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拾い読み★2010-341≪コラム記事≫

2010年11月26日 20時21分08秒 | マリーンズ2007~10
マリーンの風~起死回生、CSの本塁打

 特別な思いで日本一の瞬間をベンチで見守っていた選手がいた。今岡誠内野手(36)。昨年阪神タイガースを自由契約になり、テストを受けてロッテ入りした。あれから、1年。今岡は日本一軍団の一員になっていた。
 「ホンマに信じられない。プロ野球だけではなくて、オレの子供の頃からの野球人生で日本一なんて初めて。拾ってチャンスをくれたロッテに感謝。それだけでも感謝の気持ちが尽きないのに、日本一まで味わわせてくれるなんて、オレは幸せ者」
 どん底からはい上がってきた男は、ただひたすらチームへの感謝を口にした。
 阪神タイガースで一時代を築いた男はすべてのプライドを捨てて、ロッテの一員となった。時には、阪神時代は見ることがなかった一塁、ホームへのヘッドスライディングでファンを沸かせた。出番のない試合でもベンチ裏で初回からバットを振り続け、いつ呼ばれてもいいように準備をした。ベンチで大声を出した。5月には2軍落ち。それでも愚痴一つ言わず、ファームで若手選手たちと同じメニューをこなした。
 「自分に気を使わないでください。同じ練習をさせてください。楽な練習をしてしまったら、チームとしてよくない」
 今岡は2軍首脳陣にそう言い、炎天下のロッテ浦和球場で練習に明け暮れ、再度のチャンスを待った。声がかかったのはシーズン終盤だった。1軍に上がってきた今岡の顔は見事なほど日に焼けていた。そして、バットスイングは明らかにシャープさを取り戻していた。いかに2軍で体を磨いていたかは、スイングを見れば分かった。
 福岡でのクライマックスシリーズ第2ステージ4戦目。あと1敗すればシリーズ敗退となるがけっぷちの試合で、今岡が存在感を示した。ソフトバンク先発の陽耀勲から左翼に先制本塁打。移籍後初の本塁打だった。大ベテランの一発にベンチは大いに盛り上がった。沈みかけていたロッテが生き返った瞬間だった。
 クライマックスシリーズで記録した移籍後初本塁打。記念のボールが必要かと思い、私は今岡に「探しに行こうか」と尋ねた。答えはノーだった。
 「いらない。自分の記念のために打ったホームランじゃないから。チームに勝って欲しくて打ったのだから。オレは自分を拾ってくれた西村監督を胴上げできたらそれでいい。それがすべてだから」
 過去の栄光など、すべてのプライドを捨ててロッテに移籍した今岡。入団後はけっして漫画のようなドラマチックな復活劇を演じたわけではない。しかし、スター選手が歯を食いしばり、バットを振り続ける姿。どんな形でもいいからチームに貢献したいのだという気持ち。それらは若い選手の多いこのチームに、計り知れないほどの好影響を与えた。その姿に多くの選手が何かを学び、何かを感じ取った。そして共感した選手たちはチームに欠かせない大きな力となった。「日本一になってくれて、本当にみんなに感謝したい。自分にとって価値ある1年になった。すべてが報われた気がした。これで、『いい一年だったなあ』と正月を迎えられるね」
 来季の年俸は現状維持。それでも契約更改を終えた今岡はすがすがしい表情をしていた。また、来年も野球ができる。一度、すべてを失った男は、それが一番の幸せに感じるのだ。(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)






【福島良一メジャーの旅】西岡は「アパリシオになれ!」

 少年時代から抱いていた夢のメジャーへ、また一歩近づいた。日本一ロッテの若きリーダー、西岡剛内野手だ。ポスティングシステムで獲得希望球団から入札があり、まずは本人もホッとしたことだろう。
 かつて、日本球界ナンバーワンショートといわれた松井稼頭央(楽天)をはじめ、井口資仁(ロッテ)、岩村明憲(楽天)らがメジャーに挑戦。一時はレギュラーで活躍し、ワールドシリーズで脚光を浴びたときもあった。だが、いずれも成功とは言い難かった。
 そんな「日本人内野手の評価を覆したい」と言う西岡。そこには本職のショートで必ずや成功して見せる! という意気込みが感じられる。いまから約半世紀前、メジャーの歴史を変えた小さな大遊撃手と同じような意気込みが…。
 第二次大戦後、メジャーに外国人選手の波が押し寄せた。第一波は大リーガーの宝庫といわれるキューバで、カリブに浮かぶ赤い島から優秀な選手が次々に海を渡った。そんな中、わずかではあるが南米ベネズエラからも兵が来ていた。
その先陣を切ったのはチコ・カラスケルだ。1950年からホワイトソックスなどで遊撃手を務め、中南米選手として初めてオールスターにも出場。そんな彼を追って同じチームに身を投じたのが、身長175センチ余りの小柄な遊撃手、ルイス・アパリシオだ。
 56年に先輩カラスケルの後継者としてデビュー。主に1番打者として活躍し、ア・リーグ新人王を獲得。以来、1年目から9年連続盗塁王に輝き、彼を中心とした機動力野球、いわゆる「ゴーゴーソックス」で大旋風を巻き起こした。
 こうして、メジャーでショート一筋18年間プレーし、オールスターに10回出場。当時、遊撃手では史上最多の9度もゴールドグラブ賞に輝き、ショートでの通算出場試合数、補殺、守備機会、刺殺などすべての記録を樹立。その時代に最高の名手と謳われた。
 それからというもの、彼に憧れてメジャーで活躍するベネズエラ人遊撃手は後を絶たず。今シーズン本人の特別許可をもらい、ホワイトソックスで彼の永久欠番11を付けたオマー・ビスケルもその一人。それが国技の伝統となり、スターの系譜となっているのだ。
 メジャーで人種の壁が破られて間もなく、ベネズエラ人、さらには他のラテン系選手たちにショートの扉を開けたアパリシオ。その多大な功績に南米出身者として初の野球殿堂入りという最高の栄誉が与えられたのは言うまでもない。
 世界に挑む西岡よ、夢はでっかく「日本のアパリシオになれ!」と俺なりのエールを送りたい。
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