スポーツエトセトラ

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産業対抗野球大会史(5)第9回~12回

2020-06-20 08:39:28 | 産業対抗野球史
遥か昔に行なわれていた社会人野球のビッグイベント・伝説の「産業対抗野球大会」の歴史を探るシリーズの第4回は、
第9回(1959年)から12回大会(1962年)までを振り返ります。



金色が優勝、銀色が準優勝、銅色がベスト4です。青は不参加を意味します。

第9回大会は1959年11月8日から8日間にかけて開催。全鐘紡などが初出場しています。
石油がエネルギー資源として活用されるようになったため、当時の炭鉱業界は不況に陥っていました。
そのためここから3年間、炭鉱部門は「棄権」して代表を出せなくなることに。
そんな暗いニュースを吹き飛ばすような熱戦続きの大会を制したのは、倉敷レイヨン(現・クラレ)でした。
クラレを主体とした全日本チームはこの後台湾に遠征しますが、産業対抗の優勝チームによる海外遠征は恒例となっていきます。

第10回は1960年11月1日から11日まで開催。東芝、拓銀、愛知マツダなどが初出場。
記念すべき節目の10回大会を制したのは、
池田英俊(のち広島)、富士鉄から補強の稲川誠(のち大洋)らの好投が光った鉄鋼代表・日本鋼管です。
打線も好調で、決勝では強豪・日本石油(現・JX-ENEOS)を4対0で下すなど、堂々と黒鷲旗を手中にしています。

第11回は1961年11月3日から8日まで行われました。
今大会は炭坑に続き化学繊維部門も不参加で、20チームによる開催。
一方で日産、立正佼成会、三協精機、協和発酵、電気化学などが初出場を果たしています。
制したのは都市対抗でも橋戸賞(MVP)受賞経験のあるエース・島津四郎を擁する日本石油。
丸善石油との決勝は引き分け、翌日の再試合も延長戦と熱戦となりました。
島津は2大会で最高殊勲選手賞獲得の快挙を達成したことになります。

第12回は1962年11月3日から11日まで行われました。
炭鉱部門が4年ぶりに登場したものの、国鉄部門が不参加となり21チームで行われました。
西濃運輸、山陽特殊鋼、日軽金などが初出場。
大会を制したのは、打力が売り物の日本生命でした。
決勝では川崎重工に4対0から4対3まで迫られるも、振り切っています。

次回は第13回(1963年)から16(1966年)回までです。


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