年です。