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コラム記事【12/29】

2022年12月29日 06時34分59秒 | マリーンズ2022
≪12/29≫


ロッテ担当記者を務めた3年間、いろいろあった。完全試合も目撃したし、警察署にも電話した。川崎球場跡地からZOZOマリンまで歩いたりもした。やり切った感はある。悔いを挙げるならば、種市篤暉投手(24)の躍動に立ち会えなかったことだ。

初対面からして、私は失礼千万だった。16年秋のドラフト会議当日。当時、日刊スポーツ販売局で東北担当をしていた私は、東北総局の1日助っ人記者として、岩手から青森へ車を走らせた。行き先は八戸工大一高。詰め襟姿で純朴そうな高校3年生の種市が、ドラフト会議を待っていた。まずは名刺を渡した。

もう1つ、会社からのミッションがあった。その日、同校から1キロ弱離れている八戸学院光星高でも、田城飛翔外野手(3年)がドラフト指名を待っていた。候補選手は広大な東北の各地に点在し、取材記者の数にも限りがある。1日助っ人の私が任されたのは「種市と田城、2人のドラフト指名取材を行う」だった。

そんなわけで八戸工大一に車を置かせていただき、田城のもとへあいさつに。約10分。スーツで歩くと実際より長い距離に感じる。冷気をたっぷり吸い込んで光星に到着した私に、田城は「本日はわざわざありがとうございます」とお茶までいれてくれた。指名は種市の方が先、という情報を得ていた。とはいえ、そこまでもてなしていただくと、営業マンの誇りにかけて簡単には辞去できない。

八戸学院光星の1部屋で、運命のドラフト会議が始まった。田城は仲井監督にちょくちょくいじられつつ、吉報を待っている。早く指名されてほしいな-。せっかくのご縁。心から願ったし、大人の事情的にも「早く」と願った。やがて私が焦る。画面に出た。「千葉ロッテ6位 種市篤暉 投手 八戸工大一」。

目をつぶった。今ここで立ち上がるのは、社会人としてどうなのだろう。でも業務遂行するには、種市のもとに戻るべきではないだろうか。今すぐ田城が指名されれば、両方をハシゴできるかも-。結局、葛藤への正解が出ない。田城の指名はないまま、支配下選手のドラフトは終わった。小休憩。私は心の中でわびて八戸工大一へ駆けた。

確か雪も残っていて、気にせず走った。種市の会見はひと通り終わり、仲間からの胴上げが始まっていた。関係者にわびる。「せっかくお越しいただいたので」と取材を許してもらえることになった。ありがたい。でも。「申し訳ありません、あと15分だけお時間をいただけませんか?」。

快諾をいただき、また走った。写真撮らなきゃ。スポーツ紙っぽく。八戸の冷気はさすがにしんどい。社会人になってから、あの時ほど走ったことはない。近所の商店でロッテのお菓子を爆買いし、ぜいぜいと声にしながら戻った。
白い息を吐いていた種市は温かく、単独取材に応じてくれた。爆買いしたお菓子は、チームメートたちに持ってもらって写真撮影。「自分、本当に写真撮られるの苦手なんです…」。笑顔を求めると、なぜかウインクでお菓子をかじってしまう18歳。お菓子はそのまま野球部員たちに差し入れ。喜んでもらえて何よりだった。取材はかなわなかったが、田城のソフトバンク育成指名を知って、ホッとした。

そこから4年少々が過ぎ、だいぶ大人びた種市に再会したのが21年新春。
「あ、あの時、走ってましたよね!」。バタバタした変な大人を覚えてくれていた。「またよろしくお願いします!」。

種市は後日、ドラフト当日のことを「ドラフト6位なので1時間半くらい待ちました。待っている間の記者会見場の雰囲気がだんだん重くなってきて、つらかったです」と回想している。こちらの勝手な都合で、指名後に至るまで待たせてしまったおわびに、活躍の記事で倍返ししたかった。私にとっても、二択の難しさに迫られ、仕事人としての生き様や振る舞い方を考えさせられたあの日。来季は本格的に先発復帰。かげながら期待したい。【金子真仁】

(日刊)

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 残り3日となった2022年。プロ野球界では新たな一年を前に、ドラフト会議で126選手(育成含む)が指名された。一方で、多くの選手たちがユニホームを脱ぎ、新しい人生をスタートさせる。年末恒例の「惜別球人」で去りゆく選手を紹介する。

 【ロッテ・田中靖洋】11月20日に開催されたファン感謝デーで、田中靖は「ライオンズで10年、マリーンズで7年、たくさんの出会いに恵まれました。幸せな選手生活を送ることができました」と現役引退のあいさつを行った。

 決して派手な野球人生ではない。通算209試合に登板し、10勝9敗2セーブ、防御率3・81。西武で1軍デビューを飾った10年に、発熱した西口(現2軍監督)の代役として1試合だけ緊急先発したが、残りの208試合は全て救援登板だった。15年に戦力外。そんなときに拾ってくれたのが、5歳年上の兄・良平氏もかつて所属したロッテで「縁を感じますよね」と振り返った。

 19年のことだ。守備練習中に左目の下を10針縫うケガを負った中村奨が、風呂場で洗髪するのに苦労している姿に気づき、田中靖が傷口を避けながら洗ってあげた、ファンの間で有名なエピソードがある。生え抜きではないが真面目で、後輩たちに優しく、時には厳しくできる。そんな性格が球団にも評価された。来季からはストレングストレーナーに就任し、若手のトレーニングを指導する。

 「今年まで現役だったので、選手の気持ちを理解しながら、しっかりとサポートしたい」。まさに適材だ。(横市 勇)

 ◇田中 靖洋(たなか・やすひろ)1987年(昭62)6月21日生まれ、石川県出身の35歳。加賀時代に捕手から投手に転向し、3年時に県選抜メンバーとして日米親善試合に出場。05年高校生ドラフト4巡目で西武入り。15年に戦力外になり、16年にテスト入団でロッテ移籍。1メートル83、88キロ。右投げ右打ち。

(スポニチ)

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1年目の今季…廣畑敦也は30試合、八木彬は20試合に登板した

 昨季はチーム51年ぶりとなる優勝マジックが点灯するも、優勝を逃したロッテ。「頂点を、つかむ。」のチームスローガンを掲げて臨んだ今季はスタートダッシュに失敗、一時は盛り返したが、最終的には3年ぶりBクラスとなる5位に終わった。今回は救援投手の2022年シーズンを振り返る。

 昨季は自慢の必勝リレーを筆頭に、盤石の中継ぎ陣を形成したが、今季は一角を担っていた佐々木千隼、唐川侑己、国吉佑樹が開幕に出遅れる状況に。そんな中、大車輪の働きを見せたのがチーム最多の59試合に登板した東條大樹だ。昨季は5登板も、今季は2年ぶりに開幕1軍入り。特徴的なサイドスローから繰り出されるスライダーを武器に活躍し、5月は12登板で防御率0.00、8ホールドの成績を残した。新型コロナウイルス感染で出場ならずも、初めてオールスターにも監督推薦で選出された。終わって見れば、リーグ3位タイの34ホールドポイントを挙げた。

 西野勇士は3年ぶりに1軍のマウンドへ。直近2年はトミー・ジョン手術の影響で登板なしも今季は開幕1軍入り。37登板でキャリアハイの15ホールド、防御率1.73をマークした。来季はかねてより希望していた先発での起用が見込まれている。今季の復活を機に、新たな持ち場で輝きを放てるか。

 小野郁の働きも目立った。7月末までに40試合に登板するフル回転ぶり。新型コロナウイルス感染で出場辞退となった東條に代わってオールスターにも出場。地元・福岡での初戦では3者連続三振、2戦目には勝利投手の活躍で名をあげた。シーズンは44登板で18ホールド、防御率1.99とキャリアハイの成績をマークした。

 長年抑えを任されてきた益田直也はシーズンを通して不振。一時は持ち直すも、8月には自身の希望で再調整のためにファームへ。9月の1軍復帰後も抑えの座に返り咲くことはなく、最終的に52登板も、最多セーブに輝いた昨季から一転して配置転換も味わう悔しいシーズンとなった。来季は本調子で迎え、守護神奪回のシーズンとしたいところだ。

 29試合で防御率0.91の成績を残したロベルト・オスナがソフトバンクに移籍するなど、救援の整備は急務。そんな中で期待されるのは、廣畑敦也、八木彬の社会人からプロ入りしたルーキーだ。開幕1軍スタートの廣畑は30試合、八木も5月からの昇格で22試合に登板し、経験を積んだ。吉井理人新監督が、どのように救援陣を運用していくのか注目される。

(「パ・リーグインサイト」和田信)

(フルカウント)
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