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コラム記事 【4/6~4/7】

2022年04月08日 00時28分20秒 | マリーンズ2022
≪4/6≫


清水直行インタビュー 前編

 セ・リーグのワースト記録を更新する開幕9連敗を喫した阪神だが、4月5日のDeNA戦で西勇輝が完封勝利を飾り、今季初勝利を挙げた。

 開幕から9連敗以上は過去にパ・リーグの4球団が記録しているが、直近は2002年にロッテが記録した開幕11連敗。その連敗を先発投手としてストップし、それ以降は長らくロッテのエースとして活躍した清水直行が、当時のロッテと比較しながら阪神の現状と今後の展望を語った。

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――阪神は連敗がストップしたとはいえ、開幕から厳しい状況が続いています。ここまでの戦いをどう見ていますか?

清水直行(以下:清水) チーム防御率(12球団ワーストの5.23/4月5日時点)にも関連していますが、被本塁打がちょっと多いかなという感じがします。先発では藤浪晋太郎がリーグ最多の4本、2番目に多い小川一平が3本。新外国人のカイル・ケラーは抑えとして登板した開幕戦に2本打たれて負け投手になっています。

 ただ、打線はヒットが出ていて、ベテランの糸井嘉男も調子がよさそうですね。チーム打率も.237で、スコアを見てもそこまで投手陣を援護できていないわけではなく、ピッチャーが粘り切れていない印象です。2002年のロッテの場合は、開幕当初のチーム打率が1割台でしたし、連敗が止まった12試合目まではまったく打てませんでしたから、ちょっと状況が違うかなと思います。

――ヤクルトとの開幕戦では、中盤まで7点をリードしていながら大逆転負けを喫しました。この試合を勝てていれば、その後の展開は違っていたでしょうか。

清水 まったく違っていたでしょうね。阪神の先発の藤浪は7回3失点でまとめたものの、リリーバーが8回に4失点、9回に3失点というショッキングな負け方でした。それでガックリきたんだと思います。

 また、開幕戦では打線が4回までに8点を取りましたが、それ以降は序盤に点を取れない試合が多かった。3月30日の広島戦では久しぶりに5回に先制できたと思ったら、6回にひっくり返されてしまうという悪い流れになっていましたね。 

今の阪神は「それほどひどくない」

――広島戦、その後の巨人戦では僅差の試合が多かったですね。

清水 そうですね。広島戦では2-3で負けた試合が2試合、巨人戦でも1点差負けが2試合ありました。勝ちきれなかったり、追いつけなかったりという試合が重なって、それがチームの雰囲気をさらに重くしていったのかもしれません。そのうちの1試合でも勝てていたら、もう少し勝ち星も増えたと思います。

――2002年のロッテの状況と比べてどうですか?

清水 先ほども言ったように当時のロッテは打線の状態が悪く、投手陣も粘り切れない試合が続いていました。その状態に比べると、今の阪神はそれほどひどくはありません。ここ数年の課題だったエラーも少ないですしね(チーム失策数はリーグ最少の3個/4月5日時点)。痛い場面で一発を浴びたり、接戦で落とす試合はありますが、一方的に負けることが多かった当時のロッテとはやはり違います。

 苦境を打開するポイントは、とにかく投手陣が踏ん張るしかないかなと思っていましたが、西勇輝がナイスピッチングで連敗を止めましたね。開幕からの9連敗は相当しんどかったと思いますし、連敗中は首脳陣も選手たちも含めて重たい雰囲気だったでしょうが、「これから」という感じになったかなと思います。

――当時のロッテは連敗をストップした試合以降、ひとつの引き分けを挟んで5連勝しています。最終的な順位も、借金5のリーグ4位でフィニッシュしており、ある程度巻き返しました。その要因は?

清水 連敗が止まった時は、みんな肩の力が抜けました。肩の力が抜けると固さが取れて、いいプレーにつながります。連敗が止まるまでは苦しかったですが、気持ちの上でひとつの区切りになったことが大きかったですね。

――連敗を脱出したあとは、それまでとは違って平常心をキープできた?

清水 そうですね。とはいえ、ロッテの場合は11連敗でしたから、ひとつ勝っても借金10。それを一気に返すことは難しいですし、シーズンの最後まで重くのしかかりました。単純計算で、3連戦のカードの勝ち越しを10回作らないといけないわけですから。

ただ、僕も当時は入団3年目で若かったので、チームの勝ち星、他チームとのゲーム差、どう状況を打開していこうか、といったことを深く考える余裕はなかったです。

――あまり深く考えないことが、今後の阪神にも必要でしょうか。

清水 そういう切り替えも必要かもしれません。今後、今回のような大型連敗があったとしても、特に若い選手たちは連敗、借金といったマイナスなことは考えないようにすることが大事だと思います。野手であれば自分が打てるボールをしっかりスイングすること、投手は「点を取られたくない」と考えるよりも「自分のボールを、キャッチャーのミットをめがけてしっかり投げ込む」という基本的な部分に立ち返って、目の前の1球に集中する以外ないでしょう。

 借金は一気になくなるわけではないですし、10-0などで勝ったとしても1勝は1勝。そんなに多くのことを望まず、まずはひとつずつできることを積み上げていくことが大切だと思います。

――なるほど。次は2002年当時のロッテの状況について詳しくお聞きしたいと思います。

清水 わかりました。

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清水直行インタビュー 後編
 
 阪神が開幕9連敗でセ・リーグのワースト記録を更新したが、パ・リーグではそれ以上の記録があり、トンボが12連敗(1955年)、阪急が10連敗(1961年)、西武が12連敗(1979年。引き分け2試合を挟む)、ロッテが11連敗(2002年)を喫している。

 2002年のロッテで開幕連敗を阻止したのは、入団3年目、前年からリリーフとして活躍していた清水直行だった。そこから長らくエースとして活躍することになった清水に、当時のチームの状況、山本功児監督とのやりとり、連敗ストップを託された際の心境などを聞いた。

***

――当時、ロッテが11連敗してしまった要因として、どんなことが考えられますか?

清水直行(以下:清水) 主軸の打撃不振をはじめ、守備の要だった小坂(誠)さんが開幕3試合目で足を骨折して離脱したりと、いろいろと重なったこともありますが、やはり一番は失点の多さです。連敗中で3点以内に抑えた試合は、(ネイサン・)ミンチーが先発した開幕戦だけでしたから。

 3点以内に抑えられないとなると、当然4点取らなければ試合に勝てません。でも、11連敗した11試合で15点しか取れていないのに、失点はその4倍以上の67ありました。これだけ得失点差があると厳しいですよね。

――当時、ロッテを指揮していた山本功児監督は熱血漢としても知られ、選手にゲキを飛ばすこともあったと思いますが、連敗中はどんな言葉をかけていましたか?

清水 ミーティングの時に「お客さんが見に来てるんだから、こんな試合をやっていてはダメだ」と強めにおっしゃっていた記憶があります。ただ、開幕連敗の記録(12連敗)が近づくにつれて選手たちはどんどん動きが固くなっていきましたし、ベンチ裏では相当な悲壮感、危機感が漂っていましたね。野手はバッティングもガチガチ、投手もピッチングが窮屈になるという悪循環に陥っていました。 

小林雅英が断って回ってきた先発マウンド

――そんな状況を、どのように打開していこうとしていましたか?

清水 先発が序盤に崩れる試合が多かったので、当時のブルペンには僕や小林雅英さんなどがいたんですけど「もう後ろから行こうか」という話になったんです。当時のブルペンには僕や小林雅英さんなどがいたんですけど、僕らが先発して3回か4回まで投げて試合を作れたら、仮にリードされても追いかけられるんじゃないかと。僕は1年目のシーズンに先発として投げた経験がありましたし、小林雅さんも新人の頃に経験があったことも理由でした。

 まずは抑えを務めていた小林雅さんに白羽の矢が立って、首脳陣から「先発できるか?」と聞かれたそうですが、断ったそうです(笑)。そのあと、当時8回を投げていた僕が山本監督に呼ばれて、「先に投げろ」と先発を任されることになりました。

 11連敗もしていると、勝ちパターンの8回、9回に投げる僕や小林雅さんは登板機会がないんです。調整登板で1試合か2試合投げた記憶はあるんですけど、やはり間隔が開いてしまいますし、「だったら、もう先に投げろ」ということになって。

 僕は「いつか先発に戻りたい」という思いもあったので、「どこまで持つかわかりませんし、3回しか持たないかもしれませんけどいいですか?」と山本監督に伝えました。そうしたら「それでもいい」と。そうして2年ぶりの先発のマウンドに上がったのが、連敗を止めることになったオリックス戦だったんです。

――再び先発に戻りたいという気持ちがあったということは、連敗がきっかけとはいえ、「チャンスだ」という思いはありましたか?

清水 心の奥底でそう思っていたことは事実ですが、それよりも当時は「とにかくひとつ勝たないといけない」という異様な雰囲気でしたからね。自分のことよりも目の前のことに必死で、「とにかく0を重ねていこう」という気持ちしかなかったです。

今の阪神には「おすすめできない」

――その試合、清水さんは6回1/3を投げて1失点に抑える好投。連敗をストップさせましたが、山本監督からはどんな言葉をかけてもらいましたか?

清水 「よう投げた」と手放しで褒めていただいて、遅ればせながらもシーズンのスタートを切れたことに安堵されていました。小林雅さんからは「これからは先発だな」みたいなことを言われましたね。

 その日の投球がきっかけで自分が先発に復帰したことによって、小林宏之がリリーフに入ることになり、当時は吉田篤史さんや藤田宗一さんといったバリバリのリリーバーもいたので、自分は「心おきなく先発に戻ります」という感じでした(笑)。

――その年、清水さんは14勝を挙げてロッテのエースになるわけですね。ちなみに阪神は、西投手が完封勝利を挙げて連敗を脱出しましたが、仮に阪神の連敗が続いていた場合、当時のロッテのような"荒療治"は打開策としてどうですか?

清水 手段のひとつではありますが、おすすめはできません。当時の連敗中のロッテはほとんど打てなかったので4番を替えたこともありましたし、投手も打ち込まれていたので思い切ったことができましたが、今の阪神は投打ともにそこまでひどい状態ではないと思います。連敗を止めた西のように安定した投球を続けている投手もいますし、先発が崩れそうな場合も少しずつ早めにリリーフ陣につないでいくとか、違う方法があるんじゃないかと思います。

――開幕からの連敗とは属性が違うとは思いますが、ロッテは開幕11連敗を喫した2002年からさかのぼること4年前、1998年の6月から7月にかけて18連敗を喫していました。

清水 18連敗した時は、まだ自分は入団していないので聞いた話になりますが、シーズンがある程度進んでからの連敗と開幕からの連敗は、みんなが"別物"という感覚だったみたいです。開幕からの連敗のほうが、やはり重たかったようですね。

 ただ、2002年は自分も若かったこともあって、とにかく目の前のことに必死でした。今思えば、連敗を止めることになった登板が先発に戻るきっかけになりましたし、印象に残る登板でしたね。

文=浜田哲男

(以上 Sportiva)

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≪4/7≫


 千葉ロッテマリーンズの開幕投手を務めたのは、プロ9年目を迎えた石川歩投手だった。

「昨年のオフの時点から石川にしようと決めていた」と信頼の言葉を口にするのは井口資仁監督だ。本人に伝えられたのは2月20日。浦添でのヤクルトとの練習試合前に、石垣島のB組キャンプに残留して調整していた石川に電話で想いを伝えた。

「わかりました。頑張ります」

 背番号「12」はいつも通りの淡々とした口ぶりで、自身3度目となる“栄誉”を受けた。

 迎えた3月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦。決め球のシンカーが冴え、7回無失点。開幕投手として初めて勝ち投手となった。

高校時代は中華料理店でアルバイト

 2014年に新人王。16年に最優秀防御率のタイトルを獲得し、翌年には日本代表としてWBCに出場。今でこそ誰もが知る存在だが、学生時代はエリートとは程遠かった。

 高校3年生の冬、石川は地元・富山にある中華料理店でアルバイトをしていた。メインの仕事は皿洗い。時々、餃子作りも手伝った。大学に入る前の数カ月間のアルバイト生活は、本人にとってはいい思い出だという。ただ、そんな経験をしているドラフト1位選手にはなかなかお目にかかれない。

「友達が働いていて、誘われました。だから、お小遣い稼ぎにとなんとなく、働いていた」

 アマチュア時代は野球選手として明るい未来を簡単には想像が出来ない時期ばかりだった。富山県立滑川高ではエースとして活躍するも、最後の夏は富山大会3回戦敗退。5回を投げて降板。高校野球はあっさりと終わった。

 ぼんやりと日々を過ごしていた時、野球部の部長から大学のセレクションを受けることを勧められる。愛知県にある中部大学。自信がなく躊躇したが「練習に参加して、目に留まればスポーツ推薦で入学し、野球を続けられる。ダメでもいいじゃないか。受けてみる価値はある」と説得された。難しいと思いながらも、言われるがままにとりあえずグラウンドに足を運んだ。

「大学で野球を続けるのはレベル的に無理だと思っていた。専門学校に進学して、なにか手に職をつけたいなあと。本当にぼんやりとですが、服飾に興味があり、その専門学校を考えていました」

 60人ほどが同じようにセレクションを受けていた。その中で10人程度が合格すると説明を受けた。打撃投手とフィールディングチェックのノックを受けた。不合格と思い込んでいたが、2週間後、まさかの合格の連絡が届いた。高校のチームメート9人のうち、大学で野球を続けたのは石川と、もう1人だけ。ちなみにもう1人のチームメートはその後、中学校の教師になった。

「野球とは不思議な縁で結ばれています。いろいろな分岐点はあって、いつ野球を辞めていてもおかしくはなかった」

大学で習得した宝刀「シンカー」

 そんな石川の野球観が変わったのは大学に入ってからだ。監督やコーチからピッチングのいろいろなメカニズムを教えてもらった。目から鱗が落ちたような心境だった。同じスポーツをやっているのに、まるで新しいスポーツにチャレンジしているかのような気持ちで日々を過ごし、大学では投球における下半身の使い方を徹底的に研究した。ノビ、キレ、球速。石川の基礎はこうして作られた。

 今や石川の代名詞ともなっている宝刀・シンカーも大学時代に習得している。

 カーブとスライダーだけではなかなか打者を抑えられない。大学野球の壁にぶち当たり、伸び悩んだ。そんな時、監督、コーチに指摘された。

「もう1種類、変化球があれば違うけどなあ……」

 新球をマスターすることも考えたが、自身の中でなんとなく思い当るものが、脳裏の片隅に1つだけあった。中学時代に遊びで使っていたボール。野球のテレビゲームを楽しんでいて一番打ちにくかった球種で、それがヒントになり中学の軟式野球部時代にチームメートと一緒に研究をしてアドバイスをもらい、遊びで身につけた握りだった。

「誰に教えてもらった? いや、正直、誰だったかも覚えていません。中学校のチームメートの誰かです。『シンカーってどうやって投げるんだろう?』という雑談をして、誰かも覚えていませんが友達の1人が『こんな感じじゃないの?』って。ああ、なるほどという会話で投げてみて、ああ確かにというような感じです。本当に誰だったかなあ……」

 石川はシンカー誕生秘話を冗談のようなエピソードで淡々と振り返る。

 当時、イメージしていたのは高津臣吾氏(現東京ヤクルトスワローズ監督)のボールだった。否定されるのを覚悟で、勇気を振り絞って、「一応、シンカーも投げられますが……」と告白してみた。 

すると、コーチ陣から思いがけない返事が返ってきた。

「やってみるか!」

 早速、ブルペンで試してみることになった。自信はなかったが、みんなの前で投げた。精度は高いとは到底、言い難かったが、「とりあえず、これで行こうか」とGOサインが出た。スタートはそんな感じだった。

 困り果てた末に絞り出したシンカーはその後、宝のような球種となる。

社会人3年目で150キロに到達

 大学卒業後、社会人野球の名門・東京ガスからも声がかかった。社会人野球では150キロを出すという明確な目標を持って過ごした。

「自分はモチベーションがないと駄目なタイプなので、あえて明確な目標を作りました。それが150キロだった。目標を持つとそれに向かって進んでいけた」

 社会人3年目の7月についにその目標に到達した。そうなるとプロという世界を夢でなく現実に見る事が出来るようになっていた。大学で教わった技術に加え、社会人時代はメンタル面を強化した。社会人野球は一発勝負。その中で「最初から全力で投げる」という事の大事さをアドバイスされ、徹底した。初球から最後の球まで悔いが残らないように全力で投げた。マウンドでは「攻める気持ち」を強く意識した。弱気にならない。徹底的に攻める。クールな顔とは対照的な攻撃的ピッチングはこうして生まれた。

 MAX150キロのストレートとシンカーとのコンビネーションは、プロのスカウトを魅了した。マリーンズとジャイアンツがドラフト1位で指名。抽選の結果、マリーンズのユニホームに袖を通した。

「本当、今思うとちょっとしたキッカケですよね。不思議です。シンカーは高校時代も遊びでは投げていたことが何度かはありましたが、元々はテレビゲームの世界の中のボールとして憧れて遊びで投げていた程度でした」

 ストレートのような軌道でストンと落ちるシンカー。しかも両サイドいっぱいに決まる。開幕戦ではイーグルス打線を翻弄したボールはダメもとのような軽い気持ちから生まれた。人生とは本当に不思議なものである。どこにでもいるような普通の野球少年で、自分に自信を持つことも明確な夢を持つことも出来なかった若者は時を経て、マリーンズのエースになっていく。

「プロで活躍する日が来るなんて夢にも思っていません。奇跡です。だって、ボクですよ! もし高校時代のボクが、それを聞いたら腰を抜かすと思います」

 そう言って、石川はクールに笑う。ユニフォームを脱げば、至って普通の青年。趣味はサウナで、12分間3セット(サウナ→水風呂→休憩)が定番だという。

 人生には無限の可能性が広がっている──そのことをマウンドから教えてくれる背番号「12」の投球に注目して欲しい。

千葉ロッテマリーンズ取材班

(Number)

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