スポーツエトセトラ

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1973年生まれのプロ野球選手たち 外国人編(2)

2020-05-13 08:43:18 | 1973年生まれのプロ野球選手たち
1973年度生まれで、NPBでプレーした外国人を紹介するシリーズの後編です。



日本人の選手と同じ条件にするため、
1973年4月2日~1974年4月1日生まれの選手に限定して表記しています。

今回は10月以降に生まれた選手。
見てみると、4月~9月生まれの選手より成績は劣る感じですね。

投手ではまず、ベバリン。ヤクルトではローテーションの一角に座り、
安定した投球を披露していましたが、右ヒジの故障で長期間の活躍は叶いませんでした。

バーンは近鉄(合併後のオリックス)、ロッテと渡り歩き、
先発、リリーフと起用方法を問わず、貴重な右腕としてまずまずの成績を残しています。

セラフィニは速球派のサウスポーとして、05年には11勝をマーク。
ロッテの31年ぶりの日本一に大いに貢献していますが、オリックスでは活躍できず。

一方で、メジャーで50勝以上をマークするなど実績十分のジョンソンは、
故障もあってNPBではいいところがありませんでした。

野手ではトニー・バティスタ。メジャー通算214本塁打で00年に41ホーマー、
来日前年には30本塁打を記録するなどバリバリのメジャーリーガーとして来日。
成績は悪くはありませんが、アメリカでの実績を考えれば期待ほどではなく、
契約を1年残して退団しています。

ロペスは楽天球団創設1年目に入団も、
チームの低迷を打破するような派手な活躍はできませんでした。

アルフォンゾはメジャー通算1500安打以上をマークするなど、実績は申し分なし。
ピークを過ぎた後に巨人のテストを受け入団も、結果は今一つでした。

1973年度生まれの外国人選手で、NPBでプレーしたのは34名。
日本人選手は93名ですから、あわせて127名の同級生がプレーしたことになります。
でも、今や現役選手はゼロ。これも時代の流れですね。

1973年生まれのプロ野球選手たち 外国人編(1)

2020-05-07 08:58:05 | 1973年生まれのプロ野球選手たち
このブログを立ち上げた当初、1973年生まれでプロ入りした全選手について取り上げました。

Part1
Part2
Part3
Part4
Part5

表で紹介したのは日本人選手のみ。
一方で、当たり前ながら外国人選手でも同い年の選手がいるわけです。
そこで、来日して日本でプレーした助っ人選手で、
同じ1973年度生まれの選手についても改めて調べてみることにしました。

海外では基本的に、1月1日~12月31日を一つの年度として考えるため、
早生まれという概念がありません。
しかし、日本人の選手と同じ条件にするため、
1973年4月2日~1974年4月1日生まれの選手に限定して表記しました。

現在議論されている「9月入学」が実現すれば、
さらに意味がなくなりますが、あくまでも便宜上、日本の学制と同じにしています。



今回はPart1。「米」とあるのはメジャーでの成績です。
目立つのはクルーンですね。160キロを超える速球を武器に、横浜の救援陣「クアトロK」の一員として活躍。
巨人ではセーブ王のタイトルを獲得しています。

ミラバルは来日当初はリリーフ、日本でのキャリア後半は先発を任され、
東京末期~札幌移転初期の日本ハム投手陣を支えました。

ホッジスはヤクルト時代の02年、ローテーションに加わり17勝をマークして最多勝を獲得。
その後、新規球団・楽天の1年目に入団しましたが、勝ち星は積み上げられませんでした。

一方でドジャースではエース格として活躍し、メジャーでアジア人最多勝を記録した韓国出身の朴は、
来日時にはすでにピークを過ぎた後とあっていいところなく退団。
メジャーで複数の二ケタ勝利を記録するなど、抜群の実績を誇ったオルティズも
日本の水に合わず、たった1年で帰国しています。

野手で目立つのはバルデス。01年から3年連続で20本塁打以上をマーク。
03年には104打点をマークするなど、「ダイハード打線」の一角を担いました。

ベッツは03年にヤクルトで安定した打撃を披露も、1年で退団。
ブキャナンはメジャーでそこそこ実績を残しましたが、日本ではややパワー不足気味でした。

次回に続きます。

1973年生まれのプロ野球選手たち(5)

2019-07-01 16:49:13 | 1973年生まれのプロ野球選手たち
1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの最終回は、11月以降に生まれた選手です。



人数の少なさを見て、早生まれが不利、ということが何となくわかる結果ですね。
それでも粒ぞろいな感じです。

この中ではやはり、三浦大輔投手の存在が際立っています。
プロ生活25年、補足な額という感じでした。
ピッチングスタイルはともかく、見た目は若々しかったですね。

また、松中信彦選手も忘れ難いですね。
社会人時代(新日鉄君津)から見ていましたが、とにかく飛ばす力がケタ外れでしたね。
ただピークが終わるのが早すぎたような感もあります。
2000本安打は行くだろうと思っていたのですが。

礒部公一選手はバッティングが上手かったですね。
楽天の第1期メンバーとしても活躍しました。
坪井智哉選手は大卒、社会人経由ながら1000本近くヒットを放ちました。見事です。
上田佳範、高木大成の両選手は学生時代から人気者でした。

投手ではジョニーこと黒木知宏投手。
ロッテのエースとして18連敗を経験するなど、厳しい環境の中で奮闘しましたね。

ということで、1973年生まれのプロ野球選手をすべて紹介しました。
日本のプロ野球で活躍した同年代の外国人選手についても、
機会があれば取り上げたいと思います。


1973年生まれのプロ野球選手たち(4)

2019-06-30 16:11:10 | 1973年生まれのプロ野球選手たち

1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの第3弾は、
9月~10月生まれとなります。


ここでは何といってもイチロー選手ですね。
日本での通算打率.353、そしてメジャー通算3089安打。
前人未到の偉業といえるでしょう。

このような素晴らしいアスリートと同じ時代を生きることができたことは、誇りですね。
日本人の野球選手としては、ナンバーワンといっても過言ではありません。

それ以外にも、この表には優れた選手がいます。
例えば、小笠原道大選手。
フルスイングを武器に日本ハム、巨人では優勝に貢献しました。

そして、石井一久投手。
90年代のサウスポーとしては球界トップクラスといっていいでしょう。
この2人は千葉県出身で、特に石井投手は高校時代も注目されていました。

さらに、清水隆行選手はまさしく“巧打者”。巨人では長く中心打者として活躍しました。
また、三井浩二投手は遅いプロ入りでしたが、実力派の投手として知られていましたね。

次回はこのシリーズの最終回。11月以降の選手たちを紹介します。


1973年生まれのプロ野球選手たち(3)

2019-06-29 19:43:00 | 1973年生まれのプロ野球選手たち

1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの第3弾は、
7月~8月生まれとなります。


ここでは何といっても、ノリこと中村紀洋選手でしょう。
国内での安打、本塁打、打点はナンバーワンの成績です。
人気もありましたし、世代を代表する選手の一人といえます。

また、小坂誠選手は俊足と攻守で、やはり立派な成績を残しています。
小柄ながら、味のある選手でしたね。

名将・野村克也監督の息子であるカツノリ選手もいます。
コーチとしても息が長いですね。

投手では、門倉健投手が先発投手として長く活躍しました。
また、萩原淳選手は野手から投手に転向した変わり種です。
結果として、選手としての寿命を延ばしましたね。

次回は9月~10月生まれです。