スポーツエトセトラ

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産業対抗野球大会史(2)第1回~4回

2020-06-14 09:22:53 | 産業対抗野球史
社会人野球の三大大会の一つとして、多くの企業チームにより覇が競われた日本産業対抗野球大会(通称・サンベツ)。
今回は、第1回から第4回大会についての概要を紹介します。



金色が優勝、銀色が準優勝、銅色がベスト4です。青は不参加を意味します。

電力事情によりナイターが禁止となり、球場難にあえぐ中で第1回の会場となったのは、後楽園と武蔵野グリーンパーク球場。
1951年10月21日から30日までの10日間(試合が行われたのは8日間)、22チームにより熱戦が展開されました。
日没が早い時期での開催だったため、早朝にゲームを行うなど厳しい条件、日程だったようです。

出場チームを見ると、明電舎、西京貨物、馬淵建設、明治座など、
都市対抗とは縁のなかったチームが出場していることに目を引かれます。
この当時、馬淵建設は建設部門で熊谷組のライバルとして立ちはだかっていました。

決勝に勝ち上がったのは、化学ゴム工業代表・鐘淵化学と電力ガス代表の東京ガス。
接戦となったものの、5対4で鐘化が勝利。栄えある初代秋の王者となりました。
優勝の鐘化には都市対抗の「黒獅子旗」に対抗するかのように、「七曜黒鷲旗」が贈られました。
そのデザインは高島屋が手掛けたものだそうです。

続く第2回は1952年11月1日から9日まで、後楽園球場で開催されています。
機械自動車が産業機械と自動車に、化学ゴム工業が化学工業・ゴム皮革に、官業が官業と専売にそれぞれ分割。
一方で、百貨店と商業が統合されました。

今大会も、B・S・タイヤ(ブリヂストン)、石川島重工、明利酒類など、都市対抗では見かけないチームが名を連ねています。
中でも異色なのは「キャバレー春美」ですね。
キャバレーは今でいうキャバクラではなく、大規模な会場で生バンド付きのダンスショーなどを見ながらお酒を楽しむというもので、
スケールの大きなショーパブに近いかもしれません。そのため従業員の数も多く、野球部の編成が容易だったのでしょう。
さて肝心の大会の方はエース・米久保投手の好投もあり、都市対抗でも実績豊富な全藤倉が初優勝を飾りました。

第3回は1953年9月17日から27日まで、後楽園と川崎球場を使用されて開催されました。
台風シーズンの真っただ中のため、3日間も順延するなど雨に悩まされた大会となったようです。
明治座や山陽電軌などの新鋭チームの活躍はあったものの、神宮で開催されていた大人気の「東京六大学」とバッティング。
試合時間が早かったこともあって、盛り上がりに欠けたようです。
決勝は熊谷組が明治座を僅差で下し、初となる黒鷲旗を手に入れています。
ちなみに2回戦で日本電電がニッポンビール戦で、継投によるノーヒットノーランを記録しています。

第4回は1954年11月2日から10日まで、後楽園球場で開催。以降、産業対抗は後楽園オンリーでの開催となります。
金融部門が不参加のため、23チームにより黒鷲旗が争われましたが、
前年の都市対抗・サン大会の覇者である強豪・大昭和がコロムビアを終盤に逆転、突き放して初となる秋の王者に輝いています。

次回は1955年(第5回)~58年(第8回)です。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まるで産業のショーケース (舶匝(@online_checker))
2020-06-14 10:44:36
社名を眺めては驚いています。
続き、待っています。
返信する
コメントありがとうございます ()
2020-06-14 13:34:36
2~3日おきに更新していこうと思っています。
よろしくお願いします。
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