スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

PL学園出身プロ野球選手一覧【Part5】

2020-05-19 08:22:29 | PL学園出身プロ野球選手
PL学園出身のすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズの最終回は、
2000年度卒以降の選手たちです。

最後の甲子園出場となったのが2009年の夏の甲子園。
16年度いっぱいで休部となり、栄光の歴史にもひとまずピリオドが打たれることとなりました。



「球歴」に★が入っているのは現役選手を表します。

01年度卒組からは4名がプロ入り。この代は2年夏(00年)の甲子園で3回戦に進出。
下級生ながら4番を任された今江敏晃は、ロッテでは2度の日本一に貢献。
チームリーダー的な存在として活躍しています。

同じく2年ながら実質的なエースだった朝井秀樹は楽天黎明期にローテーションの一角を担いました。
桜井広大は09年に12本塁打をマークするも故障に苦しめられ、活躍期間は短めでしたね。

部員の暴力事故による影響で、01年の夏の府大会は出場辞退。
その影響からか、02年度卒組のプロ入りはゼロ。
米村明(77年度卒)以来、25年続いたPL野球部からの連続プロ入りも途絶えてしまいます。

03年度卒組では小窪哲也。青学では東都を代表する内野手に成長。
プロでは規定打席到達こそないものの、代打や守備固めなどの脇役として
現在もチームを支えています。

06年のセンバツでPLはベスト4に。甲子園での上位進出はこれが最後となりました。
そのときのエースが前田健太。高校時代から高い評価を受けていましたが、
広島ではエースとして10年から6年連続で二ケタ勝利をマーク。
メジャーでも安定した投球を披露するなど、日本球界を代表する投手へと成長しています。

09年は春夏連続で甲子園に出場。これが、大舞台でPLのユニホームが躍った最後の年となりました。
このとき、2年ながら1番打者を任されたのが吉川大幾。
下級生時からセンスの高さが光る選手でしたが、プロでは守備固めや代走中心の起用となっています。

現時点で、最後のPL戦士のプロ入りとなりそうなのが中川圭太。
東洋大では主砲を任され、昨年はルーキーながらオリックスでレギュラーに定着するなど
光る活躍を見せています。

最後に、個人的にPL野球部OBでベストメンバーを組んでみました。

1(三)松井稼頭央
2(二)宮本慎也
3(遊)立浪和義
4(指)清原和博
5(左)加藤秀司
6(中)福留孝介
7(右)新井宏昌
8(捕)福嶋久晃
9(投)桑田真澄

強烈なラインナップですね!
PL出身のプロ野球選手は総勢82名。
1000本安打以上を達成したのが13名、100勝以上が3名
(メジャーでの勝ち星を含めれば、前田健太を入れて4名)。

さらに、一軍出場ゼロだった選手はわずか10名。
質量ともに豊富な人材をプロへと送り込んでいることが分かります。
そんな栄光のPL野球部の復活はあるのでしょうか?

今後も、プロに多くの選手を送り込んだ高校を特集していきたいと考えています。

PL学園出身プロ野球選手一覧【Part4】

2020-05-18 08:42:15 | PL学園出身プロ野球選手
PL学園出身のすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズの第4弾は、
1992年度卒~99年度卒の選手たちです。

90年代前半までは、安定して好素材の選手を生み出し続けていました。



PLのユニフォームが5年ぶりに甲子園に戻ってきた92年春のセンバツ。
主砲を任されたのが今岡誠でした。
大学でもスラッガーとして活躍し、アトランタ五輪代表メンバーに選出。
プロでも勝負強いバッティングで打撃タイトルを獲得しています。

2年生ながら背番号1を背負って乗り込んだのが松井稼頭央。
甲子園では活躍できませんでしたが、プロではすぐにレギュラーの座を奪取。
抜群の身体能力を活かした華麗なプレーで多くのファンを魅了しました。

94年のセンバツでは7年ぶりにベスト4に進出。
切り込み隊長としてチームに貢献したのがサブローでした。
プロでもロッテの中心選手として、長く第一線で活躍しています。

翌95年はセンバツでは初戦敗退も、夏はベスト8に進出。
このとき「東の沢井(銚子商)、西の福留」と称され、超高校級の強打者として注目されたのが福留孝介でした。
夏は府大会で7本塁打、甲子園でも2打席連続アーチをマーク。
社会人ではオリンピック代表に選ばれ、中日でも主力として活躍。
メジャーを経て、今も現役の好打者として君臨しています。

この時のエース・前田忠節は大学で野手に転向。プロでは外野の守備固めがメインでした。

96年度組のエースは前川。粗削りさが魅力でしたが、
さあこれからというときに不祥事で球界を去ったのは残念でした。
同期の荒金久雄は、プロでは代打や守備固めメインで起用されています。

横浜と死闘を展開した98年度組では、強打の大西宏明が強打を武器に
レギュラーまであと一歩のところまで迫っていました。
この時のキャプテンの平石洋介は、PL出身者では史上2人目となる
NPB監督として19年に楽天をAクラスに導きました。

2年生ながら1番打者としてレギュラーに座っていたのが田中一徳。
170センチに満たない小兵ながらプロでもすぐに一軍に定着。
しかし体力的なハンデか、長くは活躍できませんでした。
田中雅彦は、プロでは貴重な控え捕手としてチームを支えています。

年を追うごとに、チームもOB選手たちもスケールダウンしていった感は否めません。
次回は最終回です。

PL学園出身プロ野球選手一覧【Part3】

2020-05-17 08:52:22 | PL学園出身プロ野球選手
PL学園出身のすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズの第3弾は、
1983年度卒~91年度卒の選手たちです。

甲子園での戦績、OBの活躍ぶりなどを見ても、
この時期は「黄金時代」、まさしく全盛期といえる華々しさです。



特に、85年度卒の投打の超高校級プレーヤー・
桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」は強烈なインパクトを残しました。
83年夏から5季連続で甲子園に出場し、いずれもベスト4以上。
優勝2回、準優勝2回と圧倒的な戦績を残しています。
この二人については甲子園はもちろん、ドラフト時に与えた社会的な衝撃、
プロ入り後の活躍についても申し分なし。ここであえてコメントすることはありません。

なお、85年度卒では5名がプロ入りしています。これはPL野球部史上でも最多の人数です。
内匠政博はアマ球界でキャリアを積み上げた後、近鉄でもレギュラー外野手になりました。

85年度卒の活躍に負けないのが、野球部史上唯一となる春夏連覇を達成した87年度卒。
特に夏はすべての試合が完勝で、安定した戦いぶりという点ではKK時代を上回りますね。
プロに進んだのは4名。中でも高校時代から抜群の野球センスを見せていた立浪和義は、
1年目からレギュラーを任され、打率3割を7度マーク。遊撃、二塁、三塁でGグラブ賞を受賞しています。

エースの野村弘樹はプロでも2年目から先発ローテの一角に定着。
弱小球団にあって6度の二ケタ勝利をマークしています。打撃もよかったですね。
中距離ヒッターの片岡篤史は日本ハム、阪神で主力打者として活躍。ベストナインにも2度輝きました。
橋本清は活躍期間こそ短かったものの、セットアッパーとして94年の巨人の日本一に貢献しています。

88年度卒では前年の春夏連覇のチームで、2年生の控えとしてベンチ入りした宮本慎也。
安定した遊撃の守備に加えて犠打などの小技の巧みさで、
90年代から00年代にかけて球界を代表する内野手として君臨しています。

甲子園への初出場以来、3年以上感覚を空けることなく大舞台にコマを進めていたPL野球部でしたが、
88年から91年まで、4年間甲子園から遠ざかります。

それでも90年度卒組では都市対抗でMVPにあたる橋戸賞を受賞、01年に巨人で13勝を挙げた入来祐作、
91年度卒組では巧みなバットコントロールで、プロ1年目にいきなり打率.327をマークした坪井智哉など、
絶えることなく好素材を送り続けています。

PL学園出身プロ野球選手一覧【Part2】

2020-05-16 09:00:36 | PL学園出身プロ野球選手
PL学園出身のすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズの第2弾は、
1974年度卒~82年度卒の選手たちです。

今回もそうそうたるスタープレーヤーたちが名を連ねています。



74年度卒の金森栄治はアマチュア球界でキャリアを積み上げ、
プロでは勝負強いバッティングで人気を博しました。

翌75年度卒の尾花高夫は甲子園に出場できず、社会人を経てプロへ。
決して強くはなかったころのヤクルトのエースとして、奮闘を見せています。
2010年には横浜で、PL出身者としては初となる監督に就任しました。

78年の夏、PLはついに甲子園で初優勝の栄冠に輝きます。
準決勝、決勝での劇的な勝利から「逆転のPL」との異名を受けました。
その中心は西田真二-木戸克彦のバッテリー。ともに法大に進み、西田は野手に転向。
両名とも、プロでもチームの中心選手としてプレーしました。

西田の控え投手だったため甲子園での登板はありませんでしたが、
金石昭人は広島、日本ハムで二ケタ勝利をマークするなど長く活躍しています。

翌79年のセンバツも、相次ぐ逆転劇でベスト4へ。
主砲の小早川毅彦は名門・法大でも強打者として活躍し、
プロでも新人王を獲得するなど、1年目から結果を残しています。

山中潔はプロでは正捕手に一歩届かなかったものの、
貴重な控えとして5球団を渡り歩きました。
引退後もロッテや日本ハムで、守備力強化に貢献しています。

81年、PLはセンバツで初優勝。
主砲の吉村禎章は巨人で3年目にレギュラーに座ると、85年から3年連続で打率3割をマーク。
アクシデントによるケガがなければ、球界を代表する打者になっていたでしょう。

若井基安は高校のみならず大学、社会人と名門チームでレギュラーに座り、
いずれも全国大会で優勝を経験した「野球エリート」。
プロでも野球センスの高さを活かし、いわゆる「便利屋」として重宝されました。

エースの西川佳明は強豪・法大のエースとして活躍し、ロス五輪代表に選出。
アマ球界を代表する投手に成長しましたが、プロでは1年目の10勝が最高成績でした。

強豪校として認知されたPL学園野球部。ここから全盛期を迎えることになります。

PL学園出身プロ野球選手一覧【Part1】

2020-05-15 08:45:29 | PL学園出身プロ野球選手
かつて、「アマチュア野球」(日刊スポーツ出版社)という雑誌がありました。

ドラフト情報に特化して、高校・大学・社会人野球の有力な選手を紹介する、というものです。
私も何度か選手のインタビュー記事や読み物などを寄稿させていただきました。
残念ながら、雑誌、出版社ともに数年前に消滅してしまいましたが…。

2007年ですから今から13年ほど前になりますが、この雑誌で連載記事を持たせてもらったことがあります。
「泉直樹のドラフト研究」と銘打って、4回ほどプロに多くの選手を輩出した高校、大学
(PL学園、横浜、早大、法大)出身のすべてのプロ野球選手を表にまとめたうえで、文章として紹介しました。

昔のファイルを探したところ、当時のデータが見つかりましたので、
今回は第1回で紹介したPL学園出身の全プロ野球選手を紹介することにします。

2007年以降もPL出身のプロ選手が生まれていますので、データを改めて更新しています。
PL学園の野球部はその後、残念ながら休部してしまったので、
追加した選手はそれほど増えていません。

全部で82名もいますので、5回に分けて掲載します。



「甲」欄の★は甲子園に出場した選手です。

プロ第1号の野田征稔は創部(1956年)2年目に入部した、黎明期の選手です。

創部7年目の62年にPLは早くも甲子園に出場。翌63年春まで3期連続で出場しますが、
63年のセンバツでエースを任された戸田善紀をはじめ、4名の選手がプロ入りします。
戸田は阪急で日本一に貢献したほか、中塚政幸は大洋で主力打者として長く活躍。
坪井新三郎の息子・智哉もPL→プロという経歴を歩みました。

65年度卒業組では、得津高宏がシャープなバッティングでロッテの主力打者となりました。
福嶋久晃は大洋の正捕手として、長きにわたりプレーしています。

66年度卒組では加藤秀司。早くも2000本安打プレーヤーが誕生しています。
シュアなバッティングで首位打者2回、打点王3回を獲得。70年代後半の阪急黄金時代を支えました。

70年の夏の甲子園で、PLは初めて決勝に進出して準優勝に輝きます。
このときのエース・新美敏は日拓で1年目に12勝をマーク。新人王に輝きました。
新井宏昌は卓越した打撃センスで、87年に打率.366で首位打者を獲得。
PL出身者としては2人目の2000本安打を記録しています。

翌71年度卒組では行沢久隆。
代打や守備固めなど、貴重なバイプレーヤーとして西武黄金時代に貢献しています。

創部から15年で、多くのプロ成功選手を生み出したPL。
このあと、さらに多くの優れた選手をプロへと送り出すことになります。